どうせみんな死ぬ

阿波野治

文字の大きさ
上 下
33 / 33

車道を横断する 後編

しおりを挟む
 深呼吸だとか、
 車に撥ねられるイメージ映像を脳内から追放するとか、
「瞬間移動した車に轢かれるなんて、天地がひっくり返ってもありえないのだから、案じるだけ時間の無駄だ」と自分に言い聞かせるとか、
 歩きながらできることは全てやったが、恐怖は不動だ。勢力を堅固に維持したまま、私の心の中央に居座り続けている。
 やはり、横断歩道などを見つけるまで、辛抱強く歩き続けるしかないのだろうか?
 横断歩道か歩道橋さえ見つかれば、問題はたちどころに解決する。しかし、歩いても、歩いても、見えるのは道ばかり。車が車道を走り抜ける速度も、頻度も、増加もしなければ減少もしない。せめて車両の通行がもっとゼロに近づけば、踏み出す勇気が湧くかもしれないのだが……。
 悶々としているうちに、こんな疑問が忽然と胸に生まれた。
 そもそも、歩道を横断する必要はあるのだろうか?
 はるか昔からその考えを持っていたので、当たり前のものとして受け入れていたが、よく考えてみろ。この道路の左右に存在するのは、これという特色のない空き地と、作物の植わっていない畑のみ。そんな場所に用がある人間など、いるはずがないではないか。仮にあるのだとしても、空き地と畑はどちらも道の両側にあるのだから、横断せずに用事を済ませてしまえばいい。
「そうか。道を渡る必要はなかったんだ」
 横断しなくてもいい。恐怖を抑えつけてまで、無理に渡る必要はない。胸の中で何度もくり返して、百八十度転換した方針に自分を従わせようとした。
 しかし、思惑とはうらはらに、気持ちは一向に落ち着いてくれない。自分を納得させようとすればするほど、後ろめたくなる。
 交通ルールを破って、車道を横断する。
 たったそれだけの問題に、なぜこんなにも悩まなければならないのだろう。
 懊悩から解放され、心が楽になる方法はあるのだろうか。
 そもそも、なぜ、横断する必要があると感じるのだろう。
 本当に横断しなければならないのだとすれば、どうすれば勇気を奮い立たせられるのだろう。
「自分一人の力では、真の意味で自分を納得させるのは難しいだろうね」
 突然のしわがれた声に、私ははっとして足を止める。いつの間にか俯きながら歩いていたらしく、視界に映っているのはアスファルトの黒だ。
 顔を上げると、目の前に見知らぬ老爺が立っていた。七十過ぎくらいで、灰色のくたびれた作業着を着ている。目鼻立ちはどことなく私に似ている。喜怒哀楽、どの感情にも染まっていないが、表情は穏やかで柔らかい。
「君は他人からのお墨つきが欲しかったんだよ。誰からこう言ってもらいたかったのさ。『いいよ、いいよ。ルールを破っても、いいよ。車道、車が通っていないなら渡ってもいいよ』って」
 肩の力が抜けた。ああ渡っていいんだ、と思った。
 ありがとうございます。心の中で謝辞を述べ、頭を下げる。老爺の表情は相変わらず柔和だ。
 私は車道に向き直る。現在、車は通っていない。右を見て、左を見て、もう一回右を見る。どちらの方向にも、車は影も形もない。
「ああ、やっとだ」
 やっとこの車道を横断できる。向かいの歩道まで行ける。私は口角を持ち上がるのを感じながら、まずは右足で車道を踏みしめ、続いて左足をその隣に置いた。
 刹那、私のすぐ右側の空間に一台の大型トラックが忽然と出現し、猛然と私にぶつかって天高く撥ね上げた。
 薄れゆく視界に映るのは、車道を遠ざかっていく大型トラック、軽やかな足取りで車道を横断する老爺――とこしえの闇。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

塵埃抄

阿波野治
大衆娯楽
掌編集になります。過去に書いた原稿用紙二枚程度の掌編を加筆修正して投稿していきます。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【短編】怖い話のけいじばん【体験談】

松本うみ(意味怖ちゃん)
ホラー
1分で読める、様々な怖い体験談が書き込まれていく掲示板です。全て1話で完結するように書き込むので、どこから読み始めても大丈夫。 スキマ時間にも読める、シンプルなプチホラーとしてどうぞ。

熾ーおこりー

ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】  幕末一の剣客集団、新撰組。  疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。  組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。  志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー ※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です 【登場人物】(ネタバレを含みます) 原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派) 芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。 沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派) 山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派) 土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派) 近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。 井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。 新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある 平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派) 平間(水戸派) 野口(水戸派) (画像・速水御舟「炎舞」部分)

【本当にあった怖い話】

ねこぽて
ホラー
※実話怪談や本当にあった怖い話など、 取材や実体験を元に構成されております。 【ご朗読について】 申請などは特に必要ありませんが、 引用元への記載をお願い致します。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

処理中です...