38 / 77
38
しおりを挟む
レイは傘を畳み、上品に雫を切った。再びこちらを向いて、初めて異変を察知したらしく、下から覗きこむようにして僕の顔を見つめてくる。
思わず、一歩後ずさりしていた。レイは小首を傾げた。
迷いに迷った末に僕が選んだのは、
「――ごめん。わざわざ来てくれたのに悪いけど、今日は体調が悪くていっしょに遊べない。頭痛がひどくて、ゲームもできないから」
掠れも震えもなく、つかえもせず、なおかつ一言一句正確に、用意していた脳内原稿を読み上げられた。その成功が、自分がとった選択は正しいのだという思いを生み、臆することなく彼女の顔を見返すことができた。
レイは気圧されたように上体を軽くのけぞらせた。それに続いて、僕から目を逸らす。なにかを考えているらしい顔つき。僕は緊張に鼓動を高鳴らせながら彼女の言葉を待つ。
彼女はおもむろに、傘を持っているほうの手で頬をかくと、僕と目を合わせてきた。瞳には、さばさばとした諦めの色が宿っている。そのときのレイは、僕の目には、年齢のわりに精神的に成熟した人物に見えた。
「……そっか。体調が悪いなら仕方ないね。じゃあ、今日は帰る」
僕に背を向け、傘を差すか差さないか、見極めようとするように空を仰ぐ。雨雲を睨んでいた時間は五秒にも満たず、後者が選ばれた。こまかな雨が無防備な体を容赦なく濡らす。
玄関と門との中間地点に差しかかったところで、彼女の足が緩んだ。雨の匂いにのってひとり言が流れてきた。
「最初から雨天中止にしておけばよかった。そうすれば濡れずに済んだのに……」
胸を思い切り突かれたような衝撃を感じた。なにか言わなければ、という思いが腹の底からこみ上げてくる。
しかし、言葉が見つからない。
にわかに雨脚が強まった。レイはあっという間に進藤家の中に消えた。
* * *
雨はいつしか横殴りに変わっていた。
僕に向かってくる軌道だったため、体は濡れ、のみならず家の中にも降りこんでいる。この発見にようやく我に返り、慌てて中に入ってドアを閉めた。
上がり框に腰を下ろしてため息をつく。三和土はドアに近い領域が少し濡れている。
他者とまともにしゃべれず、コミュニケーションをとることを恐れている僕にとって、玄関は安心できる場所ではない。未知の人間が聖域に侵入するための入場口だからだ。
こんな場所に長々といたくない。速やかに遠ざかりたい。
本音とはうらはらに、僕は玄関に居座りつづけている。どうしてこんなことをしているのか、自分でも分からないままに。
体感としては半時間近く座っていた気もするが、実際ははるかに短かったと思う。
僕は小さくため息をついて腰を上げ、応接間へ向かう。玄関に隣接した南向きの一室だ。
上がり框に座りこんでからずっと、自分がなにをしたいのかが自分でも分からなかった。しかし、今になって振り返れば、動機は笑ってしまうくらいに単純明快だ。
応接間は、進藤家の玄関先がよく見える位置にある。
長大な窓にかかったカーテンを左右に開く。視線は自ずと進藤家に吸い寄せられる。
息を呑んだ。
進藤家の開け放たれた門に背に、レイが佇んでいるのだ。雨が降りしきる中、傘も差さずに。
思わず、一歩後ずさりしていた。レイは小首を傾げた。
迷いに迷った末に僕が選んだのは、
「――ごめん。わざわざ来てくれたのに悪いけど、今日は体調が悪くていっしょに遊べない。頭痛がひどくて、ゲームもできないから」
掠れも震えもなく、つかえもせず、なおかつ一言一句正確に、用意していた脳内原稿を読み上げられた。その成功が、自分がとった選択は正しいのだという思いを生み、臆することなく彼女の顔を見返すことができた。
レイは気圧されたように上体を軽くのけぞらせた。それに続いて、僕から目を逸らす。なにかを考えているらしい顔つき。僕は緊張に鼓動を高鳴らせながら彼女の言葉を待つ。
彼女はおもむろに、傘を持っているほうの手で頬をかくと、僕と目を合わせてきた。瞳には、さばさばとした諦めの色が宿っている。そのときのレイは、僕の目には、年齢のわりに精神的に成熟した人物に見えた。
「……そっか。体調が悪いなら仕方ないね。じゃあ、今日は帰る」
僕に背を向け、傘を差すか差さないか、見極めようとするように空を仰ぐ。雨雲を睨んでいた時間は五秒にも満たず、後者が選ばれた。こまかな雨が無防備な体を容赦なく濡らす。
玄関と門との中間地点に差しかかったところで、彼女の足が緩んだ。雨の匂いにのってひとり言が流れてきた。
「最初から雨天中止にしておけばよかった。そうすれば濡れずに済んだのに……」
胸を思い切り突かれたような衝撃を感じた。なにか言わなければ、という思いが腹の底からこみ上げてくる。
しかし、言葉が見つからない。
にわかに雨脚が強まった。レイはあっという間に進藤家の中に消えた。
* * *
雨はいつしか横殴りに変わっていた。
僕に向かってくる軌道だったため、体は濡れ、のみならず家の中にも降りこんでいる。この発見にようやく我に返り、慌てて中に入ってドアを閉めた。
上がり框に腰を下ろしてため息をつく。三和土はドアに近い領域が少し濡れている。
他者とまともにしゃべれず、コミュニケーションをとることを恐れている僕にとって、玄関は安心できる場所ではない。未知の人間が聖域に侵入するための入場口だからだ。
こんな場所に長々といたくない。速やかに遠ざかりたい。
本音とはうらはらに、僕は玄関に居座りつづけている。どうしてこんなことをしているのか、自分でも分からないままに。
体感としては半時間近く座っていた気もするが、実際ははるかに短かったと思う。
僕は小さくため息をついて腰を上げ、応接間へ向かう。玄関に隣接した南向きの一室だ。
上がり框に座りこんでからずっと、自分がなにをしたいのかが自分でも分からなかった。しかし、今になって振り返れば、動機は笑ってしまうくらいに単純明快だ。
応接間は、進藤家の玄関先がよく見える位置にある。
長大な窓にかかったカーテンを左右に開く。視線は自ずと進藤家に吸い寄せられる。
息を呑んだ。
進藤家の開け放たれた門に背に、レイが佇んでいるのだ。雨が降りしきる中、傘も差さずに。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる