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早く
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虎はその圧倒的な力にものを言わせて、住人たちを次から次へと虐殺していく。一方的な展開に見えるが、大人数が相手だけにさすがに無傷とはいかない。体のあちこちに刀傷が刻まれ、肉体に突き刺さったままの得物もある。小さなダメージの積み重ねがボディーブローのようにじわじわと効いていき、虎の動きは次第に鈍っていく。油断した一瞬の隙をついて男の一人が刃を突き出し、そのきっさきが猛獣の胸に深々と突き刺さる。巨体の動きが止まり、震え、支えを失ったように横倒しに倒れる。動きを止めた虎のもとに住人が殺到し、次から次へと凶器の刃を突き立てていく。虎は唸り声を上げ、四肢をばたつかせてもがいていたが、やがてひときわ甲高い吠え声を上げて微動だにしなくなる。住人たちの野太い歓声が竹林に轟く。半数以上の住人が息絶え、生き残りのほとんどが満身創痍になるまで追い込まれたが、人間側が見事に勝利を収めたのだ。
――そんな上手い話、あるはずがない。
「それまでに何人の住人が犠牲になるのかと思うと、ぞっとします。だけど、私たちは前に進むしかないから」
一言一句を明瞭に発音するような凛然とした咲子の声が、空想に耽っていた真一を現に引き戻した。彼に注がれた眼差しは、息を呑むほどに真剣だ。
「だから、沖野さんへの期待は凄く大きいんです。沖野さんが早く虎を退治してくれればくれるほど、それだけ不幸な犠牲者を減らせるから。……期待、してもいいよね?」
「ええ、もちろん」
……言えない。虎を倒す力は持っていない、などと言えるはずがない。単純な戦闘力でいえば、農具を手にした高齢者にも劣る存在だなんて、口が裂けても言えない。
表情を取り繕うことにかけては自信を持っている。気後れの色は完璧に隠蔽しおおせているはずだが、自信のなさを見透かされている気がしてならない。
「そうそう、沖野さん。ちょっとしたお願いなんですけどね」
西島家を辞するさい、咲子は去ろうとする真一を呼び止めた。
「これからは沖野さんのこと、『真一さん』と下の名前で呼んでもいいですか? 口調だって、友だちみたいに砕けたものにしたい。私たち、地区長と救世主という関係を越えて、もはや友だちに近い関係だもの。そうだよね?」
どうしてプレッシャーをかけるようなことばかり言うんだ、この人は。
泣き出したいような、投げ出したいような気持ちをぐっとこらえて、「もちろん構いませんよ」と、あくまでも自らが設定したキャラクターに忠実に答えた。咲子の表情は目に見えて明るくなった。
その顔に背を向けて玄関ドアを開く。外はすでに暗くなりはじめていて、押し寄せた湿度の高い熱風に思わず顔をしかめる。
早く帰りたい。
心の底からそう思った。
――そんな上手い話、あるはずがない。
「それまでに何人の住人が犠牲になるのかと思うと、ぞっとします。だけど、私たちは前に進むしかないから」
一言一句を明瞭に発音するような凛然とした咲子の声が、空想に耽っていた真一を現に引き戻した。彼に注がれた眼差しは、息を呑むほどに真剣だ。
「だから、沖野さんへの期待は凄く大きいんです。沖野さんが早く虎を退治してくれればくれるほど、それだけ不幸な犠牲者を減らせるから。……期待、してもいいよね?」
「ええ、もちろん」
……言えない。虎を倒す力は持っていない、などと言えるはずがない。単純な戦闘力でいえば、農具を手にした高齢者にも劣る存在だなんて、口が裂けても言えない。
表情を取り繕うことにかけては自信を持っている。気後れの色は完璧に隠蔽しおおせているはずだが、自信のなさを見透かされている気がしてならない。
「そうそう、沖野さん。ちょっとしたお願いなんですけどね」
西島家を辞するさい、咲子は去ろうとする真一を呼び止めた。
「これからは沖野さんのこと、『真一さん』と下の名前で呼んでもいいですか? 口調だって、友だちみたいに砕けたものにしたい。私たち、地区長と救世主という関係を越えて、もはや友だちに近い関係だもの。そうだよね?」
どうしてプレッシャーをかけるようなことばかり言うんだ、この人は。
泣き出したいような、投げ出したいような気持ちをぐっとこらえて、「もちろん構いませんよ」と、あくまでも自らが設定したキャラクターに忠実に答えた。咲子の表情は目に見えて明るくなった。
その顔に背を向けて玄関ドアを開く。外はすでに暗くなりはじめていて、押し寄せた湿度の高い熱風に思わず顔をしかめる。
早く帰りたい。
心の底からそう思った。
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