すばらしい新世界

阿波野治

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帰還

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「……直人」
「直人、じゃねぇよ。いや、俺はいかにも反町直人だけど。というか、その……」

 唇は動くが言葉がついてこない。まばたきの多さを考え合わせれば、どのような心理状態に置かれているのかは一目瞭然だ。
 見つめるというイナの行為を、発言を促していると解釈したらしい。直人は唾を飲み込み、語を継いだ。

「どういうことだよ。頭上からやかましいガキの声が聞こえてきたと思ったら、お前が降ってきたんだが。焦ったとか驚いたとかの次元じゃねぇぞ。ていうか、常識的に有り得ねぇ。周りには高い建物なんてないのに。なにがどうなってるんだ?」
「おい直人、話なげーよ。この体勢、そろそろ飽きてきたんだけど」
「いや、だって空から――」
「いいから下ろせ!」

 直人の肩をグーで殴りつける。殴られたほうは「いてっ」と言って顔をしかめた。加害者を睨みつけたが、控えめな舌打ちを鳴らすだけにして命令に従う。下ろしかたも柄にもなく紳士的で、イナを労わる気持ちが感じられる。
 約一分ぶりに自らの足で大地を踏み締めたイナは、直人に触られた部位をあてつけがましく手で払う。相対したときには、直人の眉は漢数字の八を描いている。

「ていうか、マジで怖いんだけど。お前、なに空から落ちてきてんの? 意味分かんねぇ。飛行機から落ちた、とかじゃないよな? 音も聞こえなかったし。……いや、マジで謎なんだが。だって、説明がつかない……」

 直人は頭上に広がる虚空を睨む。イナは無防備になった腹部にパンチを叩き込もうとしたが、気配を察知した彼の掌に防がれた。無言の眼差しが、百の言葉を連ねるよりも口うるさく、事情の説明を求める。

「細かいことを気にするなんて、ちょっと直人らしくないね。十日会わなかった間に、性格が小動物みたいに軟弱になっちゃったんじゃないの」
「十日? 妙な数字をいきなり出して、煙に巻こうとするな」
「は? なに言ってんの、この童貞は」
「うるせぇな。それは放っておけよ。俺はな、お前の様子がおかしいから、必死こいて探し回ってたんだよ。一時間くらい前に口喧嘩したばかりだろ、俺たち。忘れたとは言わせねぇぞ」
「……ああ、なるほど。あっちとこっちでは時間の流れかたが違うんだね。ていうか、直人、ぼくのこと探してくれてたんだ? ふーん。空から槍でも降る日なのかもね、今日は」
「槍どころか、生意気なクソガキが降ってきたんだが。ていうか、ただでさえ混乱してるのに、意味不明な発言を追加するのは勘弁してくれ。頭悪いから、これ以上はついていけねぇって」
「あっそう。じゃあ考えるのはやめて、ぼくと二人で遊びに行こうぜ。どうせ暇でしょ」
「ちょっと待て。お前が空から降ってきた件については……」
「しつこいな。そんなことはどうでもいいから、遊びに行こうって言ってんの。直人は暇なの? 忙しいの?」
「いや、暇だけど……」

 直人は頭をかきながら首を傾げる。そして、深呼吸のようなため息。さらには髪の毛をがりがりとかいてから、

「遊びに行くって、どこへ? どこか行きたい場所でもあんの?」
「そんなの、決まってんじゃん」

 直人の手を握る。道が続く先を指差し、満面の笑み。

「ぼくのおばあちゃんの家! ちょっと気になる絵本があるから、二人で探そう」
「はあ? なんでいきなり絵本が――って、おい!」

 直人の手を引いて、イナはいきなり駆け出した。
 小柄な小学六年生の女児であるイナと比べると、男子高校生の力は圧倒的に強い。手を振り払おうと思えば容易に振り払えたはずだが、直人はイナについてきてくれる。ただそれだけのことが、声高らかに歌い出したくなるくらいに嬉しい。
 絵本探しなんて、ただの名目、おまけのようなものだ。

「おい、待て! バカみたいに走んな、バカ!」
「バカって言うほうがバカだから。悔しかったらぼくに追いついてみなよ」

 二人の手は早くも離れ、ゴールを決めない徒競走の様相を呈していた。噴き出す汗を、吹きつける風がたちどころに雲散霧消させる。イナも、直人も、いつの間にか笑顔になっている。
 雲一つない快晴の下、どこまでも走り続けられそうだった。
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