深淵の孤独

阿波野治

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脅迫状②

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 左手から脅迫状が離れて足下に舞い落ち、右手からこぼれたリモコンが床に落下して音を立てた。
 悲鳴を聞いた近隣の住人が駆けつけた時には、犯人は現場から姿を消していて、水飲み場の近くに一人、ジャングルジムの傍らに一人、女児が倒れていた。二人は直ちに救急車で病院に搬送され、一人は重傷、一人は軽傷。
 軽傷の女児の証言によると、犯人は黒っぽい服装。無言で二人に近づくと、重傷を負った女児、軽傷を負った女児の順番に、無言のままハンマーで殴りかかったという。
 画面がスタジオに切り替わり、中老の男性キャスターの渋面が映し出された。僕は額に浮かんだ汗を掌で拭い、服の裾になすりつける。

 何をやっているんだ、警察は。
 最初に胸に到来した感情は、憤りだった。宮下紗弥加失踪事件を受け、警察は警戒態勢を強めているはずなのに、この醜態は何なんだ。
 程なくして、それが八つ当たりに過ぎないと気がつくと、自責の念が心を蝕み始めた。死は免れたとはいえ、二つの無辜の命が傷ついた。自らの責任の重さに、身勝手極まる理由から、いとも容易く人を傷つけた犯人の残虐性と共に、慄然として身震いを禁じ得ない。
 事件の話題は依然として続いているが、テレビを消す。コメンテーターの無責任な推理は、ハンマー殴打事件の犯人は「リボンの鬼死」であると理解している僕には、無意味なものでしかなかった。

 脅迫状が届いたことにより、僕が取るべき対応は二つに絞られた。
 殺人鬼からの要請に従うか。それとも、拒絶するか。

 前者を選択した場合、宮下紗弥加の頭部を隠し持っている事実が露見することに怯える日々からは、少なくとも確実に脱出できる。返せと言われたものを返したのだから、犯人が僕に対して抱いている負の感情を鎮め、僕に対する復讐心を放棄する未来も期待できそうだ。
 ただし、道中、破滅に通じる職務質問を受ける可能性がある。仮にその事態を回避したとしても、正門に頭部を返却し、用済みとなった瞬間、待ち伏せをしていた「リボンの鬼死」に殺されないとも限らない。

 後者を選択した場合、当面は生命的にも社会的にも死なずに済むだろう。
 ただし、頭部を隠し通すことに神経を磨り減らす日々を継続しなければならなくなる。そして、返却しなかった報復として、「リボンの鬼死」は第三の凶行に踏み切るかもしれない。警戒態勢が強化されている中で第二の犯行をやってのけた彼女ならば、充分に遂行可能だろう。そしてその対象には、僕が選ばれる可能性が高い。

 要求を受け入れることにも拒むことにも、メリットとデメリットが伴う。全くもって選びがたい二者択一だ。
 それでも、どちらかを選ばなければならない。
 タイムリミットは明朝まで。犯人はそう宣言していた。午前六時だと仮定すると、あと半日程度しか残されていない。
 僕はどちらを選ぶべきなんだ?


*


 七時が近づき、夕食をとるために一階に下りる。用意された料理を機械的に口へと運び、咀嚼し、嚥下する。肉料理を食べるのは、頭部を持ち帰って三日が経っても慣れない。
 午後七時の全国ニュースのトップは、久しぶりに宮下紗弥加の事件ではなかった。報じられたのは、K町の公園で女児二人が何者かにハンマーで襲われ、一人が重傷、一人が軽傷を負った事件。

「犯人、女の子をさらったのと同一人物なのかな。みんなはそう噂していたけど」

 さも不安そうに莉奈が呟く。五年生の頃から急に大人び始め、子供という印象も薄れてきたが、宮下紗弥加や、今回起きた事件の被害者二人と同じく、まだ小学生。僕と比べればずっと幼く、ずっと弱く、ずっと儚い。

「これからは、どうしても必要な時以外は出歩かない方がいいかもしれないな」

 父親がしかつめらしい顔で娘に告げる。莉奈は不安そうな表情のまま、母親は父親を真似るように真面目腐った顔をして、それぞれ首肯した。父親の視線が娘から息子へと移動する。

「龍平、莉奈を守ってやるんだぞ。お前はお兄ちゃんなんだから」

 僕は頷く。それを最後に、食卓の話題は事件から離れた。
 莉奈を守る。切断された人間の頭部を持ち帰る、などという異常行動を取った僕が。殺人鬼に脅迫されている僕が。
 殺人鬼の要求に、僕はどう対応するべきなんだ?
 どちらを選べば、莉奈の命を守れるんだ?
 夕食後に自室に戻ったあとも、バスタブに浸かりながらも、入浴後も、
 ひたすら思案を巡らせたが、結論は遠かった。
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