すばらしい新世界

阿波野治

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柘植についての考察

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 イナは女としての弱みを武器にすることはあまりない。そんな情けない真似、はっきり言って大嫌いだ。ただ、他に有効な手がないと判断すれば、惜しまずにくり出すだけの合理性としたたかさは持ち合わせている。
 柘植ははっとして手を離した。気勢を削がれたらしく、手ではもちろん、言葉でもイナを攻撃しなくなった。恨みがましく睨んできたが、それだけだ。

 いくら好戦的なイナといえども、攻撃の手を引っ込められると、攻撃的な気持ちは萎える。最後の最後に睨むという余計な真似を、攻撃の意思の変形と受けとったならば、あるいはもう一戦交えることになっていたかもしれない。しかしイナは、こちらの効果的な一手によって柘植は戦意喪失したのだ、と解釈した。負け犬の負け惜しみによるひと睨みだと。

 以降二人の関係は、冷戦と呼ぶべき状態に突入した。
 小競り合い程度の諍いはあったが、柘植はイナを強く叱ろうとはしない。努めて穏便に振る舞い、争いの芽を自らの手で事前に摘んでしまう。前のような反抗しがいのある態度をどうにか引き出そうと、イナは挑発的な言動を何度も見せたが、決してその手には乗らなかった。

 手を出してこないから、手を出せない。そんな状態のまま年度が改まり、イナのクラス担任は柘植ではなくなった。
 学校が同じだとしても、違うクラスを受け持つとなると、教師とはまったく関わり合いを持たなくなる。柘植と武力衝突する日は永遠に来ないだろう。そう信じ込んでいた。

 それがまさか、こんな形で再会を果たすとは。

「聞いているのか、伊!」

 手首を掴まれた。強く握りしめる力に思わず声が漏れ、顔面は歪む。
 あのときのように怒りを爆発させるのではなく、自己防衛のための方策を模索するのでもなく、凪いだ心で柘植に向き合う。必要性を感じて能動的に、ではない。小学六年生の知識と語彙では説明をつけられない力に操られて、柘植を直視していた。

 据わっている目、とはこのことを言うのだろう。イナのほうを向いているがイナの姿を捉えていない。瞳は緑がかかった黒で、典型的な日本人のそれからは外れている。逆立った艶のない墨色の頭髪、ひきつれたように横方向に広がった鼻孔、肉食獣並みに鋭い犬歯。
 柘植に限らず、中年以降の男性の顔に目に快い部分を見出すのは難しいから、まじまじと見つめる機会はまずない。そうはいっても、仮にも一年間クラス担任だった男だ。慢性的に対立し、顔を突き合わせる場面が多かった相手だ。その数多の機会に目の当たりにし、脳内メモリに保存されていた柘植の顔と、今現在相対している柘植の顔は、明らかに別物だ。

 顔を合わせる機会がなかった半年足らずの期間が彼を変えたとか、超常的な力を得たことでイナのものの見方が変わったとかではなく、どう見ても別人。似ているのはたしかだが、同一人物ではない。

 現実の柘植ではなく、憎悪の対象、復讐の対象としての柘植なのだ、と悟る。
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