深淵の孤独

阿波野治

文字の大きさ
上 下
58 / 59

深淵の孤独④

しおりを挟む
 気持ちだけでも深々と頭を下げる。十秒待ってみたが、宮下紗弥加は反応を示さない。声が届いていないのか。届いてはいるが返事をしない、あるいはできないだけか。判断がつかない。
 もう一度、全く同じ台詞をぶつけてみる。同じく無反応だった。使い回しは流石に誠意がなかったと反省し、言い回しを多少変えてみた。しかし、やはり、宮下紗弥加の対応に変化はない。

 それでも、僕は彼女に話しかけ続けた。反応を待つ意味も込めて適時小休止を取りながら、実感としては殆ど絶え間なく。

 これは最早、ある種の自慰行為なのではないか。ダガーナイフで少女を刺殺し、頭部を切断し、切断した頭部を中学校の校門に遺棄するよりも、遥かに悪質な行為なのではないか。こんなことをして、互いにとって何になるのだろう。
 自らの振る舞いに対する疑問が生じた。しかし、喋ることが精神状態の安定に繋がっているのは、疑いようのない事実。
「相手の反応は気にせずに」と心に決めたではないか。語ろう。語り続けることを選ぼう。

 ただし、話題は別のものにしたい。いくら被害者といえども、執拗に謝られれば不愉快な気持ちになる。それに、喋るという行為自体は僕の精神にとって薬だが、自らの欠点と向き合い、過去の所業に対する非を認め、謝罪する行為は、明確な毒だ。
 宮下紗弥加が興味を持てるような、それでいて僕にとって語ることに意味がある、何らかの話題――。

 熟考した結果、僕が殺されるまでの一部始終について語ることにした。
 宮下紗弥加は純真無垢な七歳の女の子だ。血なまぐさい話に対する嫌悪感は当然あるだろうが、それを差し引いても、語るだけの価値があると僕は考えた。筧の告白によると、宮下紗弥加は殺人鬼と出会ってすぐに殺されている。それだけに、加害者の人となりや、自らの死後、事件がどのような展開を見せたのかといった事柄には、少なからず関心があるはずだ。

 僕は語り始めた。朝の五時五十五分に目を覚ましたことに始まり、湖底に沈むに至るまで、可能な限り時間の流れに沿って。
 実際に体験を語ってみると、様々な発見があった。人生で最も鮮烈な一連の体験だったにもかかわらず、曖昧になっていたり失念していたりする記憶も多々あったこと。繰り返し語ることによってそれらを思い出していったこと。頭部を持ち帰ってからの僕はとかく考え込みがちで、語っているうちに我ながらじれったい気持ちになったこと。
 列挙すれば際限がない。よいことも、悪いことも、たくさんの発見があった。自分自身が体験した過去を語る行為は、少なくとも僕にとって意味があることだと、胸を張って断言できる。

 僕は繰り返し語った。話せば話すほど無駄が省かれ、淀みなく話せるようになり、語りは洗練された。次第に上手く話せるようになっているという実感、それが快く、語り甲斐を感じる要因となった。
 唯一、宮下紗弥加が何の反応も示してくれないのが不満だった。相手のことは気にするなと何度自らに言い聞かせても、その感情は拭えない。

 彼女からのレスポンス欲しさに、語り口に工夫を凝らした。単語の選択、言い回し、声音、抑揚、声量。ありとあらゆる細部に気を配り、何度も何度も、自らが殺されたことについて語った。
 涙ぐましい努力も虚しく、宮下紗弥加は一貫して沈黙を返した。

 しかし、僕はめげない。
 彼女が何らかの反応を示してくれたら、僕は成仏できる。いつしか、そんな考えを抱くようになった。
 それでいて、目標を一刻も早く、何が何でも叶えたいがために必死になるのではなく、苦行に従事しているという意識や感覚もなく語り続け、
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

コ・ワ・レ・ル

本多 真弥子
ホラー
平穏な日常。 ある日の放課後、『時友晃』は幼馴染の『琴村香織』と談笑していた。 その時、屋上から人が落ちて来て…。 それは平和な日常が壊れる序章だった。 全7話 表紙イラスト irise様 PIXIV:https://www.pixiv.net/users/22685757  Twitter:https://twitter.com/irise310 挿絵イラスト チガサキ ユウ様 X(Twitter) https://twitter.com/cgsk_3 pixiv: https://www.pixiv.net/users/17981561

秘密の仕事

桃香
ホラー
ホラー 生まれ変わりを信じますか? ※フィクションです

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿

加来 史吾兎
ホラー
 K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。  フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。  華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。  そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。  そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。  果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。

夜のトトロの森で真っ黒なおじさんに追いかけられた話

Yapa
ホラー
夜、おれは虫とりに行った。そしたら、真っ黒おじさんに追いかけられた。

ツギハギ・リポート

主道 学
ホラー
 拝啓。海道くんへ。そっちは何かとバタバタしているんだろうなあ。だから、たまには田舎で遊ぼうよ。なんて……でも、今年は絶対にきっと、楽しいよ。  死んだはずの中学時代の友達から、急に田舎へ来ないかと手紙が来た。手紙には俺の大学時代に別れた恋人もその村にいると書いてあった……。  ただ、疑問に思うんだ。    あそこは、今じゃ廃村になっているはずだった。  かつて村のあった廃病院は誰のものですか?

日常の怪

怪奇 ひろし
ホラー
令和の日常に潜む怪異の話。

処理中です...