少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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惨劇

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 その臭いは最初、ただ単に「変な臭い」として真一の嗅覚に認識された。竹林を抜け、人家が点在する領域へ向かう道中、言うなれば中途半端な場所を歩いていたときのことだ。進行方向から竹林の方向へ吹く風が運んできた臭気だから、発生源は居住区と推察される。
 そのたった一つの事実だけで、胸騒ぎは悪化した。
 止まりそうになるくらいに歩調を緩め、嗅覚に全神経を集中させる。血の臭いだ、とすぐに判明した。

「――急がないと」
 真一は駆け出した。

 一分も走らないうちに彼の足は止まった。居住区と竹林を繋ぐ道の、最も竹林に近い場所に建つ民家の玄関先に、人が倒れていたからだ。
 焦げ茶色の服を着た六十代くらいの女性。喉を食い破られ、右腕が付け根からちぎれかかり、左脚の膝から先が切断されて本体から三メートルほど離れた地点に無造作に転がっている。乾ききっていない血が、出来の悪い前衛アートさながらに死体の周囲に飛び散っている。凄まじい光景に、思わず掌で口を覆って一歩後ずさりした。
 生きた人間を相手にこんな真似ができるのは、あいつしかいない。

 真一は血を跳び越え、再び駆けた。スニーカーの靴底が地面を蹴る音に混じって、悲鳴が聞こえてくる。走れば走るほど声はボリュームを増し、鮮明さを増す。年若いとは言いがたい男女たちの阿鼻叫喚。年齢のわりに若々しい顔や、あごひげを長く伸ばした顔、深く皺が刻まれた浅黒い顔――悲鳴を上げている一人一人の顔が脳裏に浮かぶようだ。
 左右に人家が現れるころには、通りの十メートルおきに死体が転がっているありさまだった。頭部がとれていたり、胴体が真っ二つになっていたり、腹が大きく食い破られて内臓があふれ出したりと、どの死体も損傷が激しい。悲鳴はもはやうるさいくらいなのに、生き残りを一人も見かけない。

「いやあああ! 助けてえええ!」

 民家の中から甲高い悲鳴が響いた。真一は息を呑んで音源に注目した。
 蹴破られるような激しさで玄関ドアが開かれ、転がり出てきたのは夫婦らしき中年の男女。女性が開け放たれたドアから家内を振り返り、叫び声を上げた瞬間、黄金色の塊が家の中から飛び出した。女性の頭部を深く咥え、硬いものが破砕される音。女性の首から下が小刻みに痙攣し、赤紫色のスカートの股間に染みが広がっていく。
 塊が咥えているものを吐き出すと、頭部を粉砕された女性が地面に横たわった。

 その一部始終を見ていた男性が、女性に勝るとも劣らない大声で悲鳴を上げた。逃げ出そうとして、足を滑らせてしりもちをついた。立ち上がることができない。右手による一撃で俯せに薙ぎ倒され、頭部を噛み砕かれて絶命させられる。右手で背中を押さえつけられ、左腕を咥えられて引きちぎられる。次いで右腕も。
 もぎとった片腕を吐き出し、黄金色の塊が真一のほうを向いた。

「中後保……!」
「おやおや。お前がその呼びかたで僕を呼んだのは初めてじゃないか? 沖野真一。僕のフルネーム呼びをリスペクトしたのか? ん?」

 いつもどおりの人を小馬鹿にしたような、傲岸不遜な物言いだ。
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