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希望の光
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残りわずかだったケーキを平らげてから、背もたれに背中を預けて、咲子の発言について考えてみる。酔っているから。その一言では斬り捨てがたいものを感じた。
『真一くん、私のこと、いつまで経っても他人みたいに接するでしょ』
『だから、そういうのが嫌なんだって』
若くして地区長になった咲子は、数々の苦労を重ねてきた。南那の話によると、地区のトップに立ちたい野心を昔から持っていたようだが、たとえ望んでいた地位だとしても、課された仕事をこなすにあたってのストレスは多大なはずだ。少子高齢化が進む小毬において、関わり合いになる人間は全員ほぼ年上。ていねいな口をきかれても、意見を尊重されても、心から尊敬されていないと感じる瞬間は数えきれないほどあったのだろう。だからこそ、年下のよそ者である沖野真一を実質以上に魅力的に感じ、対等で親密な関係を望んだ。
あるいは、話はもっと単純なのかもしれない。
同年代や年下の人間が少ない。数少ないそれに該当する人間である中後保は、咲子を襲って自殺し、虎になってからも彼女や村人をおびやかす。今宮南那は虎との密接な関係が疑われ、心を許せる相手ではない。
希望の光は、沖野真一ただ一人。
悪いことをした、という思いが真一の胸を満たした。自分の生活のためとはいえ、嘘をついた。その時点で事情を把握していなかったとはいえ、大きな精神的苦痛を与えた。そして、その嘘が彼女を死へとぐんと近づけた。
今からでも真実を伝えたほうがいいのでは? 怒られても、失望されても、たとえ殴る蹴るの制裁を受けることになるのだとしても、「嘘でした」と正直に告白するべきでは? もし罪を赦してもらえるなら、咲子たちに全面的に協力する。小毬の住人を騙すために使ってきた知恵は、虎を打ち滅ぼすために使う。そう提案してみようか?
「……無理かなぁ」
禿頭を指でかく。その「虎を打ち滅ぼす方法」を明確に提示しないと、彼らは絶対に真一を赦すはずがない。まずはそれを考えなければ。
真一の心には、虎が住人たちを虐殺する模様が鮮明に焼きついている。
不安定で頼りない知恵の力で、おぞましい暴力にどう対抗すればいいのだろう?
「……いや」
対抗する、だけではだめだ。追い払う、でもまだ足りない。
殺さなければ。退治しなければ。その未来を絶対に導き出せる方法でなければ、彼らは納得しない。真一を放免しない。
不意に、咲子の帰りが遅いことに気がつく。
場所を替えて飲む、とは言っていなかった。応接間を出ていくさいの覚束ない足取りが思い出される。転倒して頭を打って気絶でもしている? 有り得ない話ではない。
真一はソファから立ち上がり、咲子よりもはるかにしっかりとした足取りで応接間を出た。
『真一くん、私のこと、いつまで経っても他人みたいに接するでしょ』
『だから、そういうのが嫌なんだって』
若くして地区長になった咲子は、数々の苦労を重ねてきた。南那の話によると、地区のトップに立ちたい野心を昔から持っていたようだが、たとえ望んでいた地位だとしても、課された仕事をこなすにあたってのストレスは多大なはずだ。少子高齢化が進む小毬において、関わり合いになる人間は全員ほぼ年上。ていねいな口をきかれても、意見を尊重されても、心から尊敬されていないと感じる瞬間は数えきれないほどあったのだろう。だからこそ、年下のよそ者である沖野真一を実質以上に魅力的に感じ、対等で親密な関係を望んだ。
あるいは、話はもっと単純なのかもしれない。
同年代や年下の人間が少ない。数少ないそれに該当する人間である中後保は、咲子を襲って自殺し、虎になってからも彼女や村人をおびやかす。今宮南那は虎との密接な関係が疑われ、心を許せる相手ではない。
希望の光は、沖野真一ただ一人。
悪いことをした、という思いが真一の胸を満たした。自分の生活のためとはいえ、嘘をついた。その時点で事情を把握していなかったとはいえ、大きな精神的苦痛を与えた。そして、その嘘が彼女を死へとぐんと近づけた。
今からでも真実を伝えたほうがいいのでは? 怒られても、失望されても、たとえ殴る蹴るの制裁を受けることになるのだとしても、「嘘でした」と正直に告白するべきでは? もし罪を赦してもらえるなら、咲子たちに全面的に協力する。小毬の住人を騙すために使ってきた知恵は、虎を打ち滅ぼすために使う。そう提案してみようか?
「……無理かなぁ」
禿頭を指でかく。その「虎を打ち滅ぼす方法」を明確に提示しないと、彼らは絶対に真一を赦すはずがない。まずはそれを考えなければ。
真一の心には、虎が住人たちを虐殺する模様が鮮明に焼きついている。
不安定で頼りない知恵の力で、おぞましい暴力にどう対抗すればいいのだろう?
「……いや」
対抗する、だけではだめだ。追い払う、でもまだ足りない。
殺さなければ。退治しなければ。その未来を絶対に導き出せる方法でなければ、彼らは納得しない。真一を放免しない。
不意に、咲子の帰りが遅いことに気がつく。
場所を替えて飲む、とは言っていなかった。応接間を出ていくさいの覚束ない足取りが思い出される。転倒して頭を打って気絶でもしている? 有り得ない話ではない。
真一はソファから立ち上がり、咲子よりもはるかにしっかりとした足取りで応接間を出た。
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