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「今日一日、大変だったね」
どこか事務的な口振りで、僕宛だとはっきりと分かる声音で、九条さんが呟いた。明かりを消して十分ほどが経ったころのことだ。
「本当にそうだね。要約するとなると、その一言しか浮かばないよ。九条さん、体調の方は大丈夫? 疲れちゃってしんどいとか、そういうことは」
「疲れているように見える?」
「うーん、どうかな。九条さんはあまり食べないし、遊園地でもベンチに腰を下ろす一幕もあったからね。体力的にはそんなに強くないみたいだし、心配は心配だよ」
「体はそんなに疲れてない。力仕事は遠藤くん任せだったから」
「精神的には?」
「正直、しんどいかも。ほっとしている部分も、ないわけではないけど」
「恐怖や不安、今も感じてる?」
「もちろん。父親が追いかけてくるんじゃないかと思うと、心が休まらない」
「執念深い人なんだ、九条さんのお父さん」
「我が子を虐待するような人間なんて、誰しも執着心が強いものだと思うけど」
語尾に被せるような迅速なレスポンス。それが引き金となり、九条さんの父親は元妻に復縁を迫っていた、という話を思い出した。それが叶わなかったことが虐待に繋がった、という説明だった。
仮に九条さんが懸念するような事態が現実と化して、九条さんが九条家に連れ戻されたとしたら、彼女はどんな目に遭わされるのだろう?
想像するだけでおぞましい。その事態だけは、なんとしてでも回避しなければ。
大人と戦わなければいけない恐怖は、当然ある。戦いの形や敵の輪郭は現時点では明らかになっていないから、そういう意味でも怖いし、不安だ。
ただ一つ、救いがあるとすれば、
「お父さんには当然、この山に行くことは伝えていないわけだよね?」
「ええ。言うまでもなく」
「だったら、たとえ血眼になって探したとしても、辿り着く可能性は限りなく低いんじゃないかな。高校生の男女が家出をしたとなると、探す側が考える可能性は、ネットカフェか、友達の家か、あとは犯罪に巻き込まれたか、そのくらいじゃないかな。県の外れにある山小屋で寝泊まりしているなんて、普通は考えない」
「そうだね。遠藤くんの言う通り」
「とりあえず、追っ手のことは当分、頭の中から追い出しておいてもいいんじゃないかな。これからただでさえ不慣れな生活を送らなきゃいけないのに、心配ばかりしていたら心がもたないよ」
「……そうだね」
九条さんが身じろぎをしをしたので、尻と尻がぶつかった。身勝手な解釈かもしれないが、感情を表にするのが苦手な彼女が、なんらかの意思を婉曲に伝えようとしたような、そんな気もした。
そのソフトな刺激は、同時に、性的なものに対する意識を高めさせた。
真夜中と呼ぶには早すぎるにせよ、人工の明かりが駆逐された、真っ暗な山中の夜。お世辞にも広いとはいえない小屋の中で、二人きり。僕と一緒に過ごすのが楽しいと言ってくれた人と。複数回、唾液ごとキャンディをやりとりし合った人と。
当時の激しさが嘘のように、僕たちは穏やかに、優等生に、キスのあとの時間を消費してきた。激しいやりとりによって一定の満足感を得たからこそ、大人しくしていられたのだろう。
しかし一方で、もっとしたい、という願望を胸に秘めてもいる。そんな呑気なことをしている状況ではない、という意識が作用した結果、自粛しているだけで。
その願望を所持しているのは、九条さんも同じのはずだ。
僕の身内で性欲が疼いている。そういえば、部屋の中の場合も、小屋の中の場合も、キスをしてきたのは彼女からだった。
どこか事務的な口振りで、僕宛だとはっきりと分かる声音で、九条さんが呟いた。明かりを消して十分ほどが経ったころのことだ。
「本当にそうだね。要約するとなると、その一言しか浮かばないよ。九条さん、体調の方は大丈夫? 疲れちゃってしんどいとか、そういうことは」
「疲れているように見える?」
「うーん、どうかな。九条さんはあまり食べないし、遊園地でもベンチに腰を下ろす一幕もあったからね。体力的にはそんなに強くないみたいだし、心配は心配だよ」
「体はそんなに疲れてない。力仕事は遠藤くん任せだったから」
「精神的には?」
「正直、しんどいかも。ほっとしている部分も、ないわけではないけど」
「恐怖や不安、今も感じてる?」
「もちろん。父親が追いかけてくるんじゃないかと思うと、心が休まらない」
「執念深い人なんだ、九条さんのお父さん」
「我が子を虐待するような人間なんて、誰しも執着心が強いものだと思うけど」
語尾に被せるような迅速なレスポンス。それが引き金となり、九条さんの父親は元妻に復縁を迫っていた、という話を思い出した。それが叶わなかったことが虐待に繋がった、という説明だった。
仮に九条さんが懸念するような事態が現実と化して、九条さんが九条家に連れ戻されたとしたら、彼女はどんな目に遭わされるのだろう?
想像するだけでおぞましい。その事態だけは、なんとしてでも回避しなければ。
大人と戦わなければいけない恐怖は、当然ある。戦いの形や敵の輪郭は現時点では明らかになっていないから、そういう意味でも怖いし、不安だ。
ただ一つ、救いがあるとすれば、
「お父さんには当然、この山に行くことは伝えていないわけだよね?」
「ええ。言うまでもなく」
「だったら、たとえ血眼になって探したとしても、辿り着く可能性は限りなく低いんじゃないかな。高校生の男女が家出をしたとなると、探す側が考える可能性は、ネットカフェか、友達の家か、あとは犯罪に巻き込まれたか、そのくらいじゃないかな。県の外れにある山小屋で寝泊まりしているなんて、普通は考えない」
「そうだね。遠藤くんの言う通り」
「とりあえず、追っ手のことは当分、頭の中から追い出しておいてもいいんじゃないかな。これからただでさえ不慣れな生活を送らなきゃいけないのに、心配ばかりしていたら心がもたないよ」
「……そうだね」
九条さんが身じろぎをしをしたので、尻と尻がぶつかった。身勝手な解釈かもしれないが、感情を表にするのが苦手な彼女が、なんらかの意思を婉曲に伝えようとしたような、そんな気もした。
そのソフトな刺激は、同時に、性的なものに対する意識を高めさせた。
真夜中と呼ぶには早すぎるにせよ、人工の明かりが駆逐された、真っ暗な山中の夜。お世辞にも広いとはいえない小屋の中で、二人きり。僕と一緒に過ごすのが楽しいと言ってくれた人と。複数回、唾液ごとキャンディをやりとりし合った人と。
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しかし一方で、もっとしたい、という願望を胸に秘めてもいる。そんな呑気なことをしている状況ではない、という意識が作用した結果、自粛しているだけで。
その願望を所持しているのは、九条さんも同じのはずだ。
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