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北山司⑤
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「そのクッキーって、もしかして北山さんの手作り?」
目的達成への第一歩として、重苦しい沈黙から脱却することを選択する。タイミングの不自然さに我ながら冷や汗が出たが、
「ううん。市販の商品を組み合わせて持ってきているだけ」
尋ねられた方は平板な声でさらりと回答し、黒いクッキーをつまむ。
北山の食事速度はさほど速くなく、白、黒、白、黒と交互に食べている。癖やルーティンの一言で説明可能な行為なのだろうが、酷く意味深長に感じられ、くだらない一人遊びはやめてくれ、と声を荒らげたくなる。
「甘いもの、好きなんだ」
「よく食べてはいるけど、特に好きというわけではないかな」
「好きといえば、休み時間は本を読んでいたけど、読書が趣味なの?」
「やることがないから読んでいるだけ。好きか嫌いかで言えば好き、ということになるのだろうけど」
「漫画? 小説?」
「どっちも読むよ。古いのでも新しいのでも、日本のものでも海外のものでも、分け隔てなく。暇潰しが第一の目的だから、好みに合いそうな作品なら何でも」
無表情で、抑揚のない声だからそう感じるのかもしれないが、北山の受け答えは押し並べて素っ気なく、どことなく投げやりだ。質問を重ねれば重ねるほど馬鹿馬鹿しくなり、それ以上に虚しくなり、僕は黙り込んでしまう。
必要最低限の言葉しか返さないという対応には、会話を早期に終わらせたい意図が見え透く。無駄話は聞きたくない、早く本題を切り出してくれ、ということなのか。だとすれば、どうしてその旨を申し出ないのか。
北山は得体が知れない。箱を開けたら何が飛び出すのだろうという、緊張と恐怖を常に感じる。彼女と話せば話すほど二つの感情は膨張し、反比例するように、本題を切り出す勇気は収縮していく。
最も簡単だったのは、顔を合わせた直後に、僕のメールアドレスを求めた理由を単刀直入に尋ねることだった。遅まきながら気がついたが、後の祭りだ。人間はどう足掻いても時を巻き戻せない。
話しづらさを感じる一方、沈黙と静寂を耐え難く感じ、一秒でも早く脱したいと願っているのも事実。
たとえ怖くても、勇気を振り絞って、最も訊きたいことを訊くべきだ。
永続しそうな沈黙の中、繰り返し、繰り返し、自らにそう言い聞かせる。そうするうちに、意思は着実に固まっていく。
弁当箱の中身が半分ほどに減った頃、もう一人の僕がゴーサインを出した。口腔の唾液を嚥下し、口を開こうとした瞬間、
「一つだけ訊いてもいい?」
不意打ちで浴びせられた声に、箸につまんだ一口大の白飯の塊を虚空に浮かせたまま、身じろぎできなくなる。
北山は手にしていた黒いクッキーを食べきり、上唇をさり気なく蠱惑的に舐めた。そうしてから、語を継ぐ。
「楠部くんって、二日間休んでいたよね。昨日と一昨日。その最初の日、一昨日の早朝に、私、学校とは逆方向に走っていく楠部くんを見かけたの。とても慌てているようだったから、変だなって思って。あれは何だったの? もし差し障りがないなら、教えて」
事態が、世界が、音を立てて動き始めた。
動悸がする。鼓動が速くなった、という生易しいものではない。これは病気だ。炎天下で立ち働く肉体労働者のごとく多量の汗が分泌され、垂れ落ちる。発汗が盛んにもかかわらず、粘性を帯びているために移動速度が遅く、肌の上で渋滞しているような感覚がある。
明かされたのは、何という事実だろう。
北山が、あの場面を目撃していた。
認識は完了した。しかし、次なるフェイズに移行できない。気が動転している。まるであの時の僕のように。
そう自覚するだけの心のゆとりは辛うじてある。しかし、それだけだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――。
放っておくとその五文字で頭の中が埋め尽くされそうで、とにかく落ち着け、と自分自身に厳命を下す。
僕が宮下紗弥加の頭部を体操着入れに入れて学校から走り去る場面、それを北山は見ていた。
正門近くの叢に潜んでいた? そうかもしれない。頭部をあの場に放置した者として、頭部が何者かに発見される瞬間を己の目で見たかったから。そうだとしか思えない。
ただ、確証はない。北山が宮下紗弥加を殺した犯人だということも、北山があの日あの時にあの場所にいたことも。
そうだとしても。
そうだとしても、僕は返答しなければならない。北山はあの時あの場所にいたかもしれないし、いなかったかもしれない。殺人鬼かもしれないし、そうではないかもしれない。それらを踏まえた上で、回答を示す必要がある。可能ならば、北山が心から納得できる回答を。
そこまで考えて、はたと気がつく。
北山は「学校とは逆方向へ走っていく姿を見た」とは言ったが、「正門の上に置かれていた頭部を体操着入れに入れるのを見た」と明言はしなかった。
本当に決定的な場面を見ていなかったのか。あえて曖昧な言い方をして、何らかの情報を引き出そうと目論んでいるのか。それは定かではないが、
