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二度目の挑戦④
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「ナツキ。今日のことだけどね」
キッチンで食器洗いをしている真樹が唐突に切り出した。
リビングのソファに俯せに寝そべっていたナツキは、緩慢な動作で母親に注目した。視聴していた音楽番組は本日の放送を終え、CMに入ったばかりだ。掛け時計の時針はもうすぐ八の数字を指そうとしている。
真樹がなにを言おうとしているのかは、見当もつかない。だからこそ、とても嫌な予感がする。
予感は見事に的中した。
「チグサちゃんをあんまり連れ回しちゃだめよ。あの子、そんなに体が強くないんでしょう」
「は? そんなことしてないし」
弾かれたようにソファから上体を起こし、尖った声を真樹にぶつけた。頬だけではなく、全身が熱い。
連れ回した? なにも知らないくせに、なんで決めつけるの?
「でもチグサちゃん、顔色悪かったじゃない。いっしょにいたんだから、気づかなかったわけじゃないでしょう?」
真樹は口振りも、スポンジで皿をこする手つきも、人を食ったように淡々としている。娘のほうを振り向きすらしない。
「もちろん知ってたよ。しんどそうだなって、ちゃんと気づいてた。だから、チグサの家のすぐ近くまで来てたけど、念のために飲み物を買うことにしたんでしょ」
「あなたが友だちのことを考えない、自分勝手な人間だなんて言うつもりはないけどね、結果的にそうなったのは事実でしょう。目の前のことに夢中になるあまり、チグサちゃんとの体力の差を忘れて――」
「そんなことないって! 意識してチグサの体調を気づかうようにしてたよ」
「本当に? 具体的にどう気づかってあげたの?」
チグサの荷物を持ってあげたこと。こまめな水分補給を心がけたこと。なるべく日陰を歩くようにしたこと。昨日今日と講じてきた対策の全てを、嘘偽りなく述べる。
真樹は洗い物を続けながらも、物音が立たないように配慮し、時折小さく頷きながら説明に聞き入っている。
「なるほど。あなたなりに考えて行動した、というわけね」
「当たり前でしょ。昨日もチグサと行ったんだから、その反省も踏まえて――」
「昨日も? 二日連続でチグサちゃんと歩き回ったということ?」
場の空気の変化を感じとり、ナツキは口を噤む。手を滑らせたらしく、食器同士が少し強くぶつかる音が響いた。割れたわけではなかったようで、何事もなかったようにスポンジで食器をこする音が聞こえてきた。真樹が再び喋り出すまでの時間は、耐えがたいくらい長く感じられた。
「ナツキ。あなたまさか、昨日もチグサちゃんをあんな目に遭わせたんじゃないでしょうね?」
「なにもなかったよ。最初だから、あんまり無理はしないようにしたし」
嘘だ。病院の世話にならなかったという意味では真実だが、体調面のトラブルが一切起きなかったという意味では、真っ赤な嘘。昨日チグサが、一時的にとはいえあのような状態に陥ったのは、ナツキが多少なりとも無理をさせたのも一因だと考えれば、二重に嘘をついたことになる。
罪悪感。嘘がばれるのではないかという恐怖心。少し速い心臓の鼓動を聞きながら、息が詰まるような時間が流れた。
「それなら別にいいんだけど」
そうつぶやいたのを最後に、真樹は一切話しかけてこなくなった。気味が悪かったが、追及してこない以上、隠している事実をこちらから明かすのは馬鹿げている。
いつの間にか八時を回り、新しい番組が本日の放送を開始している。毎週楽しみにしている、好きな男性タレントがレギュラーで出演しているバラエティ番組だったが、いつものように楽しめなかった。
キッチンで食器洗いをしている真樹が唐突に切り出した。
リビングのソファに俯せに寝そべっていたナツキは、緩慢な動作で母親に注目した。視聴していた音楽番組は本日の放送を終え、CMに入ったばかりだ。掛け時計の時針はもうすぐ八の数字を指そうとしている。
真樹がなにを言おうとしているのかは、見当もつかない。だからこそ、とても嫌な予感がする。
予感は見事に的中した。
「チグサちゃんをあんまり連れ回しちゃだめよ。あの子、そんなに体が強くないんでしょう」
「は? そんなことしてないし」
弾かれたようにソファから上体を起こし、尖った声を真樹にぶつけた。頬だけではなく、全身が熱い。
連れ回した? なにも知らないくせに、なんで決めつけるの?
「でもチグサちゃん、顔色悪かったじゃない。いっしょにいたんだから、気づかなかったわけじゃないでしょう?」
真樹は口振りも、スポンジで皿をこする手つきも、人を食ったように淡々としている。娘のほうを振り向きすらしない。
「もちろん知ってたよ。しんどそうだなって、ちゃんと気づいてた。だから、チグサの家のすぐ近くまで来てたけど、念のために飲み物を買うことにしたんでしょ」
「あなたが友だちのことを考えない、自分勝手な人間だなんて言うつもりはないけどね、結果的にそうなったのは事実でしょう。目の前のことに夢中になるあまり、チグサちゃんとの体力の差を忘れて――」
「そんなことないって! 意識してチグサの体調を気づかうようにしてたよ」
「本当に? 具体的にどう気づかってあげたの?」
チグサの荷物を持ってあげたこと。こまめな水分補給を心がけたこと。なるべく日陰を歩くようにしたこと。昨日今日と講じてきた対策の全てを、嘘偽りなく述べる。
真樹は洗い物を続けながらも、物音が立たないように配慮し、時折小さく頷きながら説明に聞き入っている。
「なるほど。あなたなりに考えて行動した、というわけね」
「当たり前でしょ。昨日もチグサと行ったんだから、その反省も踏まえて――」
「昨日も? 二日連続でチグサちゃんと歩き回ったということ?」
場の空気の変化を感じとり、ナツキは口を噤む。手を滑らせたらしく、食器同士が少し強くぶつかる音が響いた。割れたわけではなかったようで、何事もなかったようにスポンジで食器をこする音が聞こえてきた。真樹が再び喋り出すまでの時間は、耐えがたいくらい長く感じられた。
「ナツキ。あなたまさか、昨日もチグサちゃんをあんな目に遭わせたんじゃないでしょうね?」
「なにもなかったよ。最初だから、あんまり無理はしないようにしたし」
嘘だ。病院の世話にならなかったという意味では真実だが、体調面のトラブルが一切起きなかったという意味では、真っ赤な嘘。昨日チグサが、一時的にとはいえあのような状態に陥ったのは、ナツキが多少なりとも無理をさせたのも一因だと考えれば、二重に嘘をついたことになる。
罪悪感。嘘がばれるのではないかという恐怖心。少し速い心臓の鼓動を聞きながら、息が詰まるような時間が流れた。
「それなら別にいいんだけど」
そうつぶやいたのを最後に、真樹は一切話しかけてこなくなった。気味が悪かったが、追及してこない以上、隠している事実をこちらから明かすのは馬鹿げている。
いつの間にか八時を回り、新しい番組が本日の放送を開始している。毎週楽しみにしている、好きな男性タレントがレギュラーで出演しているバラエティ番組だったが、いつものように楽しめなかった。
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