わたしと姫人形

阿波野治

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沢倉マツバ その3

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「遊びに行って以来、ナツキさんと姫ちゃんの姿を全然見かけないから、心配になって様子を見に来たんです。丸二日も経っていないですけど、胸騒ぎがしたっていうか。体調が悪かったんですか?」
 病気が原因で寝こんでいるわけではないが、寝こんでいるのだから病気の一種なのだろう。そう判断し、うなずく。

「そうだったんですか。どこが悪いんですか? ていうか姫ちゃん、一人で平気なんですか?」
「姫は壊れた」
「えっ?」
「言葉どおりの意味」
 事情を理解してもらうためには、姫が事故に遭った経緯を説明しなければならない。精神的に厳しい作業になると予想されたが、マツバさんは誠実な人だ。きっと、いや絶対に、辛抱強く聞いてくれる。

「昨日、二人で遊園地へ行ったの。それで――」
 途切れ途切れながらも、ありのままを話した。マジケンを悪人として語るのは気が進まなかったが、理路整然とした虚偽のストーリーを創作する気力がなかったので、「マジケンに突き飛ばされたわたしの下敷きになって壊れた」と正直に伝えた。もちろん、手術に多額の費用がかかることも。

 語り終えると同時に体力の限界が訪れ、わたしはドアにもたれかかった。脳内原稿は一行も用意できていなかったので、説明には時間がかかった。マツバさんがわたしの中に光を灯してくれていなかったら、話の途中でその場にうずくまっていたかもしれない。

 マツバさんは絶句している。お金の問題が大きくのしかかっているのだ、と容易に想像がついた。
 表情を見た限り、マツバさんは痛いくらいに理解している。アルバイトをしながら学生生活を送っている身では、どんな離れ業を使ったとしても、百万円単位のお金を今日明日中には工面できないことを。工面できない以上、どんな慰めの言葉もわたしを救済し得ないことを。

 昨日と今日、わたしが浮かべたどんな表情よりも狂おしげなのではと思えるほどに激しく、マツバさんの端正な顔は歪んでいる。入念にメイクを施したとしても、ヘアスタイルに工夫を凝らしたとしても、ブランドものの服で着飾ったとしても、どう足掻いても誤魔化せない歪みかただ。
 逆に言えば、きちんと理解してくれている。大切な人を失うつらさを。助けたいのに助けてあげられない苦しさを。

 そういえば、引っ越しのことをマツバさんにはまだ伝えていない。
 姫の問題に母親との確執が絡んだことで、事態は複雑化している。説明するのが億劫だったのと、無関係のマツバさんを巻きこみたくないのとで、無意識に避けていたのかもしれない。

 そうか。マツバさんともお別れなのだ。
 そう思ったとたん、俯きがちに思い悩んでいる目の前の女性が、見た目と精神年齢を考慮すれば少女と呼んでも間違いではない女性が、たまらなく愛おしく感じられた。別れるのは嫌だ、と強く思った。
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