キスで終わる物語

阿波野治

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一日目

一抹の懸念

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 今日は朝から慌ただしかった。真綾と言葉を交わしながら、ゆっくりと食事をしたいところだったが、同僚たちがそれを許さない。学生が転校生に対してするように、陽奈子を質問攻めにしたのだ。真綾は一対一か、あるいは自分が中心となって陽奈子と話したいらしかったが、そんなことはお構いなしに。
 目上の人間の意思を尊重しないのはいかがなものか、と思ったが、真綾は不快感を示すどころか、にこやかに一同の言葉に耳を傾けている。だから陽奈子は、心置きなく同僚たちとの会話に臨むことができた。

 彼女たちが投げかけてくる問いは、道中に車内で弥生が発したのとおおむね同じで、回答する意欲を持ちにくかった。それには目を瞑るにしても、四方八方から異なる内容の質問を同時に投げかけてくるのには閉口した。悪気はないのは分かるし、賑やかだとも言えるが、不躾さと紙一重の賑やかさなのは間違いなかった。
 事前にみんなから質問を募集しておいて、代表者が一つずつ訊いてくれれば楽なのに。
 心の中で、愚痴じみた言葉を吐かずにはいられなかった。
 そんな中、メイドの一人が何気なく口にした言葉に、陽奈子は驚かされた。

「えっ? この家に今住んでいる小柳家の人間って、真綾一人なの?」

 陽奈子がいきなり大声を発したので、真綾は驚きのあまりむせた。隣にいたメイドが慌てて真綾の分の紙コップを差し出す。何口か飲んで喉を潤し、深く息を吐き、真綾は説明した。

「そうなの。四年前に、パパとママが仕事の関係でロンドンに移り住んで、それ以来ずっと。そのときわたしは小学校に入ったばかりで、海外で暮らすのは難しかったから」

 真綾の表情からは、感情を巧みに抑えている気配が窺えた。

「お父さんとお母さんの紹介がなかったから、おかしいなとは思っていたんですけど、そういう事情があったんですね。……寂しくないんですか?」
「もちろん寂しいけど、その代わり、みんながいてくれるから」

 口元を綻ばせ、自らを取り巻くメイドたちの顔を見回す。その視線を、誰もが柔らかく微笑んで受け止めた。

「実を言うと、お屋敷で働く人がここまで増えたのは、パパとママがロンドンに行ってからなの。人が少ないと、家が広く感じられて寂しいでしょ。だからわたしのわがままで、メイドさんの数を増やしてほしいって」
『わがままなんかじゃないです!』

 苦笑混じりの真綾の言葉に、言下に反論を述べた者たちがいる。真綾の背後に座っていた、ミアとノアだ。

「当時のお嬢さまくらいの年齢の子供で、両親と離れ離れになって寂しいと思わない子なんて、世界中どこを探したっていませんよ」
「こんなに広い家なんですから、今くらいの人数がちょうどいいと思います。昔が少なすぎただけです」

 二人の意見に、他のメイドたちは口々に賛意を表明する。真綾はくすぐったそうな表情でそれを聞いていたが、やがておもむろに一同の顔を見回し、

「ありがとう」

 小声だが、はっきりとした口調で謝意を伝えた。
 真綾を励ますメイドたちの表情や言葉からは、悪い意味で彼女に気をつかっている気配は読み取れなかった。
 人が誰かから敬愛されたり、誰かを敬愛したりする光景を見ると、温もりに満ちた幸福感が込み上げてくるものだが、メイドたちの反応を見た陽奈子はそれに近い気持ちになった。真綾が両親と離れて暮らしているという、重大な事実を車中で話さなかった弥生の怠慢を、遠回しに非難しようという考えは雲散霧消した。

 そういえば、弥生の声をずっと聞かないけど、どこにいるのだろう。
 怪訝に思って姿を探すと、弥生は陽奈子たちからは少し離れた場所で、琴音と向かい合って話をしていた。弥生は明るい表情で、盛んに唇を動かしているが、琴音は無表情に近く、口数も少ないようだ。険悪とまでは言えないものの、友人同士が談笑しているという雰囲気では明らかにない。

 琴音と弥生のすぐ隣には、彼女たちに背を向けて華菜が座っている。顔は誰のほうにも向いていない。視線は花壇の花々へと注がれているが、対象に注意を払っているわけではないように見える。
 孤立した姿を晒している華菜ではあったが、一人でいることを苦にしている様子は感じられない。孤独感を巧みに隠しているのか、実際に感じていないのか。性格的に、集団から外れている者には積極的に声をかける性格に思える弥生が、華菜の傍にいながら干渉する素振りを一切見せないということは、後者なのかもしれない。

 騒がしいが楽しいお喋りと、文句なしに美味しい食事のお陰で、陽奈子は満足がいくひとときを過ごすことができた。
 唯一、一人きりでいる華菜の姿が心に影を落とした。
 誰とどう過ごすかは個人の勝手なのだから、好きにすればいい。
 そうは思うものの、華菜はルームメイトとなる相手だから、やはり気になる。
 声をかけるタイミングを窺ったが、陽奈子に話しかけてくるメイドたちの熱心さに隙を見つけられず、花壇での昼食はお開きとなった。
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