僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 しかし当時の僕は、家族相手にすらも口をきく気力を失いつつあった。進路に関して、不愉快なことを言われて言い返した記憶は、入念に掘り起こしても二つか三つしか見つけられない。

 父親は、僕が返事をするべき場面で黙ったり、言葉ではなく首を縦か横に振るしぐさで代替したりするたびに、僕が大嫌いな言葉を持ち出して非難した。
『ちゃんと返事をしなさい。そんな態度では社会に通用しないぞ』
 この場合に父親が言う「社会」とは、家の外の世界、すなわち学校や職場を指す。父親は、息子のささいな言動でさえも、「社会に出るための準備」という観点から見つめているのだ。

 もともと、身内のマナー違反には口うるさく改善を要求する人ではあったが、あの時代の父親は病的なまでに神経質だった。
 無理もない。我が子が普通の道から外れたというのに、心中穏やかでいられる親がいるはずがない。
 当時から時間が経って、少し大人になって、客観的に過去を眺められるようになった今では、父親の心中を慮れる。しかし、あのころの自分にそんな余裕はなかった。

 そんなこと、言われなくても分かってる。頼むから黙っていてくれ。僕は高校を自主退学する羽目になるという、ショックの大きい体験をしたばかりなんだ。心に深い傷を負って、それを癒す時間が必要なのだから、しばらくはそっとしておいてくれよ。傷口をえぐるような真似はやめてくれ。あんたは僕の父親だろう。過去に僕をいじめたやつらがしたようなことを、親のあんたがしないでくれ。お願いだから、僕のことは放っておいてくれ。あんたは「ぶらぶらしている」と僕を責めるが、高卒認定試験に向けて受験勉強をしているじゃないか。やることはやっているじゃないか。それなのに、どうして、口うるさく文句をつけてくるんだ。息子をいじめるのがそんなのに楽しいのかよ。どうすれば、あんたは満足なんだ。僕はたしかに学校には行っていないし、働いてもいないが、受験勉強をしている。励んでいるというほど熱心に取り組んではいないかもしれないが、試験の難易度を考慮して、ほどほどにがんばるようにしているだけだ。手を抜いているわけじゃない。それなのにあんたは、それを怠慢だと決めつける。そんなのは間違っている。僕はちゃんと努力しているじゃないか。認めてくれよ。肯定してくれよ。どうしてそう悪いほうにばかり受けとるんだ。僕は僕なりに努力しているのに――。

 両親は僕を理解してくれない。
 生きていてもなに一ついいことはない。
 未来は暗い。
 それでも、高卒認定試験の合格という目標を見据えて、日々をなんとか生きている。
 それが十六歳から十七歳にかけての僕だった。
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