4 / 49
一日目
華菜との会話
しおりを挟む
「挨拶も終わったところで、これからどうする?」
両者の上体の角度が元に戻ったタイミングを見計らって、弥生が口を出した。
「とりあえず、お嬢さまに顔見せかな」
「荷物を部屋に置いてからね。それに、着替えてからでないと、そんな恰好では……」
言葉を返したのは琴音だ。視線の先にあるのは、陽奈子が胸に抱いたウサギのぬいぐるみ。華菜も同じものを見ている。
「それもそうか。じゃあ、まずは自室に陽奈子を案内しなきゃ、だね。琴音、陽奈子の部屋はどこになるんだっけ?」
「華菜が案内するから、弥生は自分の仕事に戻りなさい」
えー、という、あからさまに不服そうな弥生の声。
「案内役が一人でも二人でも、別にいいのに」
「いいえ、一人で充分。あなたができることで、真綾さまのためになることは他にあるはずよ」
「私も見たいんだけどな、お嬢さまと陽奈子の感動の再会を。……駄目?」
「見なくて結構」
微かに苛立ちが混じった声でぴしゃりと遮る。弥生は苦笑するとともに肩を竦め、陽奈子のほうを向く。
「というわけで、私はこのへんでお暇させてもらうね。日中は大抵、カーポートで車を弄っているから、休憩時間に気軽に遊びに来て。琴音に虐められたときに避難先として利用してくれてもいいし」
弥生は意味ありげに琴音に微笑みかけたが、微笑みかけられたほうはそれには取り合わない。
「仕事はきついかもしれないけど、頑張ってね。まったねー」
にこやかに手を振りながら来た道を引き返す。後ろ姿がドアの向こうに消えると、琴音はため息をついて華菜に向き直った。
「陽奈子に自室を案内してあげて。荷物を置いて、着替えが済んだら、すぐに真綾さまの部屋まで連れてくること。私は先に真綾さまのところへ行って、陽奈子が来たことを報告しておきます。待たせられないから、なるべく早くね」
「分かりました」
琴音は頷き、陽奈子を一瞥したが、なにも言わずに階段を上り始めた。二人は遠ざかる背中を見送る。部屋の前をことごとく素通りし、フロアの奥へと姿を消した。
「なんていうか、おっかなさそうな人だね」
視野から琴音が消えてすぐ、陽奈子は華菜に話しかけた。
「一回電話で話をしたことがあるんだけど、そのときとちょっと雰囲気が違う気がする。下の名前で呼べって言ったけど、そうしたら多分怒るんじゃないかなぁ、あの人」
「では、部屋に案内します。はぐれるとお互いに困るので、ちゃんとついてきてください」
華菜は事務的な口調で述べ、螺旋階段を上り始めた。
あまりにも綺麗に発言を看過されたので、困惑してしまった。しかし、迷子になるのは避けたい。ほんの小さく首を傾げ、黙って後ろに従った。
二階に着くと、華菜は琴音が消えた方角へとフロアを進んだ。すぐにまた階段を上り、三階の廊下を歩く。
「華菜は琴音と仲がいいの?」
話しかけると、華菜は足を止めて質問者を見返した。なぜそんな質問をしたのかと、表情のない瞳が問うている。
「だってほら、同じ部屋から一緒に出てきたでしょ。華菜って、なんの肩書きも持っていない一介のメイドなんだよね。それなのに一番偉いメイドと一緒にいたから、そういうことなのかなと思って」
返事を待ったが、華菜は黙ったままだ。仲がいいか否かを訊いているだけなのに、返答に迷うのはなぜなのだろう。
十秒ほどが経って、華菜は進行方向に顔を戻して歩き出した。一言も発しなかったどころか、閉じた唇に隙間が生じることさえなかった。
この華菜って子は、あたしの記憶が定かなら、さっき自分の口で自己紹介をしたはずだ。あれは空耳で、本当は喋れないのだろうか?
陽奈子は小柳家での生活が急に不安になってきた。
突き当たりから二番目の部屋のドアの前で華菜は足を止めた。ポケットに入れていたキーで開錠し、無言で陽奈子を見つめる。先に入れ、という意味らしい。
二十畳ほどの広さの一室だ。日当たりが良好で、清掃も行き届いている。一介の使用人の自室にするには贅沢すぎる部屋だ、という感想を陽奈子は持った。
同時に、違和感も覚えた。
部屋の奥に置かれている本棚に、既に何冊もの書籍が収納されているのだ。事前に家具が用意されているのは別に不自然ではないが、なぜ中身まで入っているのか。それに、置かれているベッドが一台ではなく、二台なのも解せない。
――まさか。
華菜に眼差しを投げかける。心の中を見透かしたかのように、即座に言葉が返ってきた。
「ここは私の自室で、今日からは陽奈子と共同で使う形になるわ。新人の子は誰でも、先輩と相部屋という決まりになっているから、悪く思わないで」
陽奈子はどうリアクションすればいいか分からない。
あたしはこの子と上手くやっていけるのだろうか?
