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一日目
小柳家
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やがて曲がりくねった山道に入った。木々が道の上空に枝を伸ばし、生い茂った深緑の葉が日差しを遮断しているため、薄暗い。
「山の中にあるんですね、お家」
「うん。車で半時間かかるから、徒歩で上り下りするとなると物凄くきついの。そのお陰で、私は高い地位を保てているわけだけど」
ひたすら走り続けていると、急に窓外が明るくなった。木々のアーチを抜けたのだ。道が真っ直ぐになり、その果てに建物が佇んでいる。
「見える? あれが小柳家の屋敷」
目的地が近づくにつれて、鼓動が少しずつ速まっていく。期待、不安、喜び、悲しみ。どの感情なのかは、陽奈子自身もよく分からない。今日から自分が働くことになる建物に目と意識を奪われたため、腰を据えて正体を解析しようという気分にはなれない。
鋼鉄製のスライド式の門扉の前で車が停まる。
「開けるから、ちょっと待ってね」
弥生は運転席から降り、スーツの内側から取り出したキーで開錠する。自身の背丈を優に超える高さの門扉を両手で開く。
陽奈子は思わず感嘆の声を漏らした。
門から一直線に石造りの小道が伸び、その終点に屋敷の玄関が待ち受けている。屋根は藍色、外壁はアイボリーで、四階建て。陽奈子が一か月前まで通っていた高校の校舎よりも大きく、庭も広大だ。小道の左右には花壇が設けられ、咲き誇る花々の上空を何羽もの蝶が舞っている。
「どう? 立派な建物でしょう」
車に戻ってきた弥生が、どこか誇らしげに言った。
「そうですね、驚きました。これだけ大きくて広いと大変でしょうね。花壇の管理とか、家の中の掃除とか」
「なにを言ってるの。だから陽奈子を雇ったんじゃない」
門を潜り、敷地の左手に設けられたカーポートへと進む。一台の黒色のリムジンが駐車していて、二人が乗った車はその横に停まった。エンジンが停止し、陽奈子と弥生は車から降りる。
「黒塗りのリムジン……。生で初めて見た」
陽奈子は後部座席から下ろしたバッグを肩にかつぎ、隣に駐車された車を物珍しげに眺める。磨き上げられた車体には傷も汚れも認められず、非の打ちどころがない。
ふと気配を感じて振り向くと、弥生が腰に手を当てて微笑ましそうに陽奈子を見ていた。
「陽奈子、驚いているみたいね」
「驚くに決まってるでしょう。リムジンもそうだけど、屋敷の大きさといい、敷地の広さといい、完全にお金持ちのお家ですね」
言ったあとで、間抜けなセリフだったかなと思ったが、率直な実感なのだから仕方ない。
「確かに、真綾は良家のお嬢さまっぽい雰囲気を漂わせていたけど、まさか本当にお嬢さまだったとは」
「なにせご両親が年商億超えだからね。さあ、行きましょう」
弥生がドアを施錠する。二人は肩を並べて屋敷へ向かう。
「ちょっと待ってて」
小道まで歩を進めところで、弥生はそう断って門のほうへ駆けていった。門扉を施錠するらしい。
陽奈子は屋敷を見上げた。その大きさと外観の立派さに、改めて感嘆する。弥生が門を閉める音が後方から聞こえる。
四階の右端に、カーテンが四分の一ほど開いている窓を見つけた。なにかが動いた気がする。目を凝らすと、外の様子を窺っている者がいた。白っぽい服に、長い黒髪。
「あの子は、まさか――」
「お待たせ」
弥生が戻ってきた。目を離した隙に、窓のカーテンは閉ざされていた。
「ぼーっとしてるけど、大丈夫? 問題ないなら行くよ」
「あ、うん」
