すばらしい新世界

阿波野治

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チェーン店にて

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「今日も楽しかったねぇ」

 夕食はもはや片づき、イナは安楽椅子に深く腰かけるようにリーフに背中を委ねている。
 チェーンの牛丼屋の店内、出入り口が見える角の床に二人は座っている。敷物などという余計なものを介在させることなく、両脚を投げ出して。初日が屋外、二日目が民家だったので、今日は商業施設の中を寝床にすることにしたのだ。

 安楽して身を委ねるイナを、リーフは柔らかく抱きしめている。四日間着用し続けているにもかかわらず、神の力によって異臭一つしない黒のパーカーの上、右の乳首に重なるか重ならないかの場所に、リーフの左手の人差し指が配置されている。怪物を殺すナイフの柄に添えられ、遠方にそびえるビルを指し示し、イナの頭を労わるように撫でてきた指が。
 置かれた当初、イナはその部位を中心にした狭い領域内を強く意識した。布越しに愛撫を加えられる事態も、当然想定した。しかし、触れるか触れないかの決断は、究極的にはリーフではなく、自らの手に委ねられているのだと悟ったことで、安眠に堕ちていくさなかのような深い安堵感を覚えた。重力がかかる方向が垂直ではなく、リーフがいるほうに変更されたかのようで、引っ張られる感覚、それ自体がとろけるように甘美だ。

 両腕ごと胴体を拘束する両腕の圧迫感が、にわかにほんの少し強まった。イナはその変化を、「今日も楽しかったねぇ」に対する返答だと受け止める。
 信頼できる人間に抱擁される感触。人類が絶えた世界から湯気のように生じ、牛丼屋の壁という物理的障害を空気であるかのように無視し、体温を交流させる二人の肉体にまで迫る、純正の静寂。それらの効能自体を、ユン・イナという個人にとっての効能の意義を、イナはひしひしと実感する。いつまでも浸っていたいと心の底から思う。

「いつまでも続くといいね、こんな毎日が」
 だからこそ、そんなセリフを恥ずかしげもなく吐けた。

 それに対してリーフは、イナの期待通りに、というよりも確信していた通りに、静かに答えるのだ。
「そうですね。私もそう思います」

 なんという充実した、恵まれた時間だろう!

 イナは自らの意思でまぶたを下ろす。「いつまでも続くといい」という前言に、狭い意味では矛盾する行為かもしれない。そんな思いを漠然と抱きながらも、能動的に眠りへと向かう。

 きっとこれが、ぼくが望んだ世界なのだ。
 怪物に命を狙われるとか、怪物を倒すためにはリーフの力を借りなければいけないとか、建物を燃やしたり爆破したり橋を穴だらけにしたりできるくせにできないこともあるとか、そういった諸々の不満も全てひっくるめて。

 情緒も品性も崇高さもない、チェーンの牛丼屋の床に座ったまま眠りに就けることが、イナは嬉しくてならなかった。
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