どうせみんな死ぬ

阿波野治

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 あたしのパンツの中で、なにかが小刻みに振動している。

 振動はそれほど激しくない。振動している物体は、硬くて冷たいものらしい。
 現時点で分かることは、その二つだけ。
 なにが振動しているのだろう?
 パンツの中に入る大きさの、硬くて冷たい、激しくはないが小刻みに振動する物体……。

 携帯電話だろうか?
 あたしは外出する際、携帯電話とハンカチは欠かさずハンドバッグに入れて持ち歩くようにしている。その携帯電話が、なぜパンツの中にあるのだろう。

 ……入れ間違い?
 まさか、と思ったけど、有り得なくはない。可能性は限りなくゼロに近いとは思うけど、完全にゼロではない。

 あたしは今、V駅前大通りを歩いている。
 県外に住んでいるあたしの親友が、今日、この町まで遊びに来ている。その親友を迎えに行くために、V駅へ向かっているのだ。
 駅前大通りだから、周りにはたくさんの人がいる。
 こんなところで、パンツの中を覗くわけにはいかない。
 でも、ハンドバッグの中なら覗いても大丈夫だ。

 立ち止まり、ハンドバッグのファスナーを開けてみる。
 ちゃんと携帯電話が入っていた。機種変更して間もない、あたしの携帯電話が。
 じゃあ、あたしのパンツの中で小刻みに振動しているものは、いったいなに?

 突然、着信音が鳴り出した。
 あたしのハンドバッグが微かに振動している。
 中から携帯電話を取り出す。
 神部みう。
 県外に住んでいるあたしの親友、V駅であたしの到着を待っている、神部みうからの電話だ。
 あたしは電話に出た。

「大変、大変!」

 と、神部みう。

「ちょっと、どうかしたの?」

 と、あたし。

「大変なの。なにが大変かって言うと……」
「なに? なにが大変なの?」
「あのね、あたしのパンツの中でね、正体不明のなにかが小刻みに振動しているの!」

 神部みうのその発言に、あたしは飛び上がるほど驚いた。
 あたしのパンツの中、神部みうのパンツの中、その両方でなにかが振動しているなんて!

「あたしのパンツの中で振動しているものの正体、なんなんだろうね」
 と、神部みう。

「さあ。振動しているってことは、携帯電話じゃない?」
 と、あたし。

「違うよ。だって、携帯電話なら今使ってるもん。電話するために」
「あ、そっか。えーっと、みうは携帯電話は一台しか持っていないんだったよね?」
「うん。だから、振動しているものが携帯電話じゃないのは確かだよ」
「そっかぁ」
「携帯電話じゃないとしたら、なんなのかな?」
「あたしに分かるわけないよ、みうのパンツの中のことなんて」
「そうだよね。……気になるなぁ、振動しているものの正体」
「気になるんだったら、確認してみればいいんじゃない? パンツの中を覗いて」
「無理、無理。そんなの無理」
「え? なんで?」
「だって、周りに人がたくさんいるんだよ? パンツの中を覗くなんて、恥ずかしくてできないよ。絶対無理」
「だったら、人がいない場所まで移動して、そこで確認すればいいんじゃないかな。みうは今、V駅にいるんだよね?」
「うん、V駅。V駅の近くで、周りに人がいない場所って、どこだろう」
「駅の外に出なくても、トイレの中でよくない? 個室の中なら誰にも見られずに済むし」
「それもそうだね。じゃあ、V駅の女子トイレで待ってるから、そこで合流しようよ。それから一緒にパンツの中を確認しよう」
「なんであたしも一緒なの? パンツの中を覗くくらい、一人でできるでしょ」
「できるけど、一人だとちょっと怖いし……」
「しょうがないなぁ、みうは。じゃあ、今からそっちへ行くから、待ってて。五分くらいで着くと思う」
「五分ね、分かった。じゃあ、待ってるから。すぐに来てね」
「うん、分かった」

 神部みうは通話を切った。
 その直後、あたしは気がついた。
 神部みうのパンツの中だけじゃなくて、あたしのパンツの中でもなにかが小刻みに振動していることを、神部みうに伝えるのを忘れている!

 もう一回かけて、そのことを神部みうに伝えようか?
 迷ったけど、伝えなかったとしても支障があるとは思えない。会って、神部みうのパンツの中を確かめたあとで、「実はあたしのパンツの中でも、冷たくて硬いなにかが、激しくはないが小刻みに振動している」と打ち明ければいい。
 そして、今度はあたしのパンツの中を確認するのだ。
 勿論、神部みうと二人で。

「……急がないと」

 携帯電話をハンドバッグにしまい、V駅へと走った。



 神部みうは、V駅の女子トイレの出入り口近くの壁にもたれて、携帯電話をいじっていた。
 あたしと年齢も性別も同じ、顔も背格好もそっくりの、神部みう。
 あたしに気がつくと、神部みうは携帯電話をハンドバッグにしまい、あたしに向かって笑顔で手招きをした。
 あたしは神部みうのもとへと走った。

「早かったね。電話を切ってから、まだ三分くらいしか経ってないのに」
 と、神部みう。

「走ったからね。みうを待たせたくなかったから」
 と、あたし。

「みう、さっそくだけど、パンツの中を確認しよっか」
「そうだね」

 神部みう、あたし、の順番で女子トイレに入る。
 個室を利用している人は誰もいない。
 パンツの中を見る場所には、一番手前の個室を選んだ。
 先に入ったのが、神部みう。あとから入ってドアを閉めたのが、あたし。勿論、ドアのロックをかけることも忘れない。
 あたし、神部みうの順番で、ドアフックにハンドバッグをかける。

 神部みうは促すようにあたしの目を見つめる。あたしは頷く。
 神部みうはジーパンを膝まで下ろした。
 パンツの色は、水色。偶然にも、あたしのパンツと同じ色だ。
 なにが振動しているのかは、パンツ越しには分からない。
 振動しているものの正体を知るには、パンツの中を覗いてみるしかないみたいだ。

「じゃあ、あたしのパンツの中、一緒に覗こう」
 と、神部みう。

「うん、分かった」
 と、あたし。

 心臓がどきどきしている。
 だって、神部みうのパンツの中を覗くのは、これが初めてだったから。

 神部みうはパンツに手をかけた。
 あたしは神部みうの手に自分の手を重ねた。
 その瞬間、信じられない現象が起こった。
 神部みうの体が、あたしの体の中に入ってきたのだ。
 幽体離脱していた魂が体に戻るみたいに、すーっと、ごく自然な感じで。
 あっという間に、神部みうの体とあたしの体は一つになった。

 あたしは自分の体を見下ろす。顔を、腕を、お腹を、体のあちこちを手で触ってみる。
 おかしなところはどこもない。神部みうの体が入ってくる前のあたしの体と、全く同じだ。
 神部みうはあたしと一体化した。
 ハンドバッグを残して、あたしの体の中に入ってしまった。

 いつの間にか、パンツの中の振動は収まっている。

 あたしはジーパンを膝まで下ろし、パンツの中を覗いてみた。
 なにもなかった。
 激しくはないが小刻みに振動している、冷たくて硬いものなんて、あたしのパンツの中にはなかった。

 あたしはジーパンを履いた。
 ハンドバッグを二個ともドアフックから外し、ドアのロックを解除して個室から出る。
 洗面台で手を洗い、自分のハンドバッグのファスナーを開ける。中からハンカチを取り出し、それで手を拭く。
 真っ白なハンカチの隅には、赤い糸で刺繍が施されている。

 神部みう、という四文字が。
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