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鍋③
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「まさか、ちゃんこ鍋とはね」
口の中の豚ロース薄切り肉を嚥下してから、詩音は率直な感想を述べた。
テーブルの中央にカセットコンロが置かれ、しょうゆ味のスープと、種々の具材が入った鍋が火にかかっている。その周囲に並べられた、食材が満載されたボウルの数は大量で、限られたスペースを埋め尽くしている。
「第一希望と第二希望、電話で言ったじゃないですか。どちからかが出てくるんだろうなって思っていたら、まさかの第三の味っていう。あ、不満があるとか、そういうことじゃなくて」
「これにはわけがあってね」
コーメイは左手に掴んでいた陶製の深皿を、自らの顔の高さに掲げてみせる。まるで事情の深さはこの皿の深さと同程度だ、と言わんばかりに。
「最初は豆乳鍋にするつもりで、豆乳鍋の素をカゴに入れていたんだ。でも途中で、シメに雑炊を食べたいな、ってふと思ったわけ。雑炊ならやっぱりしょうゆ系かな、と」
「でも、豆乳鍋にも合いますよ、雑炊」
「えっ、そうかな」
「キムチ鍋にも合う」
テーコは最小限の言葉で援護射撃を行い、くたくたになった白菜の葉をふーふーしてから口に入れた。
「マジかぁ……。かっこ悪いところ見せちゃったなぁ、今年で三十五なのに」
年齢は関係ない、という目でテーコがコーメイを一瞥し、今度はもやしを五・六本まとめて箸でつかんだ。詩音は大きめの豆腐の塊を口に入れたが、熱さを過小評価していたらしく、咀嚼するのに苦戦している。コーメイは豚肉と椎茸をいっしょくたに掴んで口に運ぶ。
「まあ、あれだね。俺がその味を食べたかっただけだね。うん」
「お相撲さん御用達なんですもん。一般庶民が魅了されるのも無理はないですよ」
「それにしても、ちゃんこ鍋の定義ってなんなんだろうね。ブランド? ブランドかな」
「テーコちゃんは博識だから知ってるんじゃない?」
「知らない」
「じゃあまあ、ブランドということにして、俺たちは腹いっぱいになるまで鍋を味わいましょうか」
「いい感じにまとめましたね」
「まあね。歳をとると、そういうスキルが自ずと身につくといいますか」
鍋の中身がいくらか減り、舌も滑らかになってきたところで、インターフォンが鳴った。
「誰だろ」
スープをすするテーコは、訪問者に心当たりはなさそうで、応対に出る気もなさそうだ。詩音はなぜかにやにやしている。コーメイは首を傾げながら席を立ち、玄関へ。
依頼をこなして金が手に入ったばかりだから、詩音の買い物の支払いを全額肩代わりし、鍋を奢っても差し支えないくらいに懐は潤っている。現状、新規の客はもっとも避けたい訪問者だが――。
「あれっ」
ドアを開けると、泰助が立っていたので面食らった。その手に提げているのは、お馴染みの煉瓦色の工具箱。
「泰助くん、どうしたの。今から不具合の修理をしますって雰囲気だけど」
「どうしたの、じゃないですよ。壊れたのは牧岡さんの部屋のトイレでしょう」
むっとした顔での返答だ。
「いやいや、トイレなら至って快調だよ。故障する未来が見えないくらい。ていうか、泰助くんに連絡した覚えはないんだけど」
「呼んだのは辻さんです。牧岡さんの家のトイレがノアの大洪水みたいになっているから、至急駆けつけてくれって」
足音が急接近したかと思うと、背後に詩音が立っていた。写真に収めたくなるような満面の笑みを浮かべているのを見て、コーメイは悟った。
「詩音ちゃん。泰助くんにも鍋を食べてもらいたくて、呼んだんだね」
「はい、そのとおりです。というわけで、泰助さん、食べていってください」
「嫌ですよ。こっちはこっちで夕食をとるところなのに」
詩音に手首を掴まれた泰助は、露骨に顔をしかめた。
「鍋がかすむくらい豪華な食事なんだ。泰助くん、なにを食べるつもりなの」
「幕の内弁当です。コンビニで買った」
「だったら、鍋のほうがランクは上だね」
「そうかもしれないですけど、だってほら、お二人の邪魔をするのも悪いし」
「テーコちゃんもいっしょです。お鍋、テーコちゃんが作ったから、食べてあげると喜ぶと思いますよ。あっ、ていうか、泰助さんのために作ったって言ってましたよ。今思い出しました」
「思い出したんじゃなくて、口から出任せでしょう」
泰助はため息をつく。泰助が指摘したとおり、テーコはそんなことは一言も口にしていない。ハイツ浜屋の一室を借りているコーメイや詩音とは違って、テーコと泰助の関係性は薄い。
言葉で心変わりさせるのは難しいと見て、泰助の腕に腕を絡め、無理矢理引っ張り上げようとしている詩音を、コーメイは表情だけでやんわりとたしなめた。そして、泰助に笑いかける。
「泰助くんにはなにかと迷惑かけっぱなしだから、そのお礼ってことで、ぜひ食べていってよ。味は保障する。すごく美味しいから。断ると、テーコは泰助くんに嫌われたと思ってショックを受けちゃうかも――なんてね」
「……分かりました。住人と交流するのも大家の役目、ということで」
「おお、秒殺! 説得するの、むちゃくちゃ早いですね! さすがは説得屋さん!」
「まあね」
ぱちぱちと拍手をする詩音に、コーメイは下手くそなウィンクを飛ばした。
「姪御さんを利用しただけじゃないですか」