花壇の間を抜け、玄関に辿り着いた。弥生がポケットからキーを取り出してドアを開錠し、開く。ドアベルの軽やかな音色が響いた。
視界に飛び込んできたのは、大広間。床一面に真紅の絨毯が敷かれている。三階までが吹き抜けになっていて、天井から垂れ下がったシャンデリアが皓々と光を放っている。空間の両端に、上階へ行くための螺旋階段が設けられている。
「琴音! 国木田さんを連れて来たよ」
弥生が声を張り上げた。十秒ほど間があって、二階の一室のドアが開いた。
現れたのは、二人の女性。遠さのせいで顔は分からないが、一人は長髪で、一人は背が低い。どちらもメイド服に身を包んでいる。
長髪の女性を先に、小柄な女性を後ろにして、螺旋階段を下りてくる。弥生が階段へと向かい始めたので、追従する。部屋から出てきた二人が階段を下りきるのと、玄関ドアを潜った二人が上り口に辿り着いたのは、ほぼ同時だった。
「あなたが国木田陽奈子さんね」
口を開いたのは、ウェーブがかかった金髪の女性。眉は細く吊り上がり、目は切れ長で、気が強そうな印象を受ける。弥生が言ったとおり豊かな胸の持ち主で、同性の陽奈子も思わず目を瞠るプロポーションの持ち主だ。
「小柳家にようこそ。電話では言葉を交わしたけど、会うのはこれが初めてね。私はメイド長とお嬢さまの教育係を兼任している、神崎琴音といいます。あなたの上司に当たりますが、お嬢さまの方針で、小柳家で暮らす者は全員下の名前で呼び合うようになっているので、気兼ねなく琴音と呼んでくれて構いませんから。よろしくね、陽奈子」
琴音は表情を最小限和らげて微笑みかける。陽奈子は一礼してそれに応えた。
「そしてこちらが――」
自らの隣に立つ女性へと視線を移動させる。ショートボブの小柄なその女性は、怒っても、笑っても、悲しんでも、喜んでもいない瞳で陽奈子を見つめ返した。
「木下華菜です。この家で働き始めて長いので、分からないことがあれば遠慮せずに訊いてください。よろしくお願いします」
恭しく頭を下げる動きに釣り込まれて、陽奈子も深くお辞儀をした。
「山の中にあるんですね、お家」
「うん。車で半時間かかるから、徒歩で上り下りするとなると物凄くきついの。そのお陰で、私は高い地位を保てているわけだけど」
ひたすら走り続けていると、急に窓外が明るくなった。木々のアーチを抜けたのだ。道が真っ直ぐになり、その果てに建物が佇んでいる。
「見える? あれが小柳家の屋敷」
目的地が近づくにつれて、鼓動が少しずつ速まっていく。期待、不安、喜び、悲しみ。どの感情なのかは、陽奈子自身もよく分からない。今日から自分が働くことになる建物に目と意識を奪われたため、腰を据えて正体を解析しようという気分にはなれない。
鋼鉄製のスライド式の門扉の前で車が停まる。
「開けるから、ちょっと待ってね」
弥生は運転席から降り、スーツの内側から取り出したキーで開錠する。自身の背丈を優に超える高さの門扉を両手で開く。
陽奈子は思わず感嘆の声を漏らした。
門から一直線に石造りの小道が伸び、その終点に屋敷の玄関が待ち受けている。屋根は藍色、外壁はアイボリーで、四階建て。陽奈子が一か月前まで通っていた高校の校舎よりも大きく、庭も広大だ。小道の左右には花壇が設けられ、咲き誇る花々の上空を何羽もの蝶が舞っている。
「どう? 立派な建物でしょう」
車に戻ってきた弥生が、どこか誇らしげに言った。
「そうですね、驚きました。これだけ大きくて広いと大変でしょうね。花壇の管理とか、家の中の掃除とか」
「なにを言ってるの。だから陽奈子を雇ったんじゃない」
門を潜り、敷地の左手に設けられたカーポートへと進む。一台の黒色のリムジンが駐車していて、二人が乗った車はその横に停まった。エンジンが停止し、陽奈子と弥生は車から降りる。
