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加古川切り裂きジャック①
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北山司と話をする機会は、午前最後の授業となった体育の時間に訪れた。
場所は体育館。実施された競技はバスケットボール。男女別に数チームに別れ、短時間の試合を交代で行う、というのが本日の授業内容だ。
第一試合のホイッスルが吹かれた。筧も谷口も選手としてコートに立っている。二人は同じチームだ。筧は精力的に駆け回り、谷口はあまり動かない。筧は自らのチームが得点を入れるたびに味方にタッチを求めて喜びを分かち合うとするが、谷口は素っ気ない対応に終始する。対照的で、それでいて仲のよさはしっかりと伝わってくる、そんな二人の有り様だ。
夏用の制服姿の僕は、体育館の入り口付近の壁にもたれて佇み、試合を眺めている。
この日の体育の授業を休むことは、登校する前から決めていた。一昨日まで学校を休んでいたお陰で、もっともらしい理由を探す手間は省けた。
切断された人間の頭部を持て余して、殺人鬼に脅されている状況で、呑気にスポーツなどやっていられない。それが真の理由だったのだが、館内の隅に一人で座っている北山を見つけた瞬間、腹の底では別の目的を意識していたからこそ休むことにしたのだ、と悟った。
北山は体操着ではなく制服を着ている。ケータイを手にしていて、画面を見つめる眼差しは異様なまでに真剣だ。デジタルの世界に没入していて、近づきがたいオーラを醸し出している。教室で読書をしている時と似た雰囲気だ。
僕は壁伝いに北山のもとへ向かう。奮戦し応援するクラスメイトたちの声が館内を満たしている。北山はケータイに夢中で、試合の行方にも接近する僕にも関心を払わない。
消極的に現実から逃避することで辛うじて平常心を保っていた僕が、自ら北山に話しかける意を決せられたのは、なぜなのだろう? 不可解ではあったが、解明したいとは思わない。胸を張るでも怯えるでもなく、ボールがこちらに飛んではこないか、警戒の目を時折コートに投げかけながら、淡々と歩を進める。
「北山さん」
間近まで来て声をかけると、北山の顔が持ち上がった。ケータイを閉じ、感情が表出していない顔で僕を見返す。一連の動作の滑らかさと作為のなさに、心中を見透かされているかのような錯覚に襲われ、軽く萎縮してしまう。
「楠部くん、今日は体育休むんだね」
助け舟を出すというよりは、一度昼食を共にしたことがあるクラスメイトに対してはそうするのが定石だからというように、北山は指摘する。例によって平板な声だ。
「うん、まだ体調に不安があるから。隣、いいかな」
「どうぞ」
右隣に腰を下ろす。二人の間には、ちょうど一人の人間が収まるだけの余地がある。
「読書はしないの? 見学している間って、暇だよね」
「一応してるよ、読書。個人が自作のホームページにアップロードしている、オリジナルの小説」
ケータイを開いて画面を僕に示す。すぐに閉じたので詳細は把握できなかったが、白い背景に黒い文字が細かく綴られているのが確認できた。
「本当はちゃんとした本が読みたいんだけど、授業中なのに教科書でもない本を広げるのは厚かましいでしょう。見学している子って、授業中なのに堂々とケータイを弄っているから、それなら平気かなと思って」
「先生があまり厳しく注意しないから、みんな結構自由にやってるよね」
足並みを揃えこそしたが、内心では「真面目だな」と思う。授業を真剣に聞き、ちゃんとノートを取ることだってそうだ。客観的に見れば、品行方正で生真面目な生徒。血なまぐさい猟奇殺人からは縁遠い人種に思える。
ただ、北山がほぼ間違いなく「リボンの鬼死」だと考えている僕としては、「自分は悪事を働くような人間ではない」と周りの人間にアピールしているのでは、と疑ってしまう。
この町で起きた一連の事件に、北山はどの程度関与しているのか。
僕が「宮下紗弥加の頭部を返却する」という命令に背いたことを、北山はどう思っているのか。その裏切りに対して、どのような処置を下すつもりなのか。
その二つの真相を突き止めるのが目標だと、北山の隣に腰を下ろした時点で、僕は認識していた。
達成に至る道筋を見出せていたわけではない。そもそも北山と話そうという考えは、北山が授業を見学していると知って初めて芽生えた。入念な準備もなく行動に移ったのだから、求めているものが得られなくても仕方ない。そんな開き直りの気持ちが、対話に臨む勇気をもたらしてくれたのかもしれない。
周りに人が大勢いる、という環境も大きい。何かあった時に助けてもらえる。その考えが、というよりも事実が、ネガティブな感情を確実に薄めている。昨日校庭の木陰で対話した時と比べると、精神状態に随分と余裕があるので、戸惑いを覚えたほどだ。「リボンの鬼死」からの要求を蹴って初めてとなる対話なのだから、むしろ昨日以上に強く負の感情に苛まれて然るべきなのに。
