塵埃抄

不明

　薄暗い地下駐車場を友人の六井と二人で歩いていると、六井が急に、自分はこの場所まで車で来たのか、それ以外の手段で来たのかが分からなくなった、と言い出した。
「移動手段を忘れる馬鹿がどこにいるんだ。駐車場のどこに車を停めたかが分からなくなったのなら、まだ分かるが」
　薄く笑いながら言葉を返したが、六井は怒りも笑いもしなかった。途方に暮れたような、切なげなその顔。どうやら本当に分からなくなってしまったらしい。
　私と六井は、駐車場に停まっている車を一台一台確かめ、六井の愛車がないかを調べ始めた。面倒なことこの上ないが、これ以外の方法が思い浮かばないのだから仕方がない。六井は窓越しに運転席を覗き込んでは、これじゃないなぁ、ちょっと違うんだよなぁ、などと呟き、首を傾げる。その顔つきは極めて深刻で、冗談を口に出来る雰囲気ではない。
　私はふと、ここはどこの駐車場だろう、と疑問に思った。私と六井は、ある目的を持ってなんらかの施設を訪れ、私たちが今いるのは、その施設専用の駐車場のはずだ。なにが目的でどこを訪れたかをど忘れしてしまうなんて、どうかしている。
「六井、ここ、どこの駐車場だっけ？」
　そう尋ねようと六井の方を向いて、息が詰まりそうになった。
　私の友人知人の中に、彼のような顔の男はいないと気がついたからだ。
　ならば、私はなぜ、この男の名前が六井だと知っているのか。
　私と六井はどういう関係なのか。私たちはいつからこの駐車場を歩いているのか。私は六井の馬鹿げた失念を笑ったが、では、私自身はこの駐車場までどうやって来たのか。
　疑問が次々に湧いてくるが、口に出してはならない気がして、なにも言えない。
　六井が先程からずっと黙っているのは、恐らく、私と同じ理由からなのだろう。