すばらしい新世界

阿波野治

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テロ

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 電信柱を真っ二つにへし折る。
 バス停の標識を垂直方向に押しつぶす。
 スーパーマーケットの窓ガラスに無数の小石を撃ち込んで穴だらけにする。

 どうにもまとまらない、一応の結論を与えるのも困難な感情から目を背けるために、いっそう激しく街を破壊しながらイナは歩く。思いつく限りの悪行を働いたといっても過言ではない。いずれも、超常的な力を手に入れていなければどう足掻いても実行不可能な、激烈で、凄惨で、悪質極まる悪戯だ。

 数をこなしたことで、非現実的な破壊を現実と化す力は、己の想像力と経験に依拠しているという確信をイナは得た。
 日常的に軽はずみに暴力を行使することが多い彼女の破壊は、今現在己の間近に存在する、ある程度の大きさを持つ物体に、殴る・砕く・潰すといった、比較的シンプルな圧力を加える形式が大半を占めた。

 己の腕力を超えた破壊行為は愉快で、飽きが来るのは当分先だろう。
 ただ、破壊方法の偏りは少々気になる。まだ初日で、「少々気になる程度」とはいえ偏りが見られるのだから、早々にマンネリに陥らないとも限らない。その事態を避けるためにも、今のうちからいろいろ試していきたい。

 そこで、遥か彼方にそびえ立つ高層ビルに旅客機を突っ込ませることにした。

 イナはYouTubeで、911アメリカ同時多発テロの映像を観たことがある。この機会にぜひとも、それを参考に派手に破壊してみたい。
 熱心に、くり返し視聴したわけではない。ビルの何階に衝突したかや、旅客機がどのような形状だったのかなどの記憶は、極めて曖昧だ。元となる一連の映像を正確に再現するのは、再現してみせる前から不可能だと分かる。
 ただ、イナが望んでいるのは「911の再現」ではなく、「ビルに旅客機を突っ込ませる」こと。衝突地点は地上よりも屋上に近ければ何階であろうと構わないし、突っ込ませる旅客機は旅客機らしき形であればそれで充分だ。

 旅客機に相当する飛来物は、空中の一点を凝視しただけで出現した。出現がそのまま号砲となり、ビルに向かって一直線に突き進む。遠くで響く轟音は、耳元で唸る爆音だ。旅客機がビルを目指して空を裂くというよりも、ビルが旅客機を吸引している。イナは息を呑んだ。
 次の瞬間、両者は衝突した。その事実は、耳を聾する爆音とビルが崩壊する映像という形式でイナに通達された。

 衝突した箇所から白煙が濛々と立ち昇る。何年も前かも失念してしまった昔に、イナが火葬場で見た煙突の煙にそっくりだ。
 実際のテロの映像では、煙はもう少し黒味が強かったし、入道雲のようにボリュームがあったような気がする。ビルだって、外壁の質感がプラスチックのようでチープだし、崩落する様子はCGで製作されたかのように滑らかで逆に不自然だ。
 本物の映像と比較した場合、相違点があまりにも多すぎる。しかし、イナの脳髄に保存されていたテロ事件の映像には、怖いくらいに忠実だ。
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