「荷物を置いたら、着替えて、お嬢さまの部屋まで行きましょう」
華菜はクローゼットに歩み寄り、戸を開いた。琴音や華菜が着用しているのと同じメイド服が数着、ハンガーに吊るされている。
車に長時間乗って、着いたと思ったら直ちに雇い主に顔見せ。それが終わればすぐに仕事に取りかからなければならない。
ちょっとしんどいな。
率直に言えば、それが本音だ。
しかし、それは昨日までニートだった人間の主観。自分の方が世間一般の感覚からずれているのだと、陽奈子はちゃんと理解している。
今日から働く人間になるのだ。真綾や、他の人たちに迷惑をかけないためにも、しんどいなんて言っていられない。もう、甘えることは許されないのだ。
華菜は奥のベッドを使っているとのことだったので、手前のベッドの上にスポーツバッグを置き、ヘッドボードに与太郎を置く。華菜がクローゼットから取り出した服を持ってきた。視線は与太郎に注がれている。
「あ、気になる? この子、与太郎っていう名前なんだけど――」
「お嬢さまを待たせるといけないから、着替えは早くお願いね」
華菜はさっさと部屋から出て行き、ドアが閉まった。
陽奈子はため息をつき、着替えにとりかかった。
両者の上体の角度が元に戻ったタイミングを見計らって、弥生が口を出した。
「とりあえず、お嬢さまに顔見せかな」
「荷物を部屋に置いてからね。それに、着替えてからでないと、そんな恰好では……」
言葉を返したのは琴音だ。視線の先にあるのは、陽奈子が胸に抱いたウサギのぬいぐるみ。華菜も同じものを見ている。
「それもそうか。じゃあ、まずは自室に陽奈子を案内しなきゃ、だね。琴音、陽奈子の部屋はどこになるんだっけ?」
「華菜が案内するから、弥生は自分の仕事に戻りなさい」
えー、という、あからさまに不服そうな弥生の声。
「案内役が一人でも二人でも、別にいいのに」
「いいえ、一人で充分。あなたができることで、真綾さまのためになることは他にあるはずよ」
「私も見たいんだけどな、お嬢さまと陽奈子の感動の再会を。……駄目?」
「見なくて結構」
微かに苛立ちが混じった声でぴしゃりと遮る。弥生は苦笑するとともに肩を竦め、陽奈子のほうを向く。
「というわけで、私はこのへんでお暇させてもらうね。日中は大抵、カーポートで車を弄っているから、休憩時間に気軽に遊びに来て。琴音に虐められたときに避難先として利用してくれてもいいし」
弥生は意味ありげに琴音に微笑みかけたが、微笑みかけられたほうはそれには取り合わない。
「仕事はきついかもしれないけど、頑張ってね。まったねー」
にこやかに手を振りながら来た道を引き返す。後ろ姿がドアの向こうに消えると、琴音はため息をついて華菜に向き直った。
「陽奈子に自室を案内してあげて。荷物を置いて、着替えが済んだら、すぐに真綾さまの部屋まで連れてくること。私は先に真綾さまのところへ行って、陽奈子が来たことを報告しておきます。待たせられないから、なるべく早くね」
「分かりました」
琴音は頷き、陽奈子を一瞥したが、なにも言わずに階段を上り始めた。二人は遠ざかる背中を見送る。部屋の前をことごとく素通りし、フロアの奥へと姿を消した。
「なんていうか、おっかなさそうな人だね」
視野から琴音が消えてすぐ、陽奈子は華菜に話しかけた。
「一回電話で話をしたことがあるんだけど、そのときとちょっと雰囲気が違う気がする。下の名前で呼べって言ったけど、そうしたら多分怒るんじゃないかなぁ、あの人」
「では、部屋に案内します。はぐれるとお互いに困るので、ちゃんとついてきてください」
華菜は事務的な口調で述べ、螺旋階段を上り始めた。
あまりにも綺麗に発言を看過されたので、困惑してしまった。しかし、迷子になるのは避けたい。ほんの小さく首を傾げ、黙って後ろに従った。
二階に着くと、華菜は琴音が消えた方角へとフロアを進んだ。すぐにまた階段を上り、三階の廊下を歩く。
「華菜は琴音と仲がいいの?」
話しかけると、華菜は足を止めて質問者を見返した。なぜそんな質問をしたのかと、表情のない瞳が問うている。
「だってほら、同じ部屋から一緒に出てきたでしょ。華菜って、なんの肩書きも持っていない一介のメイドなんだよね。それなのに一番偉いメイドと一緒にいたから、そういうことなのかなと思って」
返事を待ったが、華菜は黙ったままだ。仲がいいか否かを訊いているだけなのに、返答に迷うのはなぜなのだろう。
十秒ほどが経って、華菜は進行方向に顔を戻して歩き出した。一言も発しなかったどころか、閉じた唇に隙間が生じることさえなかった。
この華菜って子は、あたしの記憶が定かなら、さっき自分の口で自己紹介をしたはずだ。あれは空耳で、本当は喋れないのだろうか?
