少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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ひとまずの終幕

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「ああ、なんてこと。どうしよう、どうしよう……」
 咲子は譫言のようにつぶやく。真一は腕に少し力を込める。ほんの少し、勇気が湧いた。依然として続く震えを感じながら、周囲を見回す。

 虎はたった今、中央やや右奥の位置で、木板を力任せにへし折るような音を立てて頭蓋骨を噛み砕いた。くわえていた頭部を吐き出したのを合図に、かたわらに転がっていた死体を跳び越え、尻もちをついて震えている男性に襲いかかる。爪を出した前足で薙ぎ倒し、喉に噛みついてとどめを刺すという、二人目と同じやりかたであっという間に殺害する。

 虎は無駄な手順を省いて殺している。ペースは凄まじく早い。皆殺しではなく虐殺だと言っていたが、前言を無視している。それとも、殺しはじめたのが引き金になって闘争本能に火が点き、歯止めがきかなくなったのか。
 もう止められない。武器を使って大人数で一気に攻撃を仕掛けでもしない限り、虎の凶行をやめさせるのは不可能だろう。

 徳島まで逃げてきた俺にとって、食事と寝床を無料で提供してくれる環境は天国だ。田舎者の老人連中なんて適当に言いくるめて、天国にできるだけ長く滞在してやれ。そんな軽い気持ちでこの小毬に留まることに決めたわけだが――。
 もしかして俺は、とんでもない過ちを犯してしまったのでは?

 虎が心臓を食い破ったばかりの顔を上げ、出入り口を振り向いた。真一も同じほうを向いた。怒号が聞こえると思ったら、大勢の人間が雪崩れ込んできた。集会に参加しなかった小毬の住人たちだ。全員が農具を手にしていて、日に焼けた顔を憤怒に染め上げている。
 虎の動きは雷のように素早かった。死体を時に跳び越え、時に踏みつけながら猛然と駆け、自らが明けた窓ガラスの穴から外へ飛び出す。呆気にとられたような住人たちの沈黙。闇を高速で遠ざかる足音。我に返り、再び怒号。猛獣を追おうとする者も中にはいたが、リーダー格らしき、がっしりとした体格の男性にたしなめられて断念した。彼らは手にした武器を一斉に投げ捨て、生き残った者たちの介抱にあたる。

 真一は生き残った。虎はたしかに約束を守った。
 生きてほしいと密かに願っていた咲子は、真一の腕の中で身を震わせている。
 もう一人、死なないでほしいと願っていたケンさんは、俯せに倒れたまま身じろぎ一つしない。
 他の住人たちは、大半が死んだ。三十人の中で、息をしている者は十人もいないだろう。

 失われたものはあまりにも多すぎるし、大きすぎる。
 しかしとにかく、虎の襲撃はこれで終わった。
 ひとまず、今日のところは。
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