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北山司⑥
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「北山さん、それ――」
声が掠れている。一旦言葉を切り、唾液を生成して口腔全体に行き渡らせる。完全なる結果論だが、主体的に間を演出したことで腹が据わった。箸につまんだままだった白米を口に含み、咀嚼したのちに飲み下す。
「それ、僕じゃないよ。だって、前日の夜から体調が悪くて、その日は一日中家で寝ていたから」
北山の顔に淡い驚きの色が浮かんだ。
鼓動が激しい。切迫感に満ちた音楽のようなそれを聞きながら、僕は思う。本当に目撃しているかもしれないのに嘘をつくなんて、よくぞそんな大胆な真似ができたな、楠部龍平。
「あれっ、そう? 私の見間違え、かな」
「だと思う。というか、その可能性しか有り得ないよ。僕がその日の朝、家にいたのは確かだから」
「そっか。じゃあ、きっとそういうことなんだろうね」
僕の顔から視線を切った時には、北山の顔には何の感情も浮かんでいない。新たなクッキーをつまみ、口に運ぶ。早鐘を打ち鳴らすのをやめようとしない心臓を持て余しながら、コップの麦茶に唇をつける。
沈黙の中で食事は進む。北山は機械のようにペースを維持したが、僕は殆ど喉を通らない。箸で弁当箱の中身を弄り回しては、無音で茶をすすることをただ繰り返す。
僕が宮下紗弥加の頭部を体操着入れに収める場面を、北山は見たのか、見ていないのか。見間違いだという僕の主張が嘘だと、見抜いたのか、見抜いていないのか。北山の態度からは判断がつかない。表情も挙動も参考にならず、判断を下しようがない。
「楠部くん」
無言状態を破ったのは、またしても北山の声。また何か僕を凍てつかせる言の葉を吐くのかと、全身を緊張させて身構えたが、
「まだ食事中のところ悪いけど、教室に戻ってもいいかな? 食事のあとはいつも読書をするのだけど、本を教室に忘れてしまって。続き、早く読みたいから」
白い包みに目を落とすと、いつの間にかクッキーは一枚残らず消失している。ペットボトルの中身も残り僅かだ。
「あ、うん。じゃあ、そうして。今日はごめんね、無理に誘ったりして」
北山は返事をせずに後片づけを始める。無視したのか、必要ないと判断したのか。来た時と同様、挨拶の言葉もなく去りゆく後ろ姿を見ているうちに、思い出した。
「北山さん」
足を止める。振り返る。二つの動作の間には一拍の空白があり、ステレオタイプのロボットの挙動を連想させた。
相手が旧式の機械ならば、恐れる必要はない。そう自らに言い聞かせる。こちらから声をかけられたこそ、勇気を奮い立たせられた。
「筧から、北山さんが僕のメールアドレスを知りたがっていたって聞いたけど、僕と話がしたいから知りたかった、ということでいいんだよね?」
「うん、そうだよ」
今何時かと訊かれたから答えるように、北山はさらりと肯定した。
「その話っていうのは、さっき話してくれた、僕が学校とは反対方向に向かって急いでいるのを見たことについて?」
「そうだよ。でも、楠部くんはその日はずっと家にいたから、私の勘違い。そうだよね?」
「……うん」
「だから、もういいよ。メールアドレス、教えてくれなくてもいいから」
顔を進行方向に戻し、今度こそ去っていく。その後ろ姿を、瞬きの回数を意識的に抑制して見送る。少し強くなった風に煽られ、長い黒と、それに結ばれた白がはためいている。
北山の姿が校舎に消えた途端、屋外にいる生徒たちの声が復活した。戦いの舞台は紛れもなく現実世界だったのだ、と思い知った。
声が掠れている。一旦言葉を切り、唾液を生成して口腔全体に行き渡らせる。完全なる結果論だが、主体的に間を演出したことで腹が据わった。箸につまんだままだった白米を口に含み、咀嚼したのちに飲み下す。
「それ、僕じゃないよ。だって、前日の夜から体調が悪くて、その日は一日中家で寝ていたから」
北山の顔に淡い驚きの色が浮かんだ。
鼓動が激しい。切迫感に満ちた音楽のようなそれを聞きながら、僕は思う。本当に目撃しているかもしれないのに嘘をつくなんて、よくぞそんな大胆な真似ができたな、楠部龍平。
「あれっ、そう? 私の見間違え、かな」
「だと思う。というか、その可能性しか有り得ないよ。僕がその日の朝、家にいたのは確かだから」
「そっか。じゃあ、きっとそういうことなんだろうね」
僕の顔から視線を切った時には、北山の顔には何の感情も浮かんでいない。新たなクッキーをつまみ、口に運ぶ。早鐘を打ち鳴らすのをやめようとしない心臓を持て余しながら、コップの麦茶に唇をつける。
沈黙の中で食事は進む。北山は機械のようにペースを維持したが、僕は殆ど喉を通らない。箸で弁当箱の中身を弄り回しては、無音で茶をすすることをただ繰り返す。
僕が宮下紗弥加の頭部を体操着入れに収める場面を、北山は見たのか、見ていないのか。見間違いだという僕の主張が嘘だと、見抜いたのか、見抜いていないのか。北山の態度からは判断がつかない。表情も挙動も参考にならず、判断を下しようがない。
「楠部くん」
無言状態を破ったのは、またしても北山の声。また何か僕を凍てつかせる言の葉を吐くのかと、全身を緊張させて身構えたが、
「まだ食事中のところ悪いけど、教室に戻ってもいいかな? 食事のあとはいつも読書をするのだけど、本を教室に忘れてしまって。続き、早く読みたいから」
白い包みに目を落とすと、いつの間にかクッキーは一枚残らず消失している。ペットボトルの中身も残り僅かだ。
「あ、うん。じゃあ、そうして。今日はごめんね、無理に誘ったりして」
北山は返事をせずに後片づけを始める。無視したのか、必要ないと判断したのか。来た時と同様、挨拶の言葉もなく去りゆく後ろ姿を見ているうちに、思い出した。
「北山さん」
足を止める。振り返る。二つの動作の間には一拍の空白があり、ステレオタイプのロボットの挙動を連想させた。
相手が旧式の機械ならば、恐れる必要はない。そう自らに言い聞かせる。こちらから声をかけられたこそ、勇気を奮い立たせられた。
「筧から、北山さんが僕のメールアドレスを知りたがっていたって聞いたけど、僕と話がしたいから知りたかった、ということでいいんだよね?」
「うん、そうだよ」
今何時かと訊かれたから答えるように、北山はさらりと肯定した。
「その話っていうのは、さっき話してくれた、僕が学校とは反対方向に向かって急いでいるのを見たことについて?」
「そうだよ。でも、楠部くんはその日はずっと家にいたから、私の勘違い。そうだよね?」
「……うん」
「だから、もういいよ。メールアドレス、教えてくれなくてもいいから」
顔を進行方向に戻し、今度こそ去っていく。その後ろ姿を、瞬きの回数を意識的に抑制して見送る。少し強くなった風に煽られ、長い黒と、それに結ばれた白がはためいている。
北山の姿が校舎に消えた途端、屋外にいる生徒たちの声が復活した。戦いの舞台は紛れもなく現実世界だったのだ、と思い知った。
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