少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

文字の大きさ
上 下
70 / 120

上機嫌

しおりを挟む
 直接の交流があった人間は少ないとはいえ、二十四名もの住人が殺された。それだけでも気分が悪いのに、加害者本人に会いに行かなければならないのだから、最悪だ。
 約束した肉も、今日は用意できていない。咲子を含めて、周りの人間があまりにも忙しそうで、とてもではないが頼める雰囲気ではなかった。

 険しいが、歩き慣れはじめつつある道のりを踏破すると、虎は今日も緑の絨毯の上に寝そべっていた。しっぽの揺れかたを見るに、機嫌はよさそうだ。

「あの……。なんていうか、その――すみませんでした」

 真っ先に肉を持ってこられなかったことを伝え、謝罪する。上機嫌が不機嫌に切り替わる瞬間を想像するだけで身の毛がよだつ。嫌な仕事は早めに済ませてしまいたい。

「まあ、いいだろう。やつらを殺し回るかたわら、隙を見ては少しずつ食らったおかげで、肉への欲求はある程度満たされたからな。総量でいえば、おとといお前が持ってきた牛肉よりも多いんじゃないか? お前のリークがあったからこそ襲撃を実行できたのだし、今回はまあ赦してやろう。よかったな、僕が寛大な男で」

 予想していた反応だったとはいえ、真一は心の底から安堵した。そのあとで、血も涙もない大量殺人鬼に慈悲を乞い、情けをかけられたのだという思いが押し寄せ、情けなさで胸がいっぱいになった。

「それにしても、昨夜は楽しかったなぁ。僕の登場シーンは見たか? 覚えているか? 集会所に闖入するその瞬間を。あいさつ代わりに図体がでかいのをぶっ飛ばしてやったが、あの一撃のおかげでやつらの度肝を抜くことができたんじゃないか? 効果的な初手だったと思うな、あれは。そのあとは流れのまにまに殺しまくったわけだが、大人数と戦ったのは久しぶりだったわりに――」

 虎は嬉々として昨夜の模様について語る。はっきり言って、不愉快だ。それでいて、真一の顔に怒りの色が浮かぶことがないのは、虎が時折、同意を求めるような眼差しを送りつけてくるせいで、愛想笑いを浮かべなければならないからだ。
 虎がしゃべればしゃべるほど情けない気持ちは増していく。愛想笑いを維持する苦痛は見る見る悪化する。さりとて、猛獣の機嫌をとる以外のやりかたはなにも思い浮かばない。苦しくても耐える。虎の気が済むまでしゃべらせておく。それしか方法がなかった。
しおりを挟む

処理中です...