少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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南那の過去①

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 外の世界では蝉が鳴いている。室内は早くも蒸し暑いが、開け放した窓から風が吹き抜けるたびに耐えがたさが退潮する。
 卓袱台を挟んで向かい合った二人は、まずはグラスの茶に口をつける。喉が渇いたという申告は正しかったようで、南那はひと息に半分ほど飲んだ。グラスを卓上に置くタイミングが重なり、重たい一個のグラスを置いたように聞こえた。

「わたしの父親の死に関して、様々な噂がされていることは知っています。最も代表的なものは、わたしは父親と仲が悪いから、虎となんらかの取引を交わして、虎に父親を殺させたというもの。真一さんはどう聞いていますか」
「それとまったく同じだよ」

 南那はゆっくりと深くうなずく。それなら話が早い、というように。

「これから真実を話します。噂は正しいのか、間違っているのであればどこが違っているのか。真一さんに理解してもらえるように、一つ一つていねいさを心がけて。
 手始めに、父親と不仲だ、ということだけど、これは正解。といっても、喧嘩が絶えなかったとかじゃなくて、父親が一方的にわたしを虐待していて、わたしはそれに嫌悪感を抱いていた、という形の不仲。暴力もあったし、暴言もあったし、ネグレクトもあった。エスカレートしたときは性的な暴行もあった。一般的に虐待と聞いてイメージするような行為は、ひととおり受けたんじゃないかな。
『お前が悪いんだ』という意味のことはよく言われた。『俺をいらつかせるお前が悪いんだ』とか、『言われたことをやらないお前が悪いんだ』とか、なんでもかんでもわたしに非があることにされて。暴力や暴言を正当化するためのでっち上げだと分かっていたけど、大人の腕力には勝てないし、子どもの語彙では言い負かすのは無理だし、そもそも反撃するのはとても怖い。わたしは無力で、実質的に無抵抗。それが父親をますます図に乗らせた。怖くても、勝てなくても反抗するべきだったんだって、気づいたときにはもう手遅れで」

 絶対的な強者に対する無力感。それが、南那を感情の表出を最小限で済ませるような人間にさせたのだろうか。
 無力感に打ちひしがれた経験。それが、虎の言いなりになる今に繋がったのだろうか。

「以前話したように、わたしの母親はわたしが生まれたときにはもうこの世にはいなかったから、凶行を止めてくれる人間はわたしの近くには一人もいなかった。真一さんも聞いていると思うけど、父親は殺されるまで地区長の座に就いていたから、虐待の加害者であるという噂が流れても、小毬の住人が彼を抑止するのは難しかった。わたしからすれば、助けを求めづらかった。父親はみんなに対しては聖人君子のように振る舞っていて、我が子を虐待するような人間には見えなかったから、訴えても聞き入れられないだろうという諦めの気持ちがあったの。父親はわたしの体に跡を残さないように虐待するのが上手くて、絶対にぼろを出さない人でもあった。声を荒らげたり、過度に大きな物音を立てたりすることもなかったし。
 追いつめられて、思いつめたわたしは、父親を殺すしかないと思うようになった。
 でも、方法が分からない。
 わたしにとって暴力は我が身に受けるもの。行使するとなると、得手勝手は雲を掴むようだし、そもそも父親に勝てるイメージが湧かなかった。そのころにはすでに、小毬に人食い虎が出没するようになっていたけど、虎を利用しようという発想は全然なくて。
 忘れもしない満月の夜、虎はわたしの家を襲った。というよりも、足音も立てずに忍び込んだ。そして、眠っていた父親の喉を食いちぎって即死させ、その肉を食らった。ちょうどトイレを済ませて、布団に戻るところだったわたしは、震えながらその光景を見ていた。恐ろしいと思いながら見ていた」
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