少女と物語と少女の物語

阿波野治

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雨の帰り道①

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 梅雨入り後数日は決まって晴天の日が続く傾向がある。今年もその御多分に洩れず、雨が降ったのは四日後のことだった。
 その日の福永さんたちは普段にも増して陰湿だった。暗鬱な気候も一因かもしれないが、それはあくまで副因に過ぎない。

「増田さん、小説を書くのはもうやめちゃったの? 私たちがちょっと騒いだだけで?」

 彼女たちはどうやら、小説を書かなくなった事実を指摘すれば、わたしに最も精神的なダメージを与えられると悟ったらしかった。

「増田さん、小説が好きなんじゃないの? 小説家を志しているんじゃなくて、満たされない欲求を満たすために書いていただけだから、無理に書かなくても平気ってこと? そういうのって、なんかダサくない?」

 福永さんは、どんな言葉を選べばわたしの心に深く突き刺さるのかを完全に把握していた。

「あれ、目、潤んでない? 泣いてるの?」
「泣かすのはまずいって。担任に怒られちゃう」

 目頭に滲んだものを目敏く認めて、福永さんのグループの女子たちははしゃいだような声を上げた。それから三十秒後に休み時間終了を告げるチャイムが鳴っていなければ、潤いは雫と化し、頬を滑り落ちていたに違いない。
 唯一の楽しみと言っても過言ではない小説が書けなくなり、からかいはエスカレートする一方。このままでは、大げさではなく、わたしは壊れてしまうかもしれない。
 わたしが縋りつくべき相手は、平間さんしかいない。

 しかし、行動を起こすのには躊躇いがあった。昨日の昼休み、平間さんはわたしを鬱陶しがる素振りを見せることこそなかったが、わたしと過ごす時間を心から楽しんでいる様子ではなかった。そこが引っかかった。
 わたしと付き合いたくないならば、もっともらしい言い訳を用意して、あるいはストレートに、「昼食を一緒に食べないか」という誘いを断ったに違いない。そもそも、泣いているわたしに声をかけたり、メールアドレスを教えたりしなかっただろう。感情を積極的に表に出そうとしない人だが、これまでの言動を見れば、わたしに一定以上の好意を抱いてくれているのは間違いない。相談に乗ってほしい旨をメールで伝えても、素っ気ない対応をされることはないはずだ。
 そう自らに言い聞かせたものの、一抹の懸念は消えない。懸念を消せない以上、臆病者のわたしは動き出せない。

 やがて放課後を迎えた。
 福永さんたちに負わされた一日分の精神的なダメージと、小さな一歩ですら踏み出せない自己嫌悪、そして雨模様の憂鬱さとの三重苦で、気分は最悪だった。
 この調子だと、もしかしたら、明日学校を休んでしまうかもしれない。それがきっかけで不登校に陥りでもしたら、二度と平間さんに会えなくなる。でも、学校へ行かなくなれば、福永さんたちからからかわれることはなくなるのだから、平間さんに縋る必要もなくなる。だからといって、平間さんに会えなくなるのは……。
 昇降口の前まで来て、思わず足が止まった。思いがけない人の姿を認めたからだ。下駄箱の側面に背中を預け、腕を組んでいる。表情のない、それでいてどこか物憂げな顔で、雨が降りしきる模様を眺めている。

「平間さん」

 声に反応し、彼女は体ごと振り向いた。わたしを認めても表情一つ変えない。こちらから距離を縮める。

「平間さんとこんなところで会うなんて。びっくりした」
「増田は今から帰りなの? 平間さんは?」
「雨宿り中。雨が強かったから、弱くなるまで待とうと思っていたら、逆にますます強くなって、判断ミスを悔やんでいたところ」
「……だったら」

 手にしていた水色の傘を顔の高さに掲げる。

「よかったら、入っていく? 平間さんが嫌じゃないなら、是非」
「嫌どころか、ありがたい。でも、家の方向が……」

 教え合った結果、同じ方角に自宅があることが分かった。
「だったら、入れてもらおうかな」

 正反対の方向だったとしても、わたしは全然構わないよ。心の中で呟き、水色の花を咲かせる。平間さんは私よりもずっと背が高いので、そのことに注意しながら頭上にかざす。彼女はその下に入ると、わたしの右手ごと柄を掴んだ。ひゃあ、という声を思わず発してしまう。

「ごめん、傘を持とうと思って。入れてもらったんだから、それくらいのことはやらないと」
「ありがとう。じゃあ、行こうか」

 頷き合い、歩き出す。外に一歩出た途端、無数の雨粒が一斉に襲いかかってきた。平間さんの手が触れた部分が温かく、鼓動が少し速い。
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