僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 いつの間にか作業の手は止まっていた。
 目頭が熱い。
 少し滲んだ視界には、地面に横たえられた草刈り鎌が映っている。葉っぱの切れ端と少量の土を付着させた、銀色の刃。安物の、ところどころに錆が浮いた、お世辞にも切れ味がいいとはいえない刃。
 その刃から、目が離せない。
 世界からはいっさいの音声と、自分以外の生き物の気配が途絶えている。人と交わることを苦手にしている僕にとって、ある意味では楽園のはずなのに、世界の終末を連想した。鎌の柄に掴む右手に力がこもる。

「――曽我!」
 はっとして顔を上げた。
 振り向いた視線の先には、進藤レイがいた。
 曽我家の入り口の門の近くで、両足は敷地内の地面を踏んでいる。瞳を正円に見開き、唇に少し隙間を作って僕を見つめている。シャツにジーンズ、持参する荷物が減っても使われつづけている大きな黒いリュックサック。
 普段どおりのその姿を見て、草刈りに苦戦しているうちに約束の時間を過ぎていたのだ、と気がついた。

「ああ、ごめん。庭で気配がするけど姿が見えなかったから、無断で入っちゃった。庭木が障害物になって見えなかっただけで、近くにいたんだね。先に呼びかけてみればよかったかな」
 レイは指で頬をかいた。僕たちの距離は五メートルも隔たっていない。

 泥だらけの軍手を両手にはめ、みすぼらしい鎌を手にして座りこんでいる自分が、急に恥ずかしくなった。投げ捨てたくなったが、それも幼稚な真似だという気がして思い留まる。心境を一言で表すなら、居たたまれない。
 親に文句を言える立場ではないくせに、草刈りに駄々をこねた自分……。
 たかが草刈りがきっかけで、自殺まで意識した自分……。
 見られたくない自分をレイに目撃された気がして、それがたまらなく恥ずかしくて、穴があったら入りたくて、いっそのこと死にたい気分ですらあった。

 レイが「入ってもいい?」と目で問うてくる。うなずくと、歩み寄ってきた。雑草を刈りとれる程度には鋭利なものを手にしたまま会話したくなくて、足元に置く。汚れた手袋も捨ててしまいたかったが、それよりも先にレイが僕の目の前でしゃがんだので、機会を逸した。
 部屋で過ごしているときは、もっぱら端と端に位置をとっていた。庭で相対した今は室内よりも近く、ただ息を吸うだけでレイの髪の毛の匂いを濃密に感じる。
 レイは手袋を凝視し、打ち捨てられた鎌に一瞥をくれ、最後に僕の顔を直視した。 

「草刈り、してたんだ。手伝い?」
「見てのとおりね」
「偉いね。あたし、親に命じられてもしないと思う。うちの庭はこんなに広くないけど、それでも嫌だな」
「無理矢理やらされているだけだから、偉くないよ。僕、ほら、ニートだからさ。こういうこともやらないと、居場所がないというか、存在価値が……ね」

 存在価値などという大仰な表現を使ったのは、さっきまで泥濘に徐々に沈んでいくような懊悩の中にいた影響だ。
 レイは口をつぐんだが、沈黙していた時間は三秒にも満たなかった。
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