陽奈子は小柳家での生活が急に不安になってきた。
突き当たりから二番目の部屋のドアの前で華菜は足を止めた。ポケットに入れていたキーで開錠し、無言で陽奈子を見つめる。先に入れ、という意味らしい。
二十畳ほどの広さの一室だ。日当たりが良好で、清掃も行き届いている。一介の使用人の自室にするには贅沢すぎる部屋だ、という感想を陽奈子は持った。
同時に、違和感も覚えた。
部屋の奥に置かれている本棚に、既に何冊もの書籍が収納されているのだ。事前に家具が用意されているのは別に不自然ではないが、なぜ中身まで入っているのか。それに、置かれているベッドが一台ではなく、二台なのも解せない。
――まさか。
華菜に眼差しを投げかける。心の中を見透かしたかのように、即座に言葉が返ってきた。
「ここは私の自室で、今日からは陽奈子と共同で使う形になるわ。新人の子は誰でも、先輩と相部屋という決まりになっているから、悪く思わないで」
陽奈子はどうリアクションすればいいか分からない。
あたしはこの子と上手くやっていけるのだろうか?
「荷物を置いたら、着替えて、お嬢さまの部屋まで行きましょう」
華菜はクローゼットに歩み寄り、戸を開いた。琴音や華菜が着用しているのと同じメイド服が数着、ハンガーに吊るされている。
車に長時間乗って、着いたと思ったら直ちに雇い主に顔見せ。それが終わればすぐに仕事に取りかからなければならない。
ちょっとしんどいな。
率直に言えば、それが本音だ。
しかし、それは昨日までニートだった人間の主観。自分の方が世間一般の感覚からずれているのだと、陽奈子はちゃんと理解している。
今日から働く人間になるのだ。真綾や、他の人たちに迷惑をかけないためにも、しんどいなんて言っていられない。もう、甘えることは許されないのだ。
華菜は奥のベッドを使っているとのことだったので、手前のベッドの上にスポーツバッグを置き、ヘッドボードに与太郎を置く。華菜がクローゼットから取り出した服を持ってきた。視線は与太郎に注がれている。
「あ、気になる? この子、与太郎っていう名前なんだけど――」
「お嬢さまを待たせるといけないから、着替えは早くお願いね」
華菜はさっさと部屋から出て行き、ドアが閉まった。
陽奈子はため息をつき、着替えにとりかかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
王妃から夜伽を命じられたメイドのささやかな復讐
当麻月菜
恋愛
没落した貴族令嬢という過去を隠して、ロッタは王宮でメイドとして日々業務に勤しむ毎日。
でもある日、子宝に恵まれない王妃のマルガリータから国王との夜伽を命じられてしまう。
その理由は、ロッタとマルガリータの髪と目の色が同じという至極単純なもの。
ただし、夜伽を務めてもらうが側室として召し上げることは無い。所謂、使い捨ての世継ぎ製造機になれと言われたのだ。
馬鹿馬鹿しい話であるが、これは王命─── 断れば即、極刑。逃げても、極刑。
途方に暮れたロッタだけれど、そこに友人のアサギが現れて、この危機を切り抜けるとんでもない策を教えてくれるのだが……。
なりゆきで、君の体を調教中
星野しずく
恋愛
教師を目指す真が、ひょんなことからメイド喫茶で働く現役女子高生の優菜の特異体質を治す羽目に。毎夜行われるマッサージに悶える優菜と、自分の理性と戦う真面目な真の葛藤の日々が続く。やがて二人の心境には、徐々に変化が訪れ…。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる