塵埃抄

嘔吐

　憧れの先輩とデートをしていたら、先輩がいきなり嘔吐した。日曜日の昼下がりの駅前大通りでのことだ。
　嘔吐物の前に蹲った先輩は、今にも二発目をリリースしそうな雰囲気を色濃く漂わせている。人混みの真ん中で膝を突いているのを怪訝に思った通行人が先輩の足元を覗き込んでは、嘔吐物を見て眉をひそめ、足早に去っていく。
　先輩の隣で俺は途方に暮れた。先輩を介抱するべきなのか、それともまず嘔吐物を片付けるべきなのか、その判断がつかなかったからだ。事故のようなものとはいえ、目の前で吐かれたことで、先輩に対する好感度は大幅に低下していた。いっそのこと、ゲロごと先輩を放置して一人で家に帰ろうか。
　そう考えた矢先、先輩に向かってケータイを構えている男の姿が目の端に映った。シャッター音がした。先輩を撮影したらしい。周囲を見回すと、男の他にも、先輩にケータイを向けている不届き者が何人かいた。
　先輩は体調が悪くて嘔吐しただけなのに、好き好んで吐いたわけではないのに、これではまるで晒し者ではないか。こんな仕打ち、いくらなんでも酷すぎる。
「撮らないでくださぁい！」
　俺は包み込むように先輩の体に両腕を回し、その華奢な体を野次馬の視線から守った上で、彼らに宛てて大声を飛ばした。
「彼女はただ、気分がすぐれなくて吐いてしまっただけなんです！　見せ物じゃありません！　撮らないでくださぁい！　撮影するのは止めてくださぁい！」
　あれが、あの時の俺が選択可能な最善の行動だった。今でもそう信じている。
　でも先輩は、その件が蒸し返されるたびに、柳眉をひそめてこう言うのだった。
「周りの人間の心ない振る舞いにも勿論腹が立ったけど、私はなにより、あなたの無神経な言動に傷ついたわ」