少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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南那と虎の噂

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「私の思い違いなら越したことはないんだけど、南那ちゃんはどうも、住人のみなさんからうとましがられている気がするんだ。
 南那ちゃんのお父さんが虎に殺されたという話は聞いたけど、だったら本来、小毬の住人総出であの子を労わってあげるのが当たり前でしょう。お父さんが殺されたのは、あの子ではなくて虎のせいなのだし、なにより南那ちゃんはまだ子どもなのだから。でも実際には、彼女のことを積極的に助けてあげているのはケンさん一人。私が今宮家でお世話になると決まって、住人のかたが物資なんかを運んできてくれたんだけど、地区長さんに命令されて不承不承という感じだった。不承不承だとしても助けているのは事実だし、私が見ていないところで手を差し伸べていると信じたい気持ちもある。だけど、私としてはやっぱり違和感があって。
 南那ちゃんはどうして、みんなから大切にされていないのかな。ケンさんが理由を知っているのなら、ぜひ教えてほしいんだけど」

 ケンさんは口を半開きにして、明後日の方向を眺めるともなしに眺めながら、考え込む顔つきを見せている。真一の言葉を咀嚼しているのか。それとも、話すべきか否かや、どこまで話してどこを話さないかの線引きを脳内で検討しているのか。

「沖野さんの意見、考えてみればそうだなって思う。南那ちゃんは、みんなからあまりよく思われていない。原因に心当たりは、ある」
「ほんとうかい?」

 ケンさんは首を縦に振り、足を止めて竹の束を担ぎ直す。そして答える。

「噂を聞いたことがある。どうでもいいと思って聞き流してきたけど、たぶんそれが原因。南那ちゃんは虎と取引をして、父親を殺させたと疑われている」

 思わず絶句してしまった。
 虎と取引? 南那ちゃんが?
 たしかに虎は、人語を解したし、しゃべれた。ただ、会話してみた限り、とうてい話が通じるような相手ではなかった。

「その噂、ほんとうなのかい? 虎は自殺した青年の生まれ変わりだ、という噂は聞いたことがあるけど。人食い虎というのは、人間の言葉で理知的な会話ができる生き物なの?」
「あくまで噂。僕も虎がしゃべるのは聞いたことがないから、そう噂されているとしか答えようがない」
「じゃあ、噂は正しいと仮定して話を進めようか。虎は人を食べるだけじゃなくて人語をしゃべれて、南那ちゃんが虎と話をする機会があったとして、南那ちゃんが虎に『父親を殺してほしい』と頼むことに、なんのメリットがあったのかな。南那ちゃんのお父さんは西島さんの前の地区長で、みんなから慕われていたと聞いたよ」
「南那ちゃんと前の地区長さんは、不仲だって言われていた。前の地区長さんは、地区長としては立派だったけど、父親としてはそうではなかったって」
「……そうだったんだ。南那ちゃんのお父さんの人となりについて、詳しく教えてくれないかな。南那ちゃんにとって、前の地区長はどんな父親だったの?」
「分からない。僕は地区長という立場でしか、南那ちゃんのお父さんを見たことがないから。地区長としてのあの人を評価するなら、とても有能な人だったよ。みんなそう言っていたし、僕自身もそう思っている」

 残念ながら、これ以上の情報をケンさんから引き出すのは難しそうだ。

「ケンさん、いろいろ教えてくれてありがとう。虎との決戦に備えて情報収集できて、有意義だったよ」
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