すばらしい新世界

阿波野治

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決別

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『さあ、覚悟なさい』

 複数の声がぴたりと重なった。それを号砲に、無数の顔を持つ怪物はイナに向かってきた。首から上が縦長に肥大しているにもかかわらず、歩行は安定している。イナを追い詰めることを楽しんでいるかのような、追いつくまでの時間もイナへの懲罰であるかのような、もったいぶった、ふてぶてしい歩の運びだ。

 イナはファイティングポーズをとった。向かっていくのでも、逃げるのでもなく、その場で脳髄を高速で回転させる。
 迫りくる怪物は、本来ならばリーフが受け持つ相手だろう。ただ、そのリーフは消えた。どんなに願っても、叫んでも、イナのもとに馳せ参じることはない。絶対にない。永遠にない。
 自力で対処するしかない。

 神の力を使って――と言いたいところだが、イナの力は怪物にはききにくい、とリーフは話していた。自力でどうにかできる相手だとは、残念ながら思えない。勝てないなら、逃げるしかない? あちらは明確にイナに制裁を下す旨を表明しているのだから、そう簡単には諦めてくれないだろう。怪物は総じて身体能力が高いから、逃げきれる可能性は絶望的だ。
 神なのだから死なないはずだと開き直って、敵に立ち向かっていくべき? ……本当にその道しかないの?

 そして、はたと気がつく。
 穴だ。旧世界に通じる穴。

 怪物は新世界特有の存在。素材は旧世界から借用したかもしれないが、混ざり合ったことで非現実的な存在と化したから、どこまでも常識的であくまでも現実的な旧世界では、存在が許されないはずだ。
 おそらくは、身を置いた瞬間に死ぬ。
 だから、怪物は旧世界まで追ってこられない。
 つまり、穴に飛び降りてしまいさえすればイナの勝ちだ。
 どちらを選んでも死ぬリスクが拭えないなら、己が行きたいと願う場所を目指したほうがいい。いや、目指すべきだ。

 怪物が出現してから初めて、イナは穴へと視線を落とした。瞬間、瞠目した。行き交う無数の有象無象の中に、有象無象ではない人物――顔見知りの姿を認めたのだ。
 覚悟と決意が完全に固まった。

 イナの意図を察したらしい怪物が、地面が揺れるほどの唸り声を上げながら突進してきた。それにも負けない声で、彼女は穴に向かって叫んだ。

「今から飛び降りる! 絶対に受け止めて! 行くぞーっ!」
 そして、足を下にして穴に飛び込んだ。


* * *


「どわあああっ!?」
 驚愕し、恐慌する声が地上で響いた。

 ぶつかる、と思った次の瞬間、誰かに受け止められていた。
 漂ってくる整髪料の香り。首筋にかろうじて触れる吐息。受け止めた次の瞬間、左の二の腕と膝のあたりで力がこもった、合計十本の手の指。その全てが、イナを受け止めたのが人間であることを証明している。

 呼気の風上のほうを向くと、視界に映ったのは、
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