どう答えればいいかが見えた。
目的達成への第一歩として、重苦しい沈黙から脱却することを選択する。タイミングの不自然さに我ながら冷や汗が出たが、
「ううん。市販の商品を組み合わせて持ってきているだけ」
尋ねられた方は平板な声でさらりと回答し、黒いクッキーをつまむ。
北山の食事速度はさほど速くなく、白、黒、白、黒と交互に食べている。癖やルーティンの一言で説明可能な行為なのだろうが、酷く意味深長に感じられ、くだらない一人遊びはやめてくれ、と声を荒らげたくなる。
「甘いもの、好きなんだ」
「よく食べてはいるけど、特に好きというわけではないかな」
「好きといえば、休み時間は本を読んでいたけど、読書が趣味なの?」
「やることがないから読んでいるだけ。好きか嫌いかで言えば好き、ということになるのだろうけど」
「漫画? 小説?」
「どっちも読むよ。古いのでも新しいのでも、日本のものでも海外のものでも、分け隔てなく。暇潰しが第一の目的だから、好みに合いそうな作品なら何でも」
無表情で、抑揚のない声だからそう感じるのかもしれないが、北山の受け答えは押し並べて素っ気なく、どことなく投げやりだ。質問を重ねれば重ねるほど馬鹿馬鹿しくなり、それ以上に虚しくなり、僕は黙り込んでしまう。
必要最低限の言葉しか返さないという対応には、会話を早期に終わらせたい意図が見え透く。無駄話は聞きたくない、早く本題を切り出してくれ、ということなのか。だとすれば、どうしてその旨を申し出ないのか。
北山は得体が知れない。箱を開けたら何が飛び出すのだろうという、緊張と恐怖を常に感じる。彼女と話せば話すほど二つの感情は膨張し、反比例するように、本題を切り出す勇気は収縮していく。
最も簡単だったのは、顔を合わせた直後に、僕のメールアドレスを求めた理由を単刀直入に尋ねることだった。遅まきながら気がついたが、後の祭りだ。人間はどう足掻いても時を巻き戻せない。
話しづらさを感じる一方、沈黙と静寂を耐え難く感じ、一秒でも早く脱したいと願っているのも事実。
たとえ怖くても、勇気を振り絞って、最も訊きたいことを訊くべきだ。
永続しそうな沈黙の中、繰り返し、繰り返し、自らにそう言い聞かせる。そうするうちに、意思は着実に固まっていく。
弁当箱の中身が半分ほどに減った頃、もう一人の僕がゴーサインを出した。口腔の唾液を嚥下し、口を開こうとした瞬間、
「一つだけ訊いてもいい?」
不意打ちで浴びせられた声に、箸につまんだ一口大の白飯の塊を虚空に浮かせたまま、身じろぎできなくなる。
北山は手にしていた黒いクッキーを食べきり、上唇をさり気なく蠱惑的に舐めた。そうしてから、語を継ぐ。
「楠部くんって、二日間休んでいたよね。昨日と一昨日。その最初の日、一昨日の早朝に、私、学校とは逆方向に走っていく楠部くんを見かけたの。とても慌てているようだったから、変だなって思って。あれは何だったの? もし差し障りがないなら、教えて」
事態が、世界が、音を立てて動き始めた。
動悸がする。鼓動が速くなった、という生易しいものではない。これは病気だ。炎天下で立ち働く肉体労働者のごとく多量の汗が分泌され、垂れ落ちる。発汗が盛んにもかかわらず、粘性を帯びているために移動速度が遅く、肌の上で渋滞しているような感覚がある。
明かされたのは、何という事実だろう。
北山が、あの場面を目撃していた。
認識は完了した。しかし、次なるフェイズに移行できない。気が動転している。まるであの時の僕のように。
そう自覚するだけの心のゆとりは辛うじてある。しかし、それだけだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――。
放っておくとその五文字で頭の中が埋め尽くされそうで、とにかく落ち着け、と自分自身に厳命を下す。
僕が宮下紗弥加の頭部を体操着入れに入れて学校から走り去る場面、それを北山は見ていた。
正門近くの叢に潜んでいた? そうかもしれない。頭部をあの場に放置した者として、頭部が何者かに発見される瞬間を己の目で見たかったから。そうだとしか思えない。
ただ、確証はない。北山が宮下紗弥加を殺した犯人だということも、北山があの日あの時にあの場所にいたことも。
そうだとしても。
そうだとしても、僕は返答しなければならない。北山はあの時あの場所にいたかもしれないし、いなかったかもしれない。殺人鬼かもしれないし、そうではないかもしれない。それらを踏まえた上で、回答を示す必要がある。可能ならば、北山が心から納得できる回答を。
そこまで考えて、はたと気がつく。
北山は「学校とは逆方向へ走っていく姿を見た」とは言ったが、「正門の上に置かれていた頭部を体操着入れに入れるのを見た」と明言はしなかった。
本当に決定的な場面を見ていなかったのか。あえて曖昧な言い方をして、何らかの情報を引き出そうと目論んでいるのか。それは定かではないが、
どう答えればいいかが見えた。
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