少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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話し合い

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「虎に相対する必要がある。それはつまり、犠牲を覚悟のうえで、わたしたちがあなたを虎のもとまで導かなくてはならない、ということだよね?」

 挙手もせずに咲子が発言した。落ち着き払った態度、高音だが軽佻浮薄ではないその声は、浮つきかけていた一同の気持ちを一瞬にして引き締めた。想定の範囲内の返しだったので、真一は彼女に勝るとも劣らない沈着冷静さで返答する。

「そうなりますね。たとえば虎のねぐらなどが分かっているのであれば、こちらから虎のもとへ赴く形になるかと思います。ただ、私は力を使えることを除けば、これという取り柄のない二十代の男です。毎日長距離を歩いているので体力には自信がありますが、格闘術の類は取得していないので、虎に襲われればひとたまりもありません。ですから、私を警護する人間が必要になってきます」
「やられっぱなし、怯えっぱなしの日々に甘んじるくらいなら、多少の犠牲を覚悟で虎穴に入るほうがましなのは言うまでもないわ。これは私個人の意見じゃなくて、この場にいる人間、いや小毬の住人の総意でもある。――そうだよね、みんな?」

 咲子は立ち上がって真一に背を向け、一同を見回した。ためらいがちではあったが、半数以上の人間が首を縦に振った。残る約半数の人間も、肯定を意味するしぐさこそしなかったものの、激しい拒絶の意思は示さなかった。

「そうだよね。みすみす殺されるくらいなら、そのほうが断然いい。その『何人かの犠牲者』にカウントされるのが、他ならぬ自分の可能性があるのだとしても」

 咲子は体の向きを真一へと戻し、着座はせずに口を動かす。

「わたしたちはそれで構わないわ。虎のもとへあなたを案内するし、命をかけてあなたを虎から守る。これはもう決まったことよ」
「ありがとうございます。提案が急だったうえに、命を危険にさらす方法にもかかわらず、受け入れてくださって。ほんとうに、どう感謝を伝えればいいか」
「お礼なんて不要よ。そうしたほうがけっきょくは自分たちのためになるし、より多くの命が助かることに繋がるのだから。
 そんなことよりも問題なのは、いつ虎のもとに行くか。術をかけてから三日以内に死ぬというのは、逆にいえば、術をかけてもすぐには死なない。犠牲を少しでも減らしたいなら、早めに行動に移るに越したことはない。そうだよね?」
「そうなりますね。エネルギーを溜めるのと同じく、術の効果が発揮されるのに時間がかかるうえに、必要となる正確な時間もまちまちで――そうですね。最低でも三十時間はかかるし、三十時間以内に効果が発揮されることのほうが珍しい。それが現実です」

 無料で食事と寝床にありつける時間を長引かせるという意味では、もう少し時間がかかると嘘をついたほうがよかったのだが、とてもではないが悠長なことを言っていられる雰囲気ではない。
 その雰囲気を作り出しているのは、疑いようもなく咲子だ。彼女の迫力に圧倒されて、現状、救世主の高僧らしい威厳を維持するだけで精いっぱいだ。
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