深淵の孤独

阿波野治

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加古川切り裂きジャック②

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「どんな小説をよく読むの? 女子だったら恋愛小説かな、なんて安直に考えちゃうけど」
「好きというほどでもないけど、そういうものも読むよ。昨日の昼休みにも言ったように、暇潰しが第一の目的だから、基本的にはジャンルは無関係に読んでる」
「おすすめの本とか、ある?」
「この一冊、というのはないんだけど、犯罪関係の本は好き。小説もそうだし、ノンフィクション系も」

 犯罪。その単語一つで、僕の口舌は呆気なく凍りつく。

「もう少し具体的に言うと、犯人の動機とか、生い立ちとか、犯行時の心理状態とか、そういうものに関心があるの。過去に起きた猟奇殺人事件を紹介している本とか、大好きで。世間から見れば異常な趣味だっていう自覚はあるから、その手の本を読む時は必ずブックカバーをつけるし、そういう趣味を持っていると打ち明けるのは、限られた親しい人だけ。楠部くんでまだ二人目なんだけど」

 限られた親しい人――それはつまり、僕が宮下紗弥加の頭部を持ち帰った人間だから? 同じ異常者だと分かって、親近感が湧いたから?
 ふざけんじゃねぇぞ、北山。
 嫌悪感。怒り。二つの感情が渾然一体となって胸に込み上げた。北山と相対している最中に、こんなにも攻撃的な気持ちになったのは初めてだ。
 とはいえ、北山に対する恐怖の感情は揺るぎない。毅然と睨みつけたつもりが、部下が上司に対して遠慮がちに不満の意を示してみせたような、いかんせん迫力に欠ける凝視となる。一拍遅れて、強さの中にある弱さを看取され、それにつけ込まれるのではという不安が過ぎった。次の瞬間、

「楠部くんは、加古川切り裂きジャック事件って知ってる?」

 投げかけられた質問の唐突さと脈絡のなさに、頭の中が真っ白になる。
 加古川切り裂きジャック事件? 何なんだ、それは。何を言っているんだ、こいつは……。
 北山は唇を閉ざし、感情が読み取れない顔で返答を待ち受けている。その態度が、NGワードを口にした瞬間に態度を豹変させるのではないか、という恐怖を催させ、さらには加速させる。昨日も同じ思いを抱いたことを思い出し、有り難くもない懐かしさに、泣き笑いの表情を作りたくなる。心を落ち着かせることと、適切な言葉を探すこと、二つの努力を並行しながら唇を動かす。

「加古川っていうのは、確か、兵庫県にある市の名前だよね。切り裂きジャックは、えっと……」
「やっぱり知らないか。じゃあ、T市で最近、凶悪事件が連続して起きたのは知ってる? 四日前に発生した女児失踪事件と、昨日公園であったハンマー殴打事件。被害者がいずれも女児だから、同一犯による犯行だと言われているけど」

 諸々の感情と死にもの狂いで格闘する僕に追い打ちをかけるように、さらなる発言が追加された。よりにもよって、あの事件の話題だ。
 北山は何が言いたいんだ? 「加古川切り裂きジャック」なる単語を唐突に口にしたと思ったら、今度は事件に触れる。何を目論んでいるのかが全く見えない。

「事件のことなら、勿論知ってるよ。でも、てT市の事件と加古川で起きた事件が、どう繋がるの?」
「共通点がいくつかあるの。加古川切り裂きジャック事件って、凄く有名な事件というわけではないんだけど、私は古今東西の凶悪犯罪に興味があって、普通の人よりはずっと詳しいから、二つの事件の類似性に気がついたの。今のところ、ニュースでは全く言及されていないけどね」

 いつの間にか、北山の満面には微笑みが湛えられている。機械ならば百パーセント笑顔だと認識しただろうが、赤い血が通った人間の目には何かが欠けているようにしか見えない、そんな微笑みが。

「ちなみに、加古川切り裂きジャック事件というのは、三十年以上前に加古川市で起きた連続通り魔事件で、被害者は全員小学生の男の子。被害者はロープで後ろ手に縛られたり猿ぐつわをさせられたりした上で、刃物で体を執拗に切りつけられたの。確か、性器を完全に切り離された子も一人いたっけ。犯人は結構な目立ちたがり屋みたいで、被害者の自宅とか交番とかに、切り裂きジャックを名乗って挑戦状を送りつけたりもしたの。結局、十一人の被害者を出して凶行は終わったんだけど。何が凄いって、加古川切り裂きジャックの正体はね、私たちと年齢がそう変わらない、十六歳の男の子なの」

 北山が語っている事件は、実際に起きたのか、それとも作り話なのか。その方面の知識が皆無な僕には判断がつかないが、彼女の言う通り、二つの事件は似ている。酷似しているというほどではないにせよ、一定の類似性は認められる。
 加古川切り裂きジャック事件に影響を受け、「リボンの鬼死」は犯行に及んだのか。何らかの必要から、過去に類似する事件があったことにしたいがために、加古川切り裂きジャック事件なる事件を創作したのか。自分用のケータイはズボンのポケットに入っているし、インターネットに繋がってもいるが、まさか取り出して調べてみるわけにもいかない。

「面白いのはね、加古川切り裂きジャック事件では一人の死者も出ていないの。犯行内容を見る限り、犯人は明らかにサディストで、犯行は次第にエスカレートしていって、いずれ死に至る被害者が出てもおかしくなさそうなのに。これはどういうことか、楠部くんには分かる?」

 返答を口にできない。それどころか、首を縦横いずれかの方向に振ることさえも。北山はさっさと答え合わせに入った。

「それはね、加古川切り裂きジャックは誰をどうこうしてやろう、ではなくて、己の欲望が満たされればそれで構わない、という考えのもとに犯行に及んだからよ。だからかな、彼の犯行は粗が目立つんだよね。計画性が全くないわけではないんだろうけど、全体的に雑で、軽はずみで、薄っぺらい。そんなことでよく十一件も犯行を重ねられたなって、感心してしまうくらいに」

 言葉を切り、長々と息を吐く。その頬は明らかに上気している。薄い皮膚を突き破り、今にも火炎が噴き出しそうだ。そして北山は、顔面が燃えているにもかかわらず、熱がるどころか狂喜するように高笑いを響かせる。その姿は、ひょっとすると、何よりも恐怖の大王らしいと言えるのではないか?

「本題から逸れちゃったから、元に戻すね。凶悪事件に日ごろから関心を持っている人間として、ぜひ質問させて。楠部くんは、幼い女の子が被害者になった今回の二つの事件について、どう思う?」

 どくり、と心臓が音を立てた。
 試されている。
 何を試されているのかを理解しないままに、そう思う。
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