説得屋

阿波野治

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詩音を看病する④

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「私、本当にだめな人間だなって思います。もうすぐ二十歳になるのに、定職に就かずにふらふらしているし。コーメイさんの力のおかげで納得してもらったけど、やっぱり、親の言い分のほうが正しかったんだと思います。一人で横になっているあいだに、そのあたりのことをいろいろと考えたんですけど、自分のことが情けなくて、情けなくて、涙が出そうで……」
「らしくないね、詩音ちゃん」

 声を強めて言葉を遮る。視線が自分のほうに向いたのを確認してから、爽やかに笑いかける。落涙までのカウントダウンが一時停止した。

 悲しいときは、涙を我慢するよりも思い切り泣いたほうが、悲しい気持ちが早く去ってくれる。それと同じように、詩音は自らの欠点を羅列することで、暗い想念に囚われた状態から逃れようとしているのだろう。それを否定してしまえば、気持ちを立て直すのを邪魔することになる。
 分かってはいたが、割りこまずにはいられなかった。これ以上詩音の悲しそうな顔は見たくないし、それに、立ち直るための方法は一つとは限らない。

「その程度で駄目人間だなんて、とんでもない! 俺なんて、三十過ぎまでずっとニートだったからね。しかも、詩音ちゃんみたいに友だちの手伝いに行くとか、誰かの役に立つようなことはまったくしていないし。テーコみたいに小説を書いたり読んだりしていたわけではないし、泰助くんみたいに嫌々ながらも大家の仕事をした経験もない。マジでなにもしてなかったからね、あのころの俺は。姉ちゃんから駄目人間って散々言われて、当時は反発したけど、そう言われても仕方ないなって今では思うよ。俺のことを駄目人間だと思わないほうが駄目人間だよ、みたいな」

 詩音はしきりにまばたきをしながら話に耳を傾けている。

「今のところは、今の詩音ちゃんのままでいいと俺は思うけどね。家計は苦しくても、他の人の助けを借りながらなんとか生活していけているんだから。大学に通うとか、就職するとかが普通なのだとすれば、それからは外れているってことになるのかもしれないけど、楽しいならそれでいいんじゃない? ポジティブに考えていこうよ、ポジティブに。十年後くらいには絶対、今よりも大人になっているし、今よりも楽しい人生を送っているよ。俺という先例があるんだから、間違いない。詩音ちゃんの未来は輝かしいよ、うん」

 言葉を重ねれば重ねるほど、詩音の表情は明るさを回復していく。
 それが頂点に達したのを見計らってしゃべるのをやめ、改めて顔を見つめる。気分はどうだい? とでも言うように。

 詩音は白い歯をこぼした。目頭を小指の先で拭ったが、そこにはなにも付着していない。

「そう、ですね。未来のことは誰にも分からないけど、だからこそ、前向きにならなくちゃいけませんよね。気持ちが前を向いていないのに、前に進めるはずがない」
「そうそう。詩音ちゃんは体調が悪くなったせいで、弱気になっているだけだよ。あれこれ考えずにじっくり体を休めれば、きっとまた元気になれる。元気になった暁には、柄にもなく弱気だった今日の自分を振り返って、笑い飛ばせばいい」
「ありがとうございます。コーメイさんのおかげで、心のほうはすっかり元気になりました。さすがは説得屋さんですね」
「説得と言えるのかは分からないけど……。じゃあ、ネガティブ思考に囚われた詩音ちゃんを、ポジティブな元の詩音ちゃんに戻るように説得して、成功したということにしておこうか」
「報酬を支払わないといけないですね」
「二・三日後に元気な顔を見せてくれたら、それで俺は満足だよ。それじゃあ、おやすみなさい」

 サボテンの鉢を抱え、速やかに部屋を辞した。

 コーメイは基本的には、なんらかの見返りが期待できない限り、説得の仕事は引き受けない。
 詩音の元気な笑顔が見られる日が、今から待ち遠しかった。


* * *


 再び同じスーパーマーケットまで行き、詩音の今日の夕食と明日の朝食を購入する。それを渡すさいに少し話をしてから、事務所を仕舞い、自宅があるほうのアパートに帰る。
 その道中でスマホを確認すると、テーコからの着信が四件あった。二分置きにかかってきている。時刻は午後五時前。詩音にかかりきりになっていた最中だ。

「やっべ。怒らせちゃったかな」

 頭をかき、すぐさま電話をかける。コール音は聞こえてくるのだが、繋がらない。やはり、怒っているのだろうか。
 どうしたものかと考えているうちに、第二の可能性に思い当たり、思わず足が止まる。

 なにかトラブルに巻きこまれて、助けを求めてきたのでは?

 まさか、とは思う。性格的には慎重で、危険には積極的に近づこうとはしないタイプだ。
 しかし、工事現場から落下した資材、暴走するトラック、人生に絶望して刃物を振り回す男――危険のほうからテーコのもとを訪れないとも限らない。確率としては低いかもしれないが、決してゼロではない。

 今からでもメッセージを送るべきだろうか。それとも、家に電話してみようか。
 逡巡していると、一件のメッセージが届いた。テーコからだ。大急ぎで内容を確認する。

『水曜日、お母さんが「うちに夕食を食べに来い」って。あと、電話にはちゃんと出て。でも今はおうちで読書中だから、今日はもうかけてこなくていいから』

「……マジすか」
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