少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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提案と涙

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「……ん?」
 不意にあることに気がつき、真一は小さく声をもらした。

 逃げる。虎の支配下から。呪われた小毬地区から。
 なんとなく無意識に、それは不可能だとこれまでずっと思い込んでいたが、果たしてその認識は正しいのだろうか?

「南那ちゃん。ちょっと思ったんだけどさ」

 南那の反応はない。無視したのか、眠ってしまったのか。真一はどちらが現実かには頓着せずに発言を続ける。

「計画が上手くいけば、虎が鎮虎祭の開催場まで来て、みんなを襲うわけだよね。説明会の悲劇のことがあるから、虎に対する備え――武器として農具を持ち込むとか、住人たちは住人たちなりに対策を講じるとは思う。だけど虎は強いし、恐ろしいから、やっぱり場は混乱すると思うんだよ」

 ようするに、なにが言いたいの? そんな南那の無言の声が聞こえた。真一は間髪を入れずに答える。

「その混乱に乗じて、二人でいっしょに逃げない? 竹林を突っ切って、小毬の外まで逃げちゃおうよ」
「え……?」

 戸惑いを多分に孕んだ声。掛け布団が大きく動く音。暗さにある程度慣れた真一の双眸は、上体を起こしてこちらを見ている南那の姿を認めた。表情までは分からないが、深い関心がたたえられているのが分かる。

「ちょっとシミュレーションしてみれば分かると思うけど、虎が勝ったとしても咲子さんたちが勝ったとしても、俺たちの未来は暗いよ。だったら同じ立場同士、いっしょに逃げちゃわない?
 なかなかいいものだよ、都会っていうのは。なにせ自由だからね。人間関係だっていい意味で淡泊だし、心躍るエンタテインメントが目移りするほど用意されている。息苦しい田舎でずっと暮らしてきた南那ちゃんには、天国みたいに感じられるんじゃないかな。誇張でもなんでもなくて。
 悪い誘惑もたくさんあるし、責任は自分でとらなきゃいけない。ある意味では厳しい環境ともいえるけど、その分プラスもでかいよ。もちろん、新生活のサポートは俺が責任をもってさせてもらう。
 悪くない案だと思うんだけど、南那ちゃんはどう思う?」

 返事はない。

 やっぱり、急にこんなことを言われても戸惑うよね。困るよね。

 胸に諦念がにじんだ直後、異音を聞きとった。咲子とのセックスのさなか、彼女が断続的にもらしていた声に酷似していて、軽く息を呑む。
 南那がすすり泣いているのだ。

「南那ちゃん、大丈夫? ……えっと、俺、なにか気に障るようなことを言った? 君に嫌な思いをさせるつもりはなかったんだけど、なにが悪かったのかな?」

 依然として返事はない。すすり泣きは延々と続く。

 真一は泣きやむまで待つことにした。泣いている以上は、どんな働きかけも通じない気がしたからだ。めったなことでは感情を露わにしていない少女が泣いているのだ。動揺したし、いたたまれなかった。痛ましくもあった。
 それでも待った。待ちつづけた。

 洟をすする音はゆっくりと、しかし着実に弱まっていき、やがて泣きやんだ。
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