「黒塗りのリムジン……。生で初めて見た」
陽奈子は後部座席から下ろしたバッグを肩にかつぎ、隣に駐車された車を物珍しげに眺める。磨き上げられた車体には傷も汚れも認められず、非の打ちどころがない。
ふと気配を感じて振り向くと、弥生が腰に手を当てて微笑ましそうに陽奈子を見ていた。
「陽奈子、驚いているみたいね」
「驚くに決まってるでしょう。リムジンもそうだけど、屋敷の大きさといい、敷地の広さといい、完全にお金持ちのお家ですね」
言ったあとで、間抜けなセリフだったかなと思ったが、率直な実感なのだから仕方ない。
「確かに、真綾は良家のお嬢さまっぽい雰囲気を漂わせていたけど、まさか本当にお嬢さまだったとは」
「なにせご両親が年商億超えだからね。さあ、行きましょう」
弥生がドアを施錠する。二人は肩を並べて屋敷へ向かう。
「ちょっと待ってて」
小道まで歩を進めところで、弥生はそう断って門のほうへ駆けていった。門扉を施錠するらしい。
陽奈子は屋敷を見上げた。その大きさと外観の立派さに、改めて感嘆する。弥生が門を閉める音が後方から聞こえる。
四階の右端に、カーテンが四分の一ほど開いている窓を見つけた。なにかが動いた気がする。目を凝らすと、外の様子を窺っている者がいた。白っぽい服に、長い黒髪。
「あの子は、まさか――」
「お待たせ」
弥生が戻ってきた。目を離した隙に、窓のカーテンは閉ざされていた。
「ぼーっとしてるけど、大丈夫? 問題ないなら行くよ」
「あ、うん」
花壇の間を抜け、玄関に辿り着いた。弥生がポケットからキーを取り出してドアを開錠し、開く。ドアベルの軽やかな音色が響いた。
視界に飛び込んできたのは、大広間。床一面に真紅の絨毯が敷かれている。三階までが吹き抜けになっていて、天井から垂れ下がったシャンデリアが皓々と光を放っている。空間の両端に、上階へ行くための螺旋階段が設けられている。
「琴音! 国木田さんを連れて来たよ」
弥生が声を張り上げた。十秒ほど間があって、二階の一室のドアが開いた。
現れたのは、二人の女性。遠さのせいで顔は分からないが、一人は長髪で、一人は背が低い。どちらもメイド服に身を包んでいる。
長髪の女性を先に、小柄な女性を後ろにして、螺旋階段を下りてくる。弥生が階段へと向かい始めたので、追従する。部屋から出てきた二人が階段を下りきるのと、玄関ドアを潜った二人が上り口に辿り着いたのは、ほぼ同時だった。
「あなたが国木田陽奈子さんね」
口を開いたのは、ウェーブがかかった金髪の女性。眉は細く吊り上がり、目は切れ長で、気が強そうな印象を受ける。弥生が言ったとおり豊かな胸の持ち主で、同性の陽奈子も思わず目を瞠るプロポーションの持ち主だ。
「小柳家にようこそ。電話では言葉を交わしたけど、会うのはこれが初めてね。私はメイド長とお嬢さまの教育係を兼任している、神崎琴音といいます。あなたの上司に当たりますが、お嬢さまの方針で、小柳家で暮らす者は全員下の名前で呼び合うようになっているので、気兼ねなく琴音と呼んでくれて構いませんから。よろしくね、陽奈子」
琴音は表情を最小限和らげて微笑みかける。陽奈子は一礼してそれに応えた。
「そしてこちらが――」
自らの隣に立つ女性へと視線を移動させる。ショートボブの小柄なその女性は、怒っても、笑っても、悲しんでも、喜んでもいない瞳で陽奈子を見つめ返した。
「木下華菜です。この家で働き始めて長いので、分からないことがあれば遠慮せずに訊いてください。よろしくお願いします」
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