少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

文字の大きさ
上 下
48 / 120

早く

しおりを挟む
 虎はその圧倒的な力にものを言わせて、住人たちを次から次へと虐殺していく。一方的な展開に見えるが、大人数が相手だけにさすがに無傷とはいかない。体のあちこちに刀傷が刻まれ、肉体に突き刺さったままの得物もある。小さなダメージの積み重ねがボディーブローのようにじわじわと効いていき、虎の動きは次第に鈍っていく。油断した一瞬の隙をついて男の一人が刃を突き出し、そのきっさきが猛獣の胸に深々と突き刺さる。巨体の動きが止まり、震え、支えを失ったように横倒しに倒れる。動きを止めた虎のもとに住人が殺到し、次から次へと凶器の刃を突き立てていく。虎は唸り声を上げ、四肢をばたつかせてもがいていたが、やがてひときわ甲高い吠え声を上げて微動だにしなくなる。住人たちの野太い歓声が竹林に轟く。半数以上の住人が息絶え、生き残りのほとんどが満身創痍になるまで追い込まれたが、人間側が見事に勝利を収めたのだ。

 ――そんな上手い話、あるはずがない。

「それまでに何人の住人が犠牲になるのかと思うと、ぞっとします。だけど、私たちは前に進むしかないから」

 一言一句を明瞭に発音するような凛然とした咲子の声が、空想に耽っていた真一を現に引き戻した。彼に注がれた眼差しは、息を呑むほどに真剣だ。

「だから、沖野さんへの期待は凄く大きいんです。沖野さんが早く虎を退治してくれればくれるほど、それだけ不幸な犠牲者を減らせるから。……期待、してもいいよね?」
「ええ、もちろん」

 ……言えない。虎を倒す力は持っていない、などと言えるはずがない。単純な戦闘力でいえば、農具を手にした高齢者にも劣る存在だなんて、口が裂けても言えない。
 表情を取り繕うことにかけては自信を持っている。気後れの色は完璧に隠蔽しおおせているはずだが、自信のなさを見透かされている気がしてならない。

「そうそう、沖野さん。ちょっとしたお願いなんですけどね」
 西島家を辞するさい、咲子は去ろうとする真一を呼び止めた。

「これからは沖野さんのこと、『真一さん』と下の名前で呼んでもいいですか? 口調だって、友だちみたいに砕けたものにしたい。私たち、地区長と救世主という関係を越えて、もはや友だちに近い関係だもの。そうだよね?」

 どうしてプレッシャーをかけるようなことばかり言うんだ、この人は。
 泣き出したいような、投げ出したいような気持ちをぐっとこらえて、「もちろん構いませんよ」と、あくまでも自らが設定したキャラクターに忠実に答えた。咲子の表情は目に見えて明るくなった。
 その顔に背を向けて玄関ドアを開く。外はすでに暗くなりはじめていて、押し寄せた湿度の高い熱風に思わず顔をしかめる。

 早く帰りたい。
 心の底からそう思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

それ、しってるよ。

eden
ホラー
それ、しってるよ――――。 高校2年生の山下未子(やました みこ)は、人の心を読むことができる。 その力をコントロールすることができないでいる未子は、できるだけ人と関わらないことで自分を守っていた。 何度となく転校を繰り返してきた未子は、新たな学校で、未子の力で心を読むことができない生徒――天城璃星(あまき りせ)に出会う。 璃星の周辺で不可解な事件が起きることに気付いた未子は、璃星の秘密に迫ることになって――? 秘密を暴くことは、秘密を握られること。 事実は記憶の中に、真実は心の中に。

視える僕らのルームシェア

橘しづき
ホラー
 安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。    電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。    ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。 『月乃庭 管理人 竜崎奏多』      不思議なルームシェアが、始まる。

となりの音鳴さん

翠山都
ホラー
 新たに引っ越してきたコーポ強井の隣室、四〇四号室には音鳴さんという女性が住んでいる。背が高くて痩身で、存在感のあまりない、名前とは真逆な印象のもの静かな女性だ。これまでご近所トラブルに散々悩まされてきた私は、お隣に住むのがそんな女性だったことで安心していた。  けれども、その部屋に住み続けるうちに、お隣さんの意外な一面が色々と見えてきて……?  私とお隣さんとの交流を描くご近所イヤミス風ホラー。

短い怖い話 (怖い話、ホラー、短編集)

本野汐梨 Honno Siori
ホラー
 あなたの身近にも訪れるかもしれない恐怖を集めました。 全て一話完結ですのでどこから読んでもらっても構いません。 短くて詳しい概要がよくわからないと思われるかもしれません。しかし、その分、なぜ本文の様な恐怖の事象が起こったのか、あなた自身で考えてみてください。 たくさんの短いお話の中から、是非お気に入りの恐怖を見つけてください。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

処理中です...