僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 大変だし、面倒だし、疲れるから、気乗りはしないが、曽我家のルールなのだからまあ仕方ない。機嫌とりの意味もこめて、自分の分の仕事はちゃんとやっておこう。
 それが庭の草刈りに対する僕のスタンスだったのだが、今日になっていきなり作業を命じてきたのはむかついた。承服しかねた。
 僕はニートだが、その日のタイムスケジュールは毎日だいたい決まっている。それを乱されたのがたまらなく不愉快だったし、当日になって伝えるというのが、大げさかもしれないが、曽我大輔という一個人の人格を軽視した行為のように思えて、腹が立った。ニートである現状や将来の進路についてとやかく言わない――交わしたはずの約束を平気で破る父親に対する不信感が、それらのネガティブな感情に拍車をかけた。

『悪いけど、庭の草刈りをしておいてくれ。今日の夜、私が帰ってくるまでならいつやってくれてもいい。任せたぞ』

 送りつけられたばかりの言葉が脳内でリフレインする。
「悪いけど」には心がこもっていないし、「いつやってくれてもいい」はニートという身分を遠回しにあざ笑っているとしか思えなかったし、「任せたぞ」の押しつけがましさには虫唾が走る。父親が発した言葉というよりも、父親にまつわるなにもかもがただひたすらに不愉快で、
「嫌だ」
 と僕は返した。

 場が緊迫感を孕んだ沈黙に満たされたのはせいぜい数秒間で、父親は眉をひそめて「どうしてだ」と問うた。それを号砲に、売り言葉に買い言葉の不毛なキャッチボールが父子のあいだでくり広げられた。
 着地点が見えない、果てしない言葉の応酬は、けっきょく、僕が渋々ながらも命令に服従する意を表明したことで決着した。
 根負けしたのではない。譲歩したのだ。父親の要求は傲慢だし、無礼だし、正義に反するが、今回のところは譲歩してやろう、と。 

 判断の決め手となったのは、争いごとを長引かせたくない気持ちでも、朝食にさっさとありつきたい欲求でもなく、進藤レイの存在だった。
 仮に彼女にこの親子喧嘩の模様を報告したとしたら、「たかが草刈りくらいで」と、ため息とともに失望を表明するに違いない。あくまでも想像に過ぎないとはいえ、恥ずべきことだ。今からでも遅くないから、切り上げよう。僕の負けでいいから、こんな愚かな真似はやめよう。
 僕には進藤レイという、平日夕方になるたびに会いにきてくれる人がいる。一時間、時空間を共有してくれる人がいる。そんな喜びを、幸福を、日常的に味わっているのだから、急に草刈りを押しつけられるなどというちっぽけな不幸くらい、寛大な心で受け入れるべきだ。
 そんな二つの想いが、敗北を認める抵抗感を薄れさせ、父親の横暴に屈服する屈辱さえも承認させたのだ。

「分かったよ。やるよ。やればいいんだろ」
 さも不機嫌そうに吐き捨てて、何分かぶりにトーストにマーガリンを塗布する作業を再開した。すでに塗りつけ、変色している表面にも、それを承知で塗り重ねる。譲歩してやったんだからこのくらいの無駄づかいはしてもいいだろうという、我ながらちっぽけすぎる反抗。
 あまりにも唐突に負けを認めたように感じられたのだろう。父親は当惑気味に僕を見つめていたが、やがて「任せたぞ」と言い残してダイニングを去った。
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