泰助はぶつぶつ言っているが、素直に靴を脱いで家に上がる。それもテクニックの一つだよ。得意げに心の中でつぶやき、二人の背中を押して応接室へ。
口の中の豚ロース薄切り肉を嚥下してから、詩音は率直な感想を述べた。
テーブルの中央にカセットコンロが置かれ、しょうゆ味のスープと、種々の具材が入った鍋が火にかかっている。その周囲に並べられた、食材が満載されたボウルの数は大量で、限られたスペースを埋め尽くしている。
「第一希望と第二希望、電話で言ったじゃないですか。どちからかが出てくるんだろうなって思っていたら、まさかの第三の味っていう。あ、不満があるとか、そういうことじゃなくて」
「これにはわけがあってね」
コーメイは左手に掴んでいた陶製の深皿を、自らの顔の高さに掲げてみせる。まるで事情の深さはこの皿の深さと同程度だ、と言わんばかりに。
「最初は豆乳鍋にするつもりで、豆乳鍋の素をカゴに入れていたんだ。でも途中で、シメに雑炊を食べたいな、ってふと思ったわけ。雑炊ならやっぱりしょうゆ系かな、と」
「でも、豆乳鍋にも合いますよ、雑炊」
「えっ、そうかな」
「キムチ鍋にも合う」
テーコは最小限の言葉で援護射撃を行い、くたくたになった白菜の葉をふーふーしてから口に入れた。
「マジかぁ……。かっこ悪いところ見せちゃったなぁ、今年で三十五なのに」
年齢は関係ない、という目でテーコがコーメイを一瞥し、今度はもやしを五・六本まとめて箸でつかんだ。詩音は大きめの豆腐の塊を口に入れたが、熱さを過小評価していたらしく、咀嚼するのに苦戦している。コーメイは豚肉と椎茸をいっしょくたに掴んで口に運ぶ。
「まあ、あれだね。俺がその味を食べたかっただけだね。うん」
「お相撲さん御用達なんですもん。一般庶民が魅了されるのも無理はないですよ」
「それにしても、ちゃんこ鍋の定義ってなんなんだろうね。ブランド? ブランドかな」
「テーコちゃんは博識だから知ってるんじゃない?」
「知らない」
「じゃあまあ、ブランドということにして、俺たちは腹いっぱいになるまで鍋を味わいましょうか」
「いい感じにまとめましたね」
「まあね。歳をとると、そういうスキルが自ずと身につくといいますか」
鍋の中身がいくらか減り、舌も滑らかになってきたところで、インターフォンが鳴った。
「誰だろ」
スープをすするテーコは、訪問者に心当たりはなさそうで、応対に出る気もなさそうだ。詩音はなぜかにやにやしている。コーメイは首を傾げながら席を立ち、玄関へ。
依頼をこなして金が手に入ったばかりだから、詩音の買い物の支払いを全額肩代わりし、鍋を奢っても差し支えないくらいに懐は潤っている。現状、新規の客はもっとも避けたい訪問者だが――。
「あれっ」
ドアを開けると、泰助が立っていたので面食らった。その手に提げているのは、お馴染みの煉瓦色の工具箱。
「泰助くん、どうしたの。今から不具合の修理をしますって雰囲気だけど」
「どうしたの、じゃないですよ。壊れたのは牧岡さんの部屋のトイレでしょう」
むっとした顔での返答だ。
「いやいや、トイレなら至って快調だよ。故障する未来が見えないくらい。ていうか、泰助くんに連絡した覚えはないんだけど」
「呼んだのは辻さんです。牧岡さんの家のトイレがノアの大洪水みたいになっているから、至急駆けつけてくれって」
足音が急接近したかと思うと、背後に詩音が立っていた。写真に収めたくなるような満面の笑みを浮かべているのを見て、コーメイは悟った。
「詩音ちゃん。泰助くんにも鍋を食べてもらいたくて、呼んだんだね」
「はい、そのとおりです。というわけで、泰助さん、食べていってください」
「嫌ですよ。こっちはこっちで夕食をとるところなのに」
詩音に手首を掴まれた泰助は、露骨に顔をしかめた。
「鍋がかすむくらい豪華な食事なんだ。泰助くん、なにを食べるつもりなの」
「幕の内弁当です。コンビニで買った」
「だったら、鍋のほうがランクは上だね」
「そうかもしれないですけど、だってほら、お二人の邪魔をするのも悪いし」
「テーコちゃんもいっしょです。お鍋、テーコちゃんが作ったから、食べてあげると喜ぶと思いますよ。あっ、ていうか、泰助さんのために作ったって言ってましたよ。今思い出しました」
「思い出したんじゃなくて、口から出任せでしょう」
泰助はため息をつく。泰助が指摘したとおり、テーコはそんなことは一言も口にしていない。ハイツ浜屋の一室を借りているコーメイや詩音とは違って、テーコと泰助の関係性は薄い。
言葉で心変わりさせるのは難しいと見て、泰助の腕に腕を絡め、無理矢理引っ張り上げようとしている詩音を、コーメイは表情だけでやんわりとたしなめた。そして、泰助に笑いかける。
「泰助くんにはなにかと迷惑かけっぱなしだから、そのお礼ってことで、ぜひ食べていってよ。味は保障する。すごく美味しいから。断ると、テーコは泰助くんに嫌われたと思ってショックを受けちゃうかも――なんてね」
「……分かりました。住人と交流するのも大家の役目、ということで」
「おお、秒殺! 説得するの、むちゃくちゃ早いですね! さすがは説得屋さん!」
「まあね」
ぱちぱちと拍手をする詩音に、コーメイは下手くそなウィンクを飛ばした。
「姪御さんを利用しただけじゃないですか」
泰助はぶつぶつ言っているが、素直に靴を脱いで家に上がる。それもテクニックの一つだよ。得意げに心の中でつぶやき、二人の背中を押して応接室へ。
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