場所は体育館。実施された競技はバスケットボール。男女別に数チームに別れ、短時間の試合を交代で行う、というのが本日の授業内容だ。
第一試合のホイッスルが吹かれた。筧も谷口も選手としてコートに立っている。二人は同じチームだ。筧は精力的に駆け回り、谷口はあまり動かない。筧は自らのチームが得点を入れるたびに味方にタッチを求めて喜びを分かち合うとするが、谷口は素っ気ない対応に終始する。対照的で、それでいて仲のよさはしっかりと伝わってくる、そんな二人の有り様だ。
夏用の制服姿の僕は、体育館の入り口付近の壁にもたれて佇み、試合を眺めている。
この日の体育の授業を休むことは、登校する前から決めていた。一昨日まで学校を休んでいたお陰で、もっともらしい理由を探す手間は省けた。
切断された人間の頭部を持て余して、殺人鬼に脅されている状況で、呑気にスポーツなどやっていられない。それが真の理由だったのだが、館内の隅に一人で座っている北山を見つけた瞬間、腹の底では別の目的を意識していたからこそ休むことにしたのだ、と悟った。
北山は体操着ではなく制服を着ている。ケータイを手にしていて、画面を見つめる眼差しは異様なまでに真剣だ。デジタルの世界に没入していて、近づきがたいオーラを醸し出している。教室で読書をしている時と似た雰囲気だ。
僕は壁伝いに北山のもとへ向かう。奮戦し応援するクラスメイトたちの声が館内を満たしている。北山はケータイに夢中で、試合の行方にも接近する僕にも関心を払わない。
消極的に現実から逃避することで辛うじて平常心を保っていた僕が、自ら北山に話しかける意を決せられたのは、なぜなのだろう? 不可解ではあったが、解明したいとは思わない。胸を張るでも怯えるでもなく、ボールがこちらに飛んではこないか、警戒の目を時折コートに投げかけながら、淡々と歩を進める。
「北山さん」
間近まで来て声をかけると、北山の顔が持ち上がった。ケータイを閉じ、感情が表出していない顔で僕を見返す。一連の動作の滑らかさと作為のなさに、心中を見透かされているかのような錯覚に襲われ、軽く萎縮してしまう。
「楠部くん、今日は体育休むんだね」
助け舟を出すというよりは、一度昼食を共にしたことがあるクラスメイトに対してはそうするのが定石だからというように、北山は指摘する。例によって平板な声だ。
「うん、まだ体調に不安があるから。隣、いいかな」
「どうぞ」
右隣に腰を下ろす。二人の間には、ちょうど一人の人間が収まるだけの余地がある。
「読書はしないの? 見学している間って、暇だよね」
「一応してるよ、読書。個人が自作のホームページにアップロードしている、オリジナルの小説」
ケータイを開いて画面を僕に示す。すぐに閉じたので詳細は把握できなかったが、白い背景に黒い文字が細かく綴られているのが確認できた。
「本当はちゃんとした本が読みたいんだけど、授業中なのに教科書でもない本を広げるのは厚かましいでしょう。見学している子って、授業中なのに堂々とケータイを弄っているから、それなら平気かなと思って」
「先生があまり厳しく注意しないから、みんな結構自由にやってるよね」
足並みを揃えこそしたが、内心では「真面目だな」と思う。授業を真剣に聞き、ちゃんとノートを取ることだってそうだ。客観的に見れば、品行方正で生真面目な生徒。血なまぐさい猟奇殺人からは縁遠い人種に思える。
ただ、北山がほぼ間違いなく「リボンの鬼死」だと考えている僕としては、「自分は悪事を働くような人間ではない」と周りの人間にアピールしているのでは、と疑ってしまう。
この町で起きた一連の事件に、北山はどの程度関与しているのか。
僕が「宮下紗弥加の頭部を返却する」という命令に背いたことを、北山はどう思っているのか。その裏切りに対して、どのような処置を下すつもりなのか。
その二つの真相を突き止めるのが目標だと、北山の隣に腰を下ろした時点で、僕は認識していた。
達成に至る道筋を見出せていたわけではない。そもそも北山と話そうという考えは、北山が授業を見学していると知って初めて芽生えた。入念な準備もなく行動に移ったのだから、求めているものが得られなくても仕方ない。そんな開き直りの気持ちが、対話に臨む勇気をもたらしてくれたのかもしれない。
周りに人が大勢いる、という環境も大きい。何かあった時に助けてもらえる。その考えが、というよりも事実が、ネガティブな感情を確実に薄めている。昨日校庭の木陰で対話した時と比べると、精神状態に随分と余裕があるので、戸惑いを覚えたほどだ。「リボンの鬼死」からの要求を蹴って初めてとなる対話なのだから、むしろ昨日以上に強く負の感情に苛まれて然るべきなのに。
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