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初日 その7
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「姫、ごめん。ちょっとテレビ観てて」
早口で告げて椅子から立ち上がる。笑顔を向けたつもりだが、実際にはぎこちない、醜悪なものになったのだろう。姫は目を丸くしてわたしを見返した。
着信音は鳴りやまない。
廊下に出てドアを閉めたのを境に、心は急速に怒りの感情に浸食されていく。こんなことをしても無益どころか、姫に心配をかけてしまうからマイナスなのにと思いながらも、床板を踏み鳴らす歩きかたをやめられない。理性的ではない自分、下品な自分、幼稚な自分。
バスルームに入ってドアを閉め、ロックをかけて密室を完成させる。通話ボタンをタップする。
『ちょっと、ナツキ。あなた、どうしてすぐに電話に――』
「うるせぇっ、ババア!」
画面に向かって怒鳴りつける。あちらの世界にいる中年女が怯んだ気配が伝わってきた。
「かけてくるんじゃねぇよ、クソが。殺すぞ。死ねよ、ババア。わたしのところにかけてくるな。二度とだぞ、二度と。次かけてきたら、マジで殺すからな。死にたくなかったら、かけてくるな。ていうか、死ね! 死ねよ死ねよ、このクソ女! 次やったら殺す! 絶対に殺す! 一生涯わたしに関わるな……!」
通話を切る。わたしは肩で息をしている。呼吸を整えているあいだ、常に換気扇が回る音が聞こえている気がしたが、錯覚だった。
画面を食い入るように見つめる。いつまで経っても暗いままだ。
「……くそっ」
バスルームから出る。靴下が濡れてしまったので、もぎとるように脱いでかごに放りこむ。もう終わったんだ、落ち着け。そう自分に言い聞かせながらリビングに引き返す。ドアを開ける直前になってようやく、足取りから荒々しさが消えた。
姫はソファでテレビを観ていた。ドアを開けた直後の反応を見た限り、わたしの動向を気にしていたのは明らかだ。
「姫、ごめんね。心配かけちゃって。実は――」
嘘は笑ってしまうくらいスムーズに口を衝いて出た。
「実はお風呂の調子が悪くて、修理業者の人とちょっと揉めていたの。姫が入るまでには直したいと思っていたから、つい感情的になってしまって。もうすぐ二十歳の誕生日なのに、わたしったら大人気ないよね。ほんとうに大人気ない。でも、もう直ったから安心して。お風呂にはちゃんと入れるから」
姫は無表情に近い表情でそれを聞いている。
言い分に納得したのか、それともしていないのか。言い分を理解しようとしているのか、それともしていないのか。
「お湯さえ入れれば今すぐに入れるけど、今日はどうする?」
姫は十秒近くも沈黙したのち、首を横に振った。
早口で告げて椅子から立ち上がる。笑顔を向けたつもりだが、実際にはぎこちない、醜悪なものになったのだろう。姫は目を丸くしてわたしを見返した。
着信音は鳴りやまない。
廊下に出てドアを閉めたのを境に、心は急速に怒りの感情に浸食されていく。こんなことをしても無益どころか、姫に心配をかけてしまうからマイナスなのにと思いながらも、床板を踏み鳴らす歩きかたをやめられない。理性的ではない自分、下品な自分、幼稚な自分。
バスルームに入ってドアを閉め、ロックをかけて密室を完成させる。通話ボタンをタップする。
『ちょっと、ナツキ。あなた、どうしてすぐに電話に――』
「うるせぇっ、ババア!」
画面に向かって怒鳴りつける。あちらの世界にいる中年女が怯んだ気配が伝わってきた。
「かけてくるんじゃねぇよ、クソが。殺すぞ。死ねよ、ババア。わたしのところにかけてくるな。二度とだぞ、二度と。次かけてきたら、マジで殺すからな。死にたくなかったら、かけてくるな。ていうか、死ね! 死ねよ死ねよ、このクソ女! 次やったら殺す! 絶対に殺す! 一生涯わたしに関わるな……!」
通話を切る。わたしは肩で息をしている。呼吸を整えているあいだ、常に換気扇が回る音が聞こえている気がしたが、錯覚だった。
画面を食い入るように見つめる。いつまで経っても暗いままだ。
「……くそっ」
バスルームから出る。靴下が濡れてしまったので、もぎとるように脱いでかごに放りこむ。もう終わったんだ、落ち着け。そう自分に言い聞かせながらリビングに引き返す。ドアを開ける直前になってようやく、足取りから荒々しさが消えた。
姫はソファでテレビを観ていた。ドアを開けた直後の反応を見た限り、わたしの動向を気にしていたのは明らかだ。
「姫、ごめんね。心配かけちゃって。実は――」
嘘は笑ってしまうくらいスムーズに口を衝いて出た。
「実はお風呂の調子が悪くて、修理業者の人とちょっと揉めていたの。姫が入るまでには直したいと思っていたから、つい感情的になってしまって。もうすぐ二十歳の誕生日なのに、わたしったら大人気ないよね。ほんとうに大人気ない。でも、もう直ったから安心して。お風呂にはちゃんと入れるから」
姫は無表情に近い表情でそれを聞いている。
言い分に納得したのか、それともしていないのか。言い分を理解しようとしているのか、それともしていないのか。
「お湯さえ入れれば今すぐに入れるけど、今日はどうする?」
姫は十秒近くも沈黙したのち、首を横に振った。
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