深淵の孤独

阿波野治

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被害者の正体、加害者の正体①

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 怯えるだけの状態から脱した頃、潜り込んだ掛け布団の隙間から、枕元に置いたケータイのランプが点滅しているのが見えた。マナーモードを解除していなかったせいで、着信に気がつかなかったらしい。
 全身の震えはやんでいる。冷めやらない恐怖と不安に、心は不安定なままだが、僅かながらゆとりも生まれていた。
 掛け布団から全身を出し、室内を見回す。異常は認められない。ドアに鍵をかけていたのだから当然だ。ケータイを確認すると、午後二時を回っている。

 着信の詳細を確かめる気にはなれなかった。有り得ないとは思いながらも、少女を殺害し、頭部を切断し、正門の上に置いた犯人が、電話をかけてきたのかもしれない、という一抹の懸念を抱いたせいだ。
 部屋に熱が籠もっているのか、感情の乱れが体温を上昇させているのか、蒸し暑くて堪らない。着たままだった制服の上下を脱いだところで、全身が汗まみれなことに気がつく。シャツも脱いで下着一枚の姿になり、真新しいシャツをタオル代わりに、丹念に拭い取る。黙々と単純作業を行う時間は、微力ながらも、精神状態を安定させるのに寄与してくれた。

 下着姿の僕はベッドの縁に腰掛ける。何を思案するわけでもなく、視界に映る景色をただ眺める。

 空っぽの頭に浮かび上がったのは、首から上だけの姿になった少女の青白い顔。
 慄然として身震いを禁じ得なかった。僕が人間の頭部を持ち帰ったのは紛れもない事実で、持ち帰ったものは今もクローゼットの中にある。逃れようのない現実を突きつけられ、全身の筋肉も脳髄の働きも硬直を強いられる。
 しかし、ただ怯えるだけの状態に退行することはない。時の経過により、多少なりとも冷静さを回復したおかげで、不完全ながらも現実に向き合える。

 僕が向き合うべき現実――クローゼットの中の少女の頭部。

 考えるだけでも馬鹿馬鹿しいが、物事には順序というものがある。手始めに、事実を事実として胸に刻んでおこう。
 少女の頭部は、紛れもなく人間のもので、何者かの手によってあの場所に置かれた。空から降ってきた恐怖の大王などでは断じてない。

 それでは、
 あれを正門の門柱の上に置いたのは誰なのか。わざわざあの場所に置いた目的は何なのか。誰の頭部なのか。すぐに思いつくだけでも、疑問点は三つもある。
 もっとも、そのうちの一つは疑問とは見なせない。列挙してみせたうちの最後の疑問の正答を、僕は哀調を帯びた確信を持って述べられる。

 昨日、僕が暮らすT県T市に住む小学生の女児が行方不明になる、という事件が発生した。

『三年前の大阪の毒ガス事件といい、京都の震災といい、関西で嫌な出来事が続くなぁ』

 夕食をしたためている最中、全国ニュースで流れた一報を見て、父親が家族に向かってそう言ったのが印象に残っている。
 片や和製カルト宗教団による無差別テロ行為。片や大規模な自然災害。同じ一九九六年に発生し、多数の死傷者が出たというだけで、何の因果関係もない二つの出来事を、大人は結びつけて語りたがる傾向があるらしい。授業中に無駄話をする常習犯である四十代の男性国語教師も、豪雨の夕刻にスーパーマーケットの野菜売り場で立ち話をしていた中年女性二人組も、ワイドショー番組に出演していた名門大学の名誉教授も、みんなそうだった。

 海外で発生した紛争や疫病の報道は聞き流すが、日本列島を縦断する台風の動向は気にかける僕は、一定以上の関心をもって、夜七時の全国ニュースで報じられたその事件に向き合った。そのおかげで、行方不明になった女児の簡単なプロフィールくらいならば諳んじられる。
 女児の名前は、宮下紗弥加。今春に私立小学生に入学したばかりで、七歳。昨日の午前十時頃、「友達の家に遊びに行ってくる」と母親に告げて家を出たのが、最後に目撃された姿だという。

 小学一年生の女児が丸一日以上行方不明。由々しき事態なのは間違いないが、彼女の身に最悪の事態が起きたと結論するのは早計だ。
 ――と、言いたいところだが。
 僕は今朝、僕が通う県立S中学校の正門の門柱の上に、幼い女の子の頭部が置かれているのを見た。自らの手で触れ、死んだ人間の冷たさを直に感じ、精巧な作り物ではないことも確認済みだ。
 宮下紗弥加は何者かに殺害され、頭部を切断され、校門の上に放置されたのだ。

 晒し首という刑罰が江戸時代に存在したが、宮下紗弥加が死刑よりも重い罰を受けなければならないほどの悪行を働いたとは、到底思えない。小学一年生の無垢な心と未発達の体では、実行したくてもできないはずだ。
 掛け替えのない無辜の命が、誰かの手によって永遠に抹消され、亡骸までもが弄ばれたのだ。
 昨夜のニュースで、宮下紗耶香の母親が、報道陣に向かって涙ながらに娘の無事を祈っている映像を見た。かわいい盛りの愛娘が行方不明になったのだ。母親はきっと今も、押し潰されそうな不安と哀しみの中、娘の無事を一途に願っているに違いない。

 しかし、現実は神よりも非情だ。
 母親が無事を願っていた娘の命は、何者かの手によって奪われた。のみならず、晒し首にされた。さらには、どこの馬の骨かも分からない男子中学生に持ち帰られ、埃だらけのクローゼットにぞんざいに放り込まれている。

 自らの所業を棚に上げて僕は思う。
 こんな現実、あまりにも哀しすぎる。
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