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自宅を出ると真っ先に天を仰いだ。
憎らしいまでの快晴だ。五月下旬の朝ではあるものの、肌寒さは感じない。
いつもどおりの、いつもとは違う朝。
県道へと続く細道を道なりに進む。犬の散歩やジョギングをする人たちと擦れ違うことも多い道だけど、家を出て五分が経った時点で、まだ誰とも出会っていない。それどころか、民家の前を通っても、屋内で人が活動している気配は感じられない。朝にはつきものの鳥のさえずりが聞こえてこないから、世界は怖いくらいに静かだ。
人気がいないのは、たまたまに過ぎない。両親と真由瑠はなにか用事があって、朝早くから三人で出かけているだけ。両親は真由瑠贔屓だから、僕のことを軽視して、メッセージを残すひと手間を怠けたのだ。
世界が終わってしまった? そんな馬鹿げたことが起こるはずがない。
県道は交通量が多く、朝から多くの自動車が行き来している。県道に出さえすれば、真実が明らかになる。世界の終わりが僕のくだらない妄想だと、きっと証明してくれる。
そう信じながらも、目的地へ向かう足取りは重い。まるで二十キロもある鉄製の枷を足首に装着されているみたいだ。アスファルトの地面を踏みしめるたびに、体が小さなダメージを受けている。おまけに、軽い腹痛にまで苛まれはじめた。
これらの症状と感覚がなにを意味するのかは、考えたくもない。
だから、ただ足を交互に動かす。心を完全にまっさらにするのは無理でも、できるだけ空になるように心がけて、深閑とした道を道なりに進む。
九十度近いカーブを曲がり、県道に出る。
ああ、と思った。
片側二車線の道路を通行している自動車は、一台もない。歩道を通行している人間、走行している自転車、どちらも見当たらない。
さらには、信号が点っていない。車両用信号も、歩行者用信号も。それにとどまらず、コンビニの明かりまで。
本当は、もっと早い段階で分かっていた。カーブを曲がりきるまで県道の様子は見えなくても、音は聞こえる。カーブを歩いている最中、僕の耳は自動車の走行音を一切感知しなかった。
両脚が震えはじめた。厳密には、今までも微かに震えていたのだけど、歩くのに支障がない程度の微弱な振動に過ぎなかった。しかし、もはや一歩も歩けない。
世界が終わった。
みんな消えてしまった。
ただし、僕を除いて。
……なんなんだ。
なんなんだよ、この前代未聞の異常事態は。
「なんらかの劇的な変化が起きた」気がしたのはたしかだ。たしかだけど、それが正解って、紛れもない現実って、有り得ないだろ。
なんで、こんなことになったんだ?
みんなが消えてしまうなんて。世界が終わってしまうなんて。
僕にとって、この世界はひどくつまらないものだった。家族のことは、はっきり言って嫌いだった。愛してはいなかった。
だけど、滅びろと願ったことはない。消えろと念じたことはない。世界はひどくつまらないけど、僕が生きていかなければいけない場所。みんなのことは嫌いだし、愛してもいないけど、付き合っていかなければならないもの。そう認識していた。
それなのに、こんなことになるなんて。
路上の一点に立ち尽くしたまま、どれくらいの時間が流れたのだろう。
両脚の震えがようやく収まった。そのあいだ、通行人も、通行車両も、まったく目にしなかった。
混乱と動揺は完全には収まっていない。ただ、長い時間一点に佇みつづけたことで、分かったことが一つある。
この場に留まりつづけても、事態は一向に解決しない。それどころか、心に安心をもたらす情報に接するチャンスすら得られない。
ならば、とるべき行動は一つしかない。
「……よし」
自分を励ますように小さく声に出し、僕は歩き出した。
歩行自体に差し支えはないものの、足に充分な力をこめることが難しく、地面を踏みしめるたびに体が左右に揺れる。飲酒経験はまだないけど、酔っ払うとこんなふうになるのかもしれない。
全然楽しくない。苦しいだけだ。不味くて、悪酔いするだけの酒を、僕は飲まされた。
誰でもいい。誰だって構わないから、一秒でも早く、僕を悪夢から解放してくれ。
