深淵の孤独

阿波野治

文字の大きさ
上 下
55 / 59

深淵の孤独①

しおりを挟む
 しかし、一巻の終わりではなかった。


*


 筧と北山の手によって僕の体が少し動く。地面に向き合っていた顔が前を向き、真っ暗闇から一転、透明な湖水が視界を満たす。湖面のほぼ中央から十字の枯れ枝が突き出している。映像自体は鮮明だが、スクリーン越しに映像を鑑賞しているかのような、奇妙な非現実感がある。
 死んだはずなのに、殺されたはずなのに、僕は生きている。
 視線を動かすことはできず、目を閉じることも不可能。声は出せず、四肢は動かない。だから、仕方なしに湖を眺める。
 実際には、仕方なくとは思っていないし、体を動かそうと試みてはいない。喜怒哀楽その他の感情や思念想念の類は一切生じず、湖水よりも透明な心で、視界に映る映像を直視している。

 二人は僕の解体を開始した。筧はダガーナイフで僕の首を切断しようと試みていて、北山は僕の背中に乗って動かないように押さえつけている。僕の命を終わらせた一撃の傷跡を足掛かりに切ろうとしているらしいが、作業は出だしから難航している。

 僕の顔は湖の方向に固定されている。時折、視界に筧や北山の体の一部が過ぎるだけだったが、二人が現在何をしているのかがある程度分かった。どうやら僕は、自らの死と引き換えに、自らを中心とする一定の範囲内の状況を漠然と把握できる能力を獲得したらしい。己の意思でスイッチのオンとオフを切り替えることは不可能、一方的に流れ込んでくる情報を受信するだけの、呪いとでも呼びたくなるような能力を。

「リボンの鬼死」の二人は、僕が死んでもなお生き続けているとは夢にも思っていない様子で、一心不乱に作業に励んでいる。

 死んでいないのは聴覚も同じだ。ただ、近くで発せられているはずの二人の声も、遥か遠い場所から発信されているように聞こえる。従って、もしかしたら細かな聞き間違いや聞き漏らしがあったかもしれないが、己の聴力をあくまでも信用するならば、筧と北山はこんな会話を交わしていた。

「中々切れない。宮下紗弥加の時はここまで苦戦しなかったのに。おかしいな」
「楠部くんの方が年齢が上だから、肉が硬いんじゃないかな」
「それ、マジで言ってんの? それともジョーク?」
「本気。豚や鶏だって、若い個体の肉の方が柔らかくて美味しいし」
「お前、龍平を食うつもりじゃないだろうな」
「まさか。食用として育てられていない雑食動物って、あまり美味しくないらしいから」
「美味かったら食うのかよ」
「有り得ない仮定をしても仕方ないでしょう。ほら、ちゃんと手を動かして」
「分かってるよ。……くそっ。鋸でも持って来ればよかったかな」

 やがて筧はダガーナイフを擲った。
 僕の頭部は、宮下紗弥加のように切り離されてはいない。
 僕の上から退いて立ち上がった北山と、筧が談判を始めた。声が小さいので内容は耳に入ってこない。しかし、最後に筧が口にした言葉だけは、一言一句違わずに聞き取れた。

「しゃーない。捨てよう」

 筧の手によって僕は万歳のポーズを取らされる。北山は僕の足の方へと移動し、両の足首を掴む。
 突然、鳥が羽ばたく音が聞こえた。天高くから発信されたその音声は、一直線に降下し、十字の枯れ枝にとまる。二人はそちらに注目した。

 鳩だ。
 カラー写真つきの動物図鑑から飛び出してきたような、晴天の日中に公園に足を運べば見かけるような、その姿を撮影した画像を解答者に見せ、「これは何という名前の鳥でしょうか?」というクイズを出題したならば、百パーセントに限りなく近い正解率を叩き出すような、
 何の変哲もない、一羽の鳩。

「鳩」

 北山が無感情に呟く。

「鳩だな」

 筧が応じた。
 鳩は微動だにせずに、二人と一体の方を見ている。
 静寂は突然破られた。
 ほーほー、ほほー。ほーほー、ほほー。
 鳩は何を考えているのか読み取れない顔で鳴くと、羽音を立てて枝から飛び立ち、天高く舞い上がって風景に溶けた。湖畔は再び静寂に満たされた。

 ……ああ、そうか。
 ノストラダムスが予言した恐怖の大王の正体は、鳩だったのか……。

 二人は上空へ向けていた顔を見合わせる。筧が言った。

「じゃあ、捨てるぞ」

 二人は僕を半ば引きずるようにして、自らの靴先が水に濡れるほどに湖に接近し、

「せー、のっ」

 筧の掛け声と共に、僕を湖へと投げ込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

いつもと違う日常

k33
ホラー
ある日 高校生のハイトはごく普通の日常をおくっていたが...学校に行く途中 空を眺めていた そしたら バルーンが空に飛んでいた...そして 学校につくと...窓にもバルーンが.....そして 恐怖のゲームが始まろうとしている...果たして ハイトは..この数々の恐怖のゲームを クリアできるのか!? そして 無事 ゲームクリアできるのか...そして 現実世界に戻れるのか..恐怖のデスゲーム..開幕!

終焉の教室

シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。 そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。 提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。 最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。 しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。 そして、一人目の犠牲者が決まった――。 果たして、このデスゲームの真の目的は? 誰が裏切り者で、誰が生き残るのか? 友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。

熾ーおこりー

ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】  幕末一の剣客集団、新撰組。  疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。  組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。  志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー ※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です 【登場人物】(ネタバレを含みます) 原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派) 芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。 沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派) 山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派) 土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派) 近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。 井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。 新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある 平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派) 平間(水戸派) 野口(水戸派) (画像・速水御舟「炎舞」部分)

二人称・短編ホラー小説集 『あなた』

シルヴァ・レイシオン
ホラー
普通の小説に読み飽きたそこの『あなた』 そんな『あなた』にオススメします、二人称と言う「没入感」+ホラーの旋律にて、是非、戦慄してみて下さい・・・・・・ ※このシリーズ、短編ホラー・二人称小説『あなた』は、色んな"視点"のホラーを書きます。  様々な「死」「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「因果」などを描きますので本当に苦手な方、なんらかのトラウマ、偏見などがある人はご遠慮下さい。  小説としては珍しい「二人称」視点をベースにしていきますので、例えば洗脳されやすいような方もご観覧注意、願います。

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

オカルト嫌いJKと言霊使いの先輩書店員

眼鏡猫
ホラー
書店でアルバイトをする女子高生、如月弥生(きさらぎやよい)は大のオカルト嫌い。そんな彼女と同じ職場で働く大学生、琴乃葉紬玖(ことのはつぐむ)は自称霊感体質だそうで、弥生が発する言霊により悪いモノに覆われていると言う。一笑に付す弥生だったが、実は彼女には誰にも言えないトラウマを抱えていた。

海藤日本の怖い話。

海藤日本
ホラー
これは、私が実際に体験した話しと、知人から聞いた怖い話である。

岬ノ村の因習

めにははを
ホラー
某県某所。 山々に囲われた陸の孤島『岬ノ村』では、五年に一度の豊穣の儀が行われようとしていた。 村人達は全国各地から生贄を集めて『みさかえ様』に捧げる。 それは終わらない惨劇の始まりとなった。

処理中です...