どうせみんな死ぬ

阿波野治

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 昭和元年、俺の曾祖父は自宅に地下室を造った。戦争末期は防空壕として、それ以外の時期は倉庫として利用されていた石室の中で、俺は一匹の雌犬を飼育していた。名前はフサコ。彼女の所持品によると、本名は「大野芙沙子」というらしいが、俺は人間を監禁しているのではなく犬を飼っているつもりだったので、「芙沙子」ではなく「フサコ」と呼んでいた。

 フサコと出会ったのは今から三年前。地下室の改造を完了し、獲物の物色を目的に車を走らせるのを日課にしていた俺は、早春の夕刻、田舎道を一人で歩いている少女を見かけた。一目惚れをしたというより、周りに人がいないという状況、それに背中を押されたというべきだろう。俺は道を尋ねるふりをして少女に近付き、隙を見て襲いかかった。顔面を殴打して抵抗する意志を喪失させ、四肢を縛って後部座席に押し込み、現場から走り去る。曾祖父の屋敷に帰り着くと、少女を一糸纏わぬ姿にし、地下室へ放り込んだ。こうして夢のような悪夢のような三年間が幕を開けた。

 俺はフサコを決して地下室から出さなかった。食事には残飯とドッグフードを与え、糞尿は洗面器にさせ、硬い石の床で眠らせた。そして来る日も来る日も、様々な手段を用いて彼女を虐待した。鞭打ち、水責め、通電、性的暴行――そんなところだ。

 雌犬の飼育という長年の夢を叶えたものの、俺はしっくりいかない感じを抱いていた。楽しくないわけではないのだが、何かが間違っている、そんな気がしてならなかった。では、何が間違っているのか? 俺はその答えを探し求めた。そしてある時、不意に悟った。

 俺はフサコを地下室に監禁し、機会を見付けては虐待している。いわば犬を一日中鎖に繋ぎ、頭を撫でてやる代わりに棒で殴り付けているようなものだ。それも一つの飼い方といえば飼い方だが、俺が望んでいるものとは違うのではないか。広く明るく風通しのよい室内に放し飼いにし、家族の一員として扱う。本当はそちらの飼い方を望んでいるのではないか。

 翌日、俺はフサコを地下室から出し、終日俺の自室で過ごさせた。虐待は普段通りしたが、ちゃんとした食事を与え、トイレでの排泄を許可し、布団の上で眠らせた。

 その日を境に、俺はフサコに段階的に自由を許していった。着衣を認め、体を清潔に保つ権利を保障し、娯楽を与え、虐待する頻度を減らしていく。早い話が、人間らしい暮らしを送れるようにしてやったわけだ。

 この処置に、初めフサコは戸惑い、怯え、警戒しているようだった。しかし月日が経ち、待遇改善の見返りに何も要求されないと悟ると、新たに自由を得るたびに、控えめながらも喜びの感情を表に出すようになった。

 一周年を記念して、俺が付き添うという条件付きで庭の散歩を許可してからは、時折笑顔を見せるようになった。二周年を機に、俺が寝ている時以外は地下室の外で過ごさせるようにしてからは、俺に対して無駄口を利くようになった。三周年まで一か月を切った頃には、同じテーブルに着いて食事をし、一緒にテレビを観ながら笑い転げ、俺を下の名前で呼ぶようになっていた。その時には、地下室は事実上閉鎖され、俺は彼女を虐待しなくなっていた。事情を知らない者が俺たちの日常を垣間見たならば、年齢差のある恋人同士が共同生活を送っているようにしか見えなかったに違いない。

 そして三周年を迎えた夜。ご馳走が並べられたテーブルに着いたフサコは、はにかみながら俺に言った。

「色々あったけど、ノブユキさんに出会えてよかったと心から思ってる。これからも一緒に暮らそうね。ずっと、ずーっと二人で」

 俺の心と体は歓喜に震えた。フサコ――いや芙沙子は、俺を家族だと認めてくれたのだ。俺が望んでいたのはこれだったのだ。

 翌朝、俺は芙沙子を車に乗せ、曾祖父の屋敷を発った。小一時間走り、停車したのは、三年前に彼女を拉致した田舎道。芙沙子の手を取って車外へ導き、微笑んで俺は言った。

「芙沙子もたまには一人で外を歩きたいだろう。ここで待っているから、行きたい場所へ行きなさい。ただし一時間後には帰ってくるんだよ。分かったね?」

 状況が呑み込めないのか、芙沙子はきょとんとした顔で俺を見つめていたが、やがて口元を綻ばせて頷いた。別れの言葉はなかった。俺に向かって小さく手を振り、彼女は道を歩き始めた。



 俺が芙沙子を見たのはそれが最後だった。



 俺は今、取調室で警察官から尋問を受けている。
 現在の芙沙子の様子を教えてほしい。
 幾度も訴えたが、要求は受け入れられなかった。
 その代わりに、警察官は教えてくれた。
 にわかには信じがたい話だが――。
 芙沙子は通行人に助けを求めた際、俺のことを「ノブユキさん」ではなく「変質者の男」と呼んだらしい。
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