深淵の孤独

阿波野治

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被害者の正体、加害者の正体③

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 ビッグバン後の宇宙のように、神速かつ際限なく広がっていきそうな恐怖を、たった一本の釘が繋ぎ止めている。その釘が、まるで身長の倍もあり、頭頂から足の裏にかけて貫いて床に深々と突き刺さっているかのように、紙を手にしたまま身じろぎ一つできない。

 殺人行為を働いたからには、何らかの理由があるはずだ。犯行声明文を添えたからには、誰かに伝えたいことがあるはずだ。この文章には、犯人の動機が婉曲に記述されている。
 読み終えて、真っ先に考えたことがそれだった。隠されているものを読み解くべく、気は進まないながらも、文章を繰り返し読み返す。

 遺体を切断し、その一部を人目につく場所に放置するという行為は、個人に対する強い恨みと殺意の表れと解釈できる。しかし、文中に宮下紗弥加の名前はない。彼女を恨んで、あるいは逆恨みをしての犯行ではないのだ。一言も言及されていないのだから、被害者の家族から金銭を得るのが目的でもないだろう。では、何のために?

「無力な愚民共よ」という一文が目に留まり、はたと気がつく。
 犯人は、不特定多数の人間に呼びかけている。

 犯行声明文の内容からも、犯行声明文を書くという行為からも、犯人は己が働いた悪行に対して、後悔や反省の念を抱いているとは思えない。殺人行為がいかに快感かなど、己の特異な嗜好に言及した下りからは、己の異常性や残虐性を誇りに思っているかのような印象を受ける。同時に、異常で残虐な犯行に怯える「無力な愚民共」を嘲笑ってやろうという、嗜虐的な欲求も見え透く。
 己の快楽のために悪逆非道な行為を働き、それをやってのけた異常な己を世間に誇示することで、同時に自己顕示欲も満たしたい。
 要約すれば、そのような思惑が犯人にはある、と推断する。

 しかし、僕が頭部を持ち帰ったことにより、計画は根底から覆された。
 人目につく場所を選んで置いたにもかかわらず、頭部が誰からも発見されない事態は、殺人鬼にとっては想定外のはずだ。
 犯人は今、成果が大々的に発表されるその瞬間を、テレビの前で待ち侘びているのかもしれない。
 しかし、宮下紗弥加行方不明事件が取り上げられることはあっても、彼女の遺体が発見されたという速報はいつまで経っても流れない。
 歓喜の瞬間を先延ばしにされ続け、殺人鬼は次第に苛立ち始める。あの場所に置いた頭部が翌朝になっても発見されないのは、おかしい。切断された人間の頭部が発見されたにもかかわらず報道されないなど、有り得ない。
 そして、何者かの手によって自らの計画が狂わされたと、やがて悟る。
 予想外の不愉快な事態に対して、犯人はどのような対応を取るだろう? 残虐非道な殺人犯は、自らの邪魔をした人間に対して、どのような行動を起こそうと考えるだろう?

 殺す。
 計画を邪魔された報復として、計画を邪魔した人間を殺す。
 恐らくは、そのような結論に至るはずだ。
 要するに、次の被害者が僕だとしても、何らおかしくない。

 気がつくと、僕の体は微弱な振動に見舞われている。
 僕はどうして、切断された人間の頭部を持ち帰るなどという奇行を働いたんだ? 常識と良識に従い、警察に通報しておけばよかった。そうすれば、厄介なものを抱え込まずに済んだのに。頭部に付着している何らかの情報が手がかりになり、事件は早期に解決に向かったかもしれないのに。
 僕が余計な真似をしたせいで、犯人逮捕が遠のいてしまった。
 のみならず、新たな犠牲者が出る可能性が高まった。
 そして、その新たな犠牲者の最有力候補は、僕。
 考え得る限りにおいて、最悪の行動を僕は選択してしまったのだ。

 震えは次第に激しくなる。上下の歯が小刻みにぶつかり、臆病と題された馬鹿げた音楽を奏でる。
 今からでも、頭部を元の場所に返しに行くべきだろうか?
 無理だ。中学校には既に生徒が登校しているし、教員が出勤している。
 手遅れなのだ。今となっては、何もかも。

 部屋を満たす静けさが感情を増幅させる。のうのうと座っていられなくなり、慌ただしくベッドに潜り込む。
 恐怖は静かに、緩やかに、着実に心身を蝕んでいく。汗腺が壊れてしまったかのように大量の汗が出る。歯が鳴るのを食い止められない。

 大丈夫だ。宮下紗弥加行方不明事件を受けて、警察はパトロール態勢を強化したとニュースで報じられていた。いくら何でも、そんな状況下で、そう簡単に第二の犯行に踏み切れるはずがない。それに、復讐するといっても、犯人は僕が頭部を持ち去る場面を直接見たわけではない。報復の対象をまだ特定できていないはずだ。
 今日明日のうちに僕が誰かに殺されるなんて、有り得ない。事件解決を遅らせたのは心の底から申し訳なく思うし、持ち帰ってしまった頭部をどうするかという問題はあるが、少なくとも僕の命は、

 自らに言い聞かせる言葉は、そして呼吸は、にわかに浮上した最悪の可能性に停止を余儀なくされる。
 八時間ほど前、正門の上の頭部を発見して程なく、近くの叢が揺れたような気がした。
 気が動転し、正気ではなかったからこそ、有りもしないものが有るように感じられただけだ。これまではそう解釈していたが、気のせいではなかったとしたら? 頭部が発見される瞬間を見ようと、第一発見者は誰なのかを見届けようと、犯人が正門付近に身を潜めていたのだとしたら?

 ひいっ、という短い悲鳴が唇から漏れた。掛け布団の中に全身を密閉し、胎児のポーズを取る。
 最早推理ごっこどころではなかった。宮下紗弥加の頭部を目の当たりにした直後のように激しく身を震わせながら、僕に悪影響をもたらす一切合財が僕のもとから去ることを、ただただ懇望し、ただただ哀願した。


*


 人は絶対に死ぬ。この世は夢幻でしかない。
 一言一句正確に記憶しているわけではないが、三年前、地下鉄の車内で化学兵器を散布したテロ事件の首謀者が、そのような大意の言葉を自身の信者に対して語った、というエピソードを聞いたことがある。
 人間はなぜ、死ぬのが怖いのだろう。
 自らの存在が終焉するのが耐え難いからか。夢のような幻を終わらせるのが嫌だからか。永遠に夢を見続けていたいからか。
 ベッドの上で震えながら、そんな愚にもつかないことを延々と考えた。
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