僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 僕ははっとさせられた。父親に対して抱くのは不快感と不満ばかり。息子が心配なあまり口うるさくなっている、という視点を持ったことが、これまでほとんどなかったことに気がついたからだ。
 それだけ僕が精神的に未熟だったとも言えるし、心にゆとりがなかったとも言える。あえて当時の自分を擁護するなら、心情に思いを馳せる余地を持てなくなるくらい、父親がもたらすプレッシャーが悪質かつ強力なものだった、とも言えるだろう。
 ただ、いくら弁護の余地があるといっても、父親からの加害行為も見逃せない一因となって精神的な危機を迎えている身としては、自主的に不平不満を取り下げるのは癪だ。我慢することはけっきょく、次に爆発する感情の破壊力を高める結果に繋がるため、長い目で見れば逆効果なのでは、という思いもある。

 そのあたりの心理は、ある程度レイも理解しているのだろう。沈黙という回答を示した僕に対して、なにか言葉をかけるのではなく、口を噤むという対応をとった。
 しかし、その沈黙は別の意味も含んでいると、彼女の表情を直視したことで気がついた。なにかについて深く考えている顔つきなのだ。

「たとえば――これはあんまりいい案じゃないかも、とは思うんだけど」
 外れていた視線を再び僕に向けて、レイは話しはじめた。
「不平不満があるなら、誰にも見えない形で吐き出す、というのはどうだろう。紙に書くとかして。日記? エッセイ? 呼びかたはなんでもいいけど、とにかく文章の形で吐き出すの。そうしたら、愚痴っても誰にも迷惑はかけないよね。音楽とか絵とかじゃなくて文章なら、芸術に嗜みがない一般人でも形にできるから、ハードルは低いかなって思うんだけど。……どうかな?」

 不鮮明だった視界が一瞬にして晴れた。
 当時、僕は文章を書くのは好きではなく、授業以外にその機会を持たなかったといっても過言ではなかった。文系ではあるものの、作文に得意意識はまったくなかったし、教師や両親から自作の文章を褒められた記憶はない。日記をつける習慣、読書をする習慣、ともにない。早い話が、読み書きからは縁遠い生活を送ってきた。
 それなのに――いや、だからこそ、なのだろうか? 書くという表現手段に途方もなく魅力を感じた。

「書いて発散する、か……」
「お気に召さなかった?」
「正直、そそられないかな。最近は問題集を解くとかして、ただでさえペンを動かしている時間が長いから。自分の気持ちを吐き出すために書くのとは全然違うんだろうけど、気乗りはしないかなって感じ」
「まあ、そうだよね。心弾むような解決策ではないよね」
「せっかく相談にのってもらったのに、ごめん。でも、ありがとう。ほんの少し楽になったよ」

 それからの僕たちは、愚痴を言ったり聞いたりしたことなんてなかったかのように、普段と同じ調子で時間を消化した。
 レイが自らの提案に再び触れることはなかった。不評だったし、自分でも冴えたアイディアだとは思っていないし、失敗談として蒸し返す価値もない。そう判断したらしい。

 でも、それはとんだ勘違いだ。
 なぜなら、君のそのアドバイスがあったからこそ、僕はこうしてこの文章を書いているのだから。
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