憎らしいまでの快晴だ。五月下旬の朝ではあるものの、肌寒さは感じない。
いつもどおりの、いつもとは違う朝。
県道へと続く細道を道なりに進む。犬の散歩やジョギングをする人たちと擦れ違うことも多い道だけど、家を出て五分が経った時点で、まだ誰とも出会っていない。それどころか、民家の前を通っても、屋内で人が活動している気配は感じられない。朝にはつきものの鳥のさえずりが聞こえてこないから、世界は怖いくらいに静かだ。
人気がいないのは、たまたまに過ぎない。両親と真由瑠はなにか用事があって、朝早くから三人で出かけているだけ。両親は真由瑠贔屓だから、僕のことを軽視して、メッセージを残すひと手間を怠けたのだ。
世界が終わってしまった? そんな馬鹿げたことが起こるはずがない。
県道は交通量が多く、朝から多くの自動車が行き来している。県道に出さえすれば、真実が明らかになる。世界の終わりが僕のくだらない妄想だと、きっと証明してくれる。
そう信じながらも、目的地へ向かう足取りは重い。まるで二十キロもある鉄製の枷を足首に装着されているみたいだ。アスファルトの地面を踏みしめるたびに、体が小さなダメージを受けている。おまけに、軽い腹痛にまで苛まれはじめた。
これらの症状と感覚がなにを意味するのかは、考えたくもない。
だから、ただ足を交互に動かす。心を完全にまっさらにするのは無理でも、できるだけ空になるように心がけて、深閑とした道を道なりに進む。
九十度近いカーブを曲がり、県道に出る。
ああ、と思った。
片側二車線の道路を通行している自動車は、一台もない。歩道を通行している人間、走行している自転車、どちらも見当たらない。
さらには、信号が点っていない。車両用信号も、歩行者用信号も。それにとどまらず、コンビニの明かりまで。
本当は、もっと早い段階で分かっていた。カーブを曲がりきるまで県道の様子は見えなくても、音は聞こえる。カーブを歩いている最中、僕の耳は自動車の走行音を一切感知しなかった。
両脚が震えはじめた。厳密には、今までも微かに震えていたのだけど、歩くのに支障がない程度の微弱な振動に過ぎなかった。しかし、もはや一歩も歩けない。
世界が終わった。
みんな消えてしまった。
ただし、僕を除いて。
……なんなんだ。
なんなんだよ、この前代未聞の異常事態は。
「なんらかの劇的な変化が起きた」気がしたのはたしかだ。たしかだけど、それが正解って、紛れもない現実って、有り得ないだろ。
なんで、こんなことになったんだ?
みんなが消えてしまうなんて。世界が終わってしまうなんて。
僕にとって、この世界はひどくつまらないものだった。家族のことは、はっきり言って嫌いだった。愛してはいなかった。
だけど、滅びろと願ったことはない。消えろと念じたことはない。世界はひどくつまらないけど、僕が生きていかなければいけない場所。みんなのことは嫌いだし、愛してもいないけど、付き合っていかなければならないもの。そう認識していた。
それなのに、こんなことになるなんて。
路上の一点に立ち尽くしたまま、どれくらいの時間が流れたのだろう。
両脚の震えがようやく収まった。そのあいだ、通行人も、通行車両も、まったく目にしなかった。
混乱と動揺は完全には収まっていない。ただ、長い時間一点に佇みつづけたことで、分かったことが一つある。
この場に留まりつづけても、事態は一向に解決しない。それどころか、心に安心をもたらす情報に接するチャンスすら得られない。
ならば、とるべき行動は一つしかない。
「……よし」
自分を励ますように小さく声に出し、僕は歩き出した。
歩行自体に差し支えはないものの、足に充分な力をこめることが難しく、地面を踏みしめるたびに体が左右に揺れる。飲酒経験はまだないけど、酔っ払うとこんなふうになるのかもしれない。
全然楽しくない。苦しいだけだ。不味くて、悪酔いするだけの酒を、僕は飲まされた。
誰でもいい。誰だって構わないから、一秒でも早く、僕を悪夢から解放してくれ。
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