深淵の孤独

阿波野治

文字の大きさ
上 下
17 / 59

北山司⑥

しおりを挟む
「北山さん、それ――」

 声が掠れている。一旦言葉を切り、唾液を生成して口腔全体に行き渡らせる。完全なる結果論だが、主体的に間を演出したことで腹が据わった。箸につまんだままだった白米を口に含み、咀嚼したのちに飲み下す。

「それ、僕じゃないよ。だって、前日の夜から体調が悪くて、その日は一日中家で寝ていたから」

 北山の顔に淡い驚きの色が浮かんだ。
 鼓動が激しい。切迫感に満ちた音楽のようなそれを聞きながら、僕は思う。本当に目撃しているかもしれないのに嘘をつくなんて、よくぞそんな大胆な真似ができたな、楠部龍平。

「あれっ、そう? 私の見間違え、かな」
「だと思う。というか、その可能性しか有り得ないよ。僕がその日の朝、家にいたのは確かだから」
「そっか。じゃあ、きっとそういうことなんだろうね」

 僕の顔から視線を切った時には、北山の顔には何の感情も浮かんでいない。新たなクッキーをつまみ、口に運ぶ。早鐘を打ち鳴らすのをやめようとしない心臓を持て余しながら、コップの麦茶に唇をつける。

 沈黙の中で食事は進む。北山は機械のようにペースを維持したが、僕は殆ど喉を通らない。箸で弁当箱の中身を弄り回しては、無音で茶をすすることをただ繰り返す。
 僕が宮下紗弥加の頭部を体操着入れに収める場面を、北山は見たのか、見ていないのか。見間違いだという僕の主張が嘘だと、見抜いたのか、見抜いていないのか。北山の態度からは判断がつかない。表情も挙動も参考にならず、判断を下しようがない。

「楠部くん」

 無言状態を破ったのは、またしても北山の声。また何か僕を凍てつかせる言の葉を吐くのかと、全身を緊張させて身構えたが、

「まだ食事中のところ悪いけど、教室に戻ってもいいかな? 食事のあとはいつも読書をするのだけど、本を教室に忘れてしまって。続き、早く読みたいから」

 白い包みに目を落とすと、いつの間にかクッキーは一枚残らず消失している。ペットボトルの中身も残り僅かだ。

「あ、うん。じゃあ、そうして。今日はごめんね、無理に誘ったりして」

 北山は返事をせずに後片づけを始める。無視したのか、必要ないと判断したのか。来た時と同様、挨拶の言葉もなく去りゆく後ろ姿を見ているうちに、思い出した。

「北山さん」

 足を止める。振り返る。二つの動作の間には一拍の空白があり、ステレオタイプのロボットの挙動を連想させた。
 相手が旧式の機械ならば、恐れる必要はない。そう自らに言い聞かせる。こちらから声をかけられたこそ、勇気を奮い立たせられた。

「筧から、北山さんが僕のメールアドレスを知りたがっていたって聞いたけど、僕と話がしたいから知りたかった、ということでいいんだよね?」
「うん、そうだよ」

 今何時かと訊かれたから答えるように、北山はさらりと肯定した。

「その話っていうのは、さっき話してくれた、僕が学校とは反対方向に向かって急いでいるのを見たことについて?」
「そうだよ。でも、楠部くんはその日はずっと家にいたから、私の勘違い。そうだよね?」
「……うん」
「だから、もういいよ。メールアドレス、教えてくれなくてもいいから」

 顔を進行方向に戻し、今度こそ去っていく。その後ろ姿を、瞬きの回数を意識的に抑制して見送る。少し強くなった風に煽られ、長い黒と、それに結ばれた白がはためいている。
 北山の姿が校舎に消えた途端、屋外にいる生徒たちの声が復活した。戦いの舞台は紛れもなく現実世界だったのだ、と思い知った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

怪物どもが蠢く島

湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。 クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。 黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか? 次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿

加来 史吾兎
ホラー
 K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。  フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。  華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。  そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。  そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。  果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

黄昏は悲しき堕天使達のシュプール

Mr.M
青春
『ほろ苦い青春と淡い初恋の思い出は・・  黄昏色に染まる校庭で沈みゆく太陽と共に  儚くも露と消えていく』 ある朝、 目を覚ますとそこは二十年前の世界だった。 小学校六年生に戻った俺を取り巻く 懐かしい顔ぶれ。 優しい先生。 いじめっ子のグループ。 クラスで一番美しい少女。 そして。 密かに想い続けていた初恋の少女。 この世界は嘘と欺瞞に満ちている。 愛を語るには幼過ぎる少女達と 愛を語るには汚れ過ぎた大人。 少女は天使の様な微笑みで嘘を吐き、 大人は平然と他人を騙す。 ある時、 俺は隣のクラスの一人の少女の名前を思い出した。 そしてそれは大きな謎と後悔を俺に残した。 夕日に少女の涙が落ちる時、 俺は彼女達の笑顔と 失われた真実を 取り戻すことができるのだろうか。

感染した世界で~Second of Life's~

霧雨羽加賀
ホラー
世界は半ば終わりをつげ、希望という言葉がこの世からなくなりつつある世界で、いまだ希望を持ち続け戦っている人間たちがいた。 物資は底をつき、感染者のはびこる世の中、しかし抵抗はやめない。 それの彼、彼女らによる、感染した世界で~終わりの始まり~から一年がたった物語......

【完結済】僕の部屋

野花マリオ
ホラー
僕の部屋で起きるギャグホラー小説。 1話から8話まで移植作品ですが9話以降からはオリジナルリメイクホラー作話として展開されます。

処理中です...