深淵の孤独

阿波野治

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深淵なる夜②

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「リボンの鬼死」は正門前の叢で待ち伏せをしていて、僕を殺すのだろうか。ひとまず校門まで行ってみるという、僕の選択は間違っているのだろうか。ネガティブな想念ばかりが浮かんでは消える。
 死。
 僕はそれを強く意識しているはずなのに、近い未来に自らの生命が強制的に終焉させられるかもしれない、という実感が一向に湧かない。
 死ぬかもしれない、という思いは常に胸の中心にある。恐怖、不安、緊張、嘆き、祈り、全て揃っている。しかし、実感が伴わない。切迫感や現実感といった表現に換言できるかもしれないが、厳密には異なっているようにも思えるその感覚が、その感覚だけが足りない。
 現在の僕は、死ぬ可能性も大いにあるが、死なない余地も大いに残されている。死がいよいよ確定的にならない限り、実感が伴わないものなのだろうか? 正しい気もするし、間違っている気もする。

 恐怖の大王のせいだ。リュックサックの中の恐怖の大王の効力によって、絶対に答えを得られない問いについて考えさせられているのだ。
 闇の中で僕は足を止める。頭を振り、再び歩き出す。
 恐怖の大王。この言葉が進出してきた時点で、精神が変調を来たし始めているのは明らかだ。きっと僕は、無心で歩き続けるべきなのだろう。
 理想としてはそうだが、そうは言ってもこの暗さは、この静けさは、この冷たさは、その中に身を置く者に思案を強要する。その圧力を跳ねのけるだけの強さを、僕は有していない。
 取り留めのないことを延々と考えているうちに、既に日付は変わったのだから、現在は六月三十日ではなくて七月一日だ、と不意に気がつく。
 七月一日――七の月――恐怖の大王が降ってくる月。

 やはり僕は、中学校の正門で殺される運命にあるのだろうか?
 ……分からない。
 考えても、考えても、最も欲しい答えだけが。

 やがて交差点が見えた。横断歩道を渡った先で、コンビニエンスストアの窓ガラスから眩い白光が漏れている。あの日、僕が朝食を購入した店。
 人工的な白光は、妙に愛おしく感じられる。その理由を考え始めてすぐ、恐怖や不安や緊張といった負の感情のカタログの中に、見落としていた感情が一つあったことに気がつく。
 寂しさだ。
 打ち沈んだ気持ちで夜道を孤独に歩んできたことで、知らず知らずのうちに、人との交流を希求する気持ちを抱え込んでいたのだ。

 深夜とはいえ営業中なのだから、従業員が最低一名は店内にいるはずだ。僕が客として振る舞う限り、彼あるいは彼女は、店員として終始一貫事務的に振る舞うだろう。どう見ても中学生でしかない少年が、この時間帯に出歩いていることを訝しく思うかもしれないが、詮索まではしてこないはずだ。言うまでもなく、リュックサックの中身についても。
 人工的だが温かみのある光は、見つめれば見つめるほど魅力度を増すらしい。理由は他にないのだとしても構わないから、店に入ろう。
 横断歩道の青信号が点滅し始める。光が消えては灯り、灯っては消えることを早いテンポで繰り返すその現象は、心を焦らせ、多少乱暴に背中を押した。
 駆け出そうとした、その矢先だった。

「お兄ちゃん!」

 少女の声が、静謐な闇夜を裂いて耳まで届き、僕の両足は停止を余儀なくされた。
 真夜中に一人で屋外を歩いていて、突然大声が聞こえてきたならば、誰だって足を止めて音源に注目する。僕もその御多分に漏れない。ただし、常人とは異なり、二つの行動の間に、声とは反対方向に逃げるという選択肢が念頭に浮上する、という現象が発生した。
 しかし、浮かんだ次の瞬間には、幻のように儚く消滅している。その呼び方で僕を呼ぶ人間は、現状、世界に一人しか存在しないと気がついたからだ。

 切迫感のある音を立てながら、人の気配が近づいてくる。その人物は一直線に僕との距離を縮め、僕の目の前で足を止めた。
 少女は華奢な肩を上下させて呼吸を繰り返しながら、泣き出しそうな、呆れたような、憤慨したような、分類としてはしかめ面に該当する顔を僕に向ける。

「……莉奈」
「もう、何やってるの! この馬鹿っ!」

 一歩間合いが詰まり、シャンプーの芳香が鼻孔に達した。刹那、左頬に衝撃を覚えると共に乾いた音が弾け、僕の顔は四十五度ほど右に向いた。
 数瞬の呆然自失を経て、顔の向きを戻す。莉奈が形作っているポーズを見て、平手打ちを食らったのだと理解する。
 痛みは全くと言っていいほどなかったが、打擲されたと認識した瞬間、罪悪感が胸に滲んだ。まだ罪状を完全に理解してもいないのに、心が痛い。空間的な意味での世界が、僕たちを取り巻くごく狭い範囲内を除き、跡形もなく消失してしまった気がした。
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