どうせみんな死ぬ

阿波野治

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惑いの森 中編

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 リーファと名乗った妖精の案内のもと、私たちは言葉を交わしながら道なき道を進む。彼女は私の肩に乗ることもあれば、私の周囲を飛び回ることもあった。
 話題は多岐に亘った。これについて話してほしい、という具体的な指定がなかったため、思いつくままに語った結果だった。日常生活のこと、初恋の記憶、幼少時の思い出。それら全てが、生まれて以来森の外に出たことがないリーファには興味深いらしかった。
 一時間ほど歩いて、小休止をするべく大樹の根本に腰を下ろした。
「リーファ、一ついいかな」
 この機会に、気になっていたことを訊いてみる。
「君と出会った時、君は『森の中に人間がいるのは珍しい』と言っていたよね。それは本当かい?」
「うん、ほんとうだよ。わたしがじっさいにこの目で見た人間は、あなたがはじめて」
「私が初めて……?」
 リーファは頷いた。にわかには信じられない。
「あのね、リーファ。リーファは知らないだろうけど、人間たちの間では、この森は『惑いの森』と呼ばれていて、足を踏み入れると脱出は不可能と言われているんだ。私のように道を見失って、さ迷い歩いている人間を見かけたことはない?」
「ないよ。ずっと昔に、森の中を歩いている人間を見たっていう話を仲間から聞いたことならあるけど」
 本当だろうか。食い下がろうとした矢先、リーファは付言した。
「さ迷い歩いている人間はいたかもしれないけど、森は広くて、わたしはちっぽけだから、出会えなかったんじゃないかなぁ」
 出会わなかった、ではなく、出会えなかった。その言い回しに込められた感情を察した瞬間、私は彼女を追及する意欲を失っていた。
 リーファはどれくらいの期間、孤独に暮らしてきたのだろう? 恐らく、これまでの人生の大半に違いない。初めて見る人間に声をかけてきたのは、交換条件として話をすることを要求したのは、彼女の境遇に起因するところが大きいのだろう。
 歩くのを再開してからも、リーファと交わした約束に基づき、引き続き話し手としての役割に徹した。話題はやがて、私が「足を踏み入れたら二度と出られない」と言われている森を通り抜けてまで道を急ごうとした理由に及んだ。
「待ち合わせをしている相手は、私にとって大切な人なんだ」
「大切な人……」
「その人との待ち合わせに遅れることは、大げさに聞こえるかもしれないけど、私にとっては死を意味するといっても過言ではないから」
「そんなに大切な待ち合わせなんだ」
 言下に頷く。リーファは俯き、考え事をしているようだったが、ほどなく顔をこちらに向けた。
「あなたにとって大切なその人と、あなたはなにをするの?」
「え……?」
「待ち合わせって、待ち合わせをすること自体が目的じゃないでしょ。待ち合わせ相手と合流したあとで、その人といっしょになにかをするために待ち合わせをするんでしょ。あなたは、待ち合わせ相手となにをする予定なの? さしつかえなければ教えてほしいな」
「それは――」

 突然、激しい眩暈に襲われ、私はその場に片膝をついた。
「ちょっと、どうしたのっ!?」
 霞んだ視界に、リーファが心配そうに私の顔を覗き込んでいる姿が映った。彼女を安心させたい一心で、口角を引き上げて笑みを作る。
「大丈夫。よくあることだから。じっとしていればすぐに治るから」
 言った後で、立ち眩みに見舞われた過去を思い出せないことに気がつく。大変なことが起きている予感に、心臓が早鐘を打ち始めた。だが眩暈も、鼓動の高鳴りも、しばらく蹲っているうちに収まった。
「今日はもう、休もう。もうじき日が暮れるし、今日中に森を出るのはどっちみち無理だから」
 慰めるようなリーファの言葉に、私は首を縦に振った。尤も、最後の一言がなければ、悪足掻き程度に食い下がっていたかもしれない。

 世界の終わり、あるいは始まりのような真っ暗闇の中、私たちは夕食を摂った。私が口にしたのは、非常食として携帯していた板チョコレート。リーファにも勧めたが、彼女の口には合わなかったようだ。彼女は近くに生えていた植物の実を何粒かちぎって食べ、食事を終えた。私も一粒口にしたが、味気のない甘さが舌に感じられるばかりで、お世辞にも美味とは言い難かった。同じ甘いものでも、人間と妖精では好みが異なるらしい。
 食後は引き続き話をした。尤も、リーファは待ち合わせの件には触れようとはせず、私もその話題は避けた。
 四囲を暗黒に囲繞されているという環境の中、眩暈に襲われた一件を消化できずにいたが、不安や恐怖や寂しさは感じなかった。リーファという話し相手がいたし、彼女の淡く薔薇色に発光する翅が灯火となったからだ。
 森の中は冷え込みが厳しかった。持参していた毛布を体に巻きつけてもまだ寒い。この気温では熟睡するのは難しいかもしれない。
 寒さに必死に耐える私の胸に、不意にリーファが降り立った。どうしたのだろう、と思って見ていると、いきなり毛布の中に潜り込んだ。それだけに留まらず、服の内側に侵入する。
「どうしたんだい、リーファ。寒いの?」
「ううん。なんとなく、こうしたかったから」
「それ以上動かないでくれるかな。……くすぐったくて堪らない」
 リーファの動きが止まる。その途端、彼女がいる場所から温もりが伝わってきた。心を落ち着かせる成分を含有しているかのような、そんな温もりだ。
 あんなに小さな体でも、生きているのだ。生きているからこそ、こんなにも温かいのだ。
 思わず涙ぐんでしまった。実際に見る人間は私が初めてで、触れた人間も私が初めてのリーファも、同じようなことを思ったのだろうか。
「寝返りは打っちゃダメだよ。つぶれちゃうの、イヤだから」
 動きを止めてから大分経って、リーファが呟いた。
「しないよ。そんなことは絶対にしない」
 当たり前だ、という風に即答し、瞼を閉じた。
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