少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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エピローグ

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 真一は加古川に帰郷後、福寿のもとへ謝罪に行った。

「一からやり直したいんだ。そのためには、福寿、お前の協力が必要不可欠なんだよ。途中までだけど四国八十八か所を巡って、己を見つめ直して生まれ変わった俺を、信じてくれ。なあ福寿、頼むよ」

 御朱印は押してもらっていないし、寺の写真は一葉も撮影していない。札所を訪れた証拠はどこにもなかったが、真一はそれを承知でごり押しした。
 真一の被害者たちの中で最もお人好しな男は、眉をひそめながらも「とりあえず、最長でも半年までなら」と、期待以上のお人好しを発揮した。こうして真一は、福寿のアパートに居候しながら再起を図ることになった。

 再就職先、もとい、人生初となるまともな就職先には、引っ越し業者を選んだ。真一は悪知恵が働き、口が上手い人間だと自負している。従事するならば頭脳労働、という固定観念に今までは囚われていたが、四国遍路と小毬での騒動を経験して、自分には存外体力と根性があることに気がついた。だからそちら方面に挑戦してみることにしたのだ。
 正社員ではなくアルバイトという待遇だったし、仕事は死ぬほどきつかったが、銀行口座に給料が振り込まれているのを見た瞬間、不覚にも涙ぐんでしまった。汚れていない金で私物を買う喜びはなにものにも代えがたく、ATMで金を引き出した帰りにコンビニで買ったモナカアイスは世界一のご馳走に思えた。

 借金を返すことで、福寿の信頼を徐々に回復できたのもうれしかった。福寿はお人好しなだけあって、同じ屋根の下で暮らしてみるとなかなか楽しい男だ。共同生活をするにあたって真一に義務づけられた、風呂掃除とトイレ掃除をこなさなければならないストレスも、福寿との関係が修復されるにつれて軽減されていった。

 自分のためではなく、誰かのために。
 真一は穏やかに微笑し、バスタブの内側を擦るブラシの動きを少し速めた。

 真面目に働きつづけている甲斐あって、福寿への借金は着実に減っていった。生活費と家賃の半額、借金返済に充てる以外の収入は全て貯金に回していたので、このころになると自由に使える金も増えてきた。日常に潤いと活力をもたらす意味から、無駄づかいは慎みながらも、自分のために金を使うことを厭わなかった。週に一回は少し奮発して外食するようにしたし、月に一度、自分へのご褒美と称して主にネット通販でなんらかの商品を購入した。無趣味が祟り、購入品の選定には毎回時間がかかったが、悩むのも楽しみの範疇だった。

 小雪がちらつく師走の午後、雑貨屋のウェブサイトを巡回していた真一は、「おっ」とつぶやいて人差し指を止めた。懐かしいな、と今度は心の中でつぶやいて、画面に表示された画像に見入る。竹で編まれた虎の置物で、お値段はジャスト三万円。
 南那はバッグやかごなど、実用的なものばかり作っていた記憶がある。それでも彼女を思い出す。

 南那ちゃん、今ごろ元気にしているのかな。中後保と上手くやっているのかな。徳島はどちらかというと気候が温暖なイメージだけど、十二月に入ればさすがに寒いだろう。あんな小さな体の子が、野外での生活に耐えられるのだろうか。あいつの体に寄り添えば、まあ寒さはしのげそうではあるけど。

 初恋の人の顔写真でも眺めるように、竹製の虎の置物を飽かずに眺める。そうするうちに、置物の緑色の瞳から目が離せなくなった。
 そういえば、虎となった中後保の瞳も同じ色だった。

「……まさか」

 ページを下へ、下へとスワイプしていく。商品に関する説明が終わると、製作者の顔写真が掲載されていた。虎の耳が付属したカチューシャをつけた少女が柔らかくほほ笑んでいて、製作者の名前は「中後南那」となっている。
 外側から内側に向かって、緩やかに心が融けていくような感覚。

 よかった。いろいろあったけど、今が幸せならそれでいい。なにも言うことはない。

 三万円する置物を、軽やかなタップ一つでお買い物カートに入れた。
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