深淵の孤独

阿波野治

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北山の誘い③

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「バラバラに切り刻まれてゴミに出されたり、トイレに流されたりしたのかな? 燃やされたり煮込まれたりして、もう跡形もなくなっていたりして。楠部くんはその中のどれだと思う?」

 北山は唇を閉ざした。私の考えは述べ終わったから、あとはあなたの意見をよろしく。そういう意味だろう。

「どれって言われても、分からないよ」
「私が挙げた候補の中ならどれも可能性がある、という意味?」

 堪らなく嫌な予感がする。しかし、何らかの反応を示さなければ、話が永遠に前進しない気がして、首肯する。北山の笑みの度合いが深まった。

「そうだよね。どれも有り得るよね。私、実は、目星をつけている場所があるの。髪尾山っていう山、楠部くんは分かるかな? 荻原っていう団地があるんだけど、その近くに登山口があるの。そこから十分か十五分くらい登ると、結構大きな湖があって」

 髪尾山、という言葉を聞いた瞬間、筧も過去にその山に言及していたことを思い出した。あの場所は恐らく警察が既に捜索済みで、それなのに何の発表もないということは、あの場所に宮下紗弥加の遺体は遺棄されていない。そんな私見を述べていたが、北山の考えは異なっていた。

「私、その湖が怪しいと思うんだ。新聞もテレビもネットも、毎日結構熱心にチェックしているんだけど、警察はまだそこは捜索していないみたいだし。というわけで、楠部くん」

 北山は突如として歩幅を広げた。僕の二歩ほど前に出ると同時に踵を回し、立ちはだかって進路を塞ぐ。物理的に前進が不可能になったからではなく、北山に命じられたからとでもいうように、僕の両足の靴底は地面に固着する。笑みを意識的に抑圧した成果のような、限りなく笑顔に近いが、笑顔の枠からは外れた柔和な表情で、真っ直ぐに僕を見据える。

「明日か明後日、つまり土曜日か日曜日、私たち二人で湖まで行ってみない?」

 すぐに返事はできない。できるはずもない。
 私は宮下紗弥加殺しの犯人で、髪尾山の湖に宮下紗弥加の遺体を捨てましたよ。そう暗に主張しているのだろうか? 「リボンの鬼死」の自己顕示欲の強さを思えば、その解釈が正しいようにも思える。
 ただ、一緒に行こうという誘いが付属した。それが引っかかる。これも自己顕示欲を満たしたいがため? その解釈で間違ってはいない、と思う。
 しかし、百点満点の回答ではない。根拠は示せないが、そんな気がする。

 北山は僕の返答を待ち受けている。永遠にでも待っていそうな、待ち続けられそうな静けさを全身にまとわせて、待っている。

 宮下紗弥加の首から下を湖に遺棄したのが北山だとすれば、現地に足を運び、遺体が遺棄されている事実を僕に示すつもりなのだろうか。例えば、湖底に沈んだ腐りゆく肉塊を、何らかの方法で引っ張り上げるなどして。
 だとすれば、思い切った行動だ。自らの退路を断つ行動、と換言してもいいかもしれない。
 北山は、宮下紗弥加殺しの犯人は自分だと、僕に告白したがっている。

 その推察が正しいならば、「リボンの鬼死」にしては不可解な行動と言わざるを得ない。体育館で会話を交わした時は、あくまでも限りなく遠回しに匂わせただけで、「我こそが『リボンの鬼死』だ」と決して明言しようとはしなかった。犯行声明文でも、残虐非道で異常極まる殺人鬼としての自己をアピールしていたが、己に通じる情報は一切記していなかった。尊大ではあるが慎重で、前のめりではあるが無謀ではない。それが「リボンの鬼死」だったはずだ。
 何かが間違っている。僕の推察が? 「リボンの鬼死」に対する認識が? 定かではないが、とにかく何かが。

「湖には一度だけ行ったことあるんだけど、水の透明度が高くて綺麗だった。静かで、空気も澄んでいて、ただそこにいるだけで安らげるっていうか。楠部くんは今週ずっと体調が優れないみたいだけど、きっと癒されると思うな」

 沈黙の長さに根負けしたというよりも、説明不足に気がついたから当然の義務として補ったというように、北山は付言した。
 黒々とした感情が滲み出そうなくらい白々しい台詞だ。核心には触れない。今のところ、その方針は徹底されている。

 北山司という個人が「リボンの鬼死」だと疑われても差し支えないが、「リボンの鬼死」だと認定はされたくない。北山司=「リボンの鬼死」という前提のもとに、何らかの思い切った行動に踏み切られたくない。北山はそう考えている節がある。
 しかし、宮下紗弥加の遺体の所在を報せるという行為は、その方針からは明らかに逸脱している。
 あくまでも遺体を発見しただけで、殺したのは自分ではないと言い張るつもりなのだろうか。だとしても、警察沙汰に発展するのはまず避けられない。それは北山が望む展開ではないはずだ。
 だとすれば、なぜ?

 突然、両脚に力が入らなくなり、僕はその場に蹲る。
 全力疾走した直後のような息が規則的に口から出る。眩暈が双眸の奥で虹色の渦を描く。
 何だ、これは。何なんだ、これは。

 さも混乱しているかのように心中で呟いたが、実際には心は一定の落ち着きを確保している。むしろ凪のように穏やかで、立ち眩みにも似た症状の原因を沈着冷静に理解している。
 これ以上の思案の継続を、脳髄が断乎として拒絶したのだ。
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