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朝の無駄話
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竹細工を作る南那の巧みな指づかいを観賞しながら、彼女と他愛もない話をするひとときは、愉快で心地いい。
一方で、気楽に過ごす現状に罪悪感を覚えてもいる。嘘と引き換えに手に入れた幸福だし、なにより、虎と交わした約束のことが頭から離れない。
「散歩に行ってくる。一時間くらいで帰ってくるから」
南那にそう告げて家を出た。照りつける日射しはまだ朝が早いにもかかわらず強い。淡い後悔の念が胸の底で疼いたが、抑えつけて道を歩き出す。
「ああ、沖野さん」
十歩も進まないうちに声をかけられた。軽い驚きとともに振り向くと、見知らぬ男性だ。農作業に従事する人間らしい身なりだが、残りわずかとなった髪の毛は真っ白で、肉体労働からは引退している年齢に見える。
会釈だけして去ろうとしたが、老爺は真一と話がしたそうな顔を見せている。訝りながらも歩み寄ると、老爺は頭頂近くにある生え際を指でかき、
「今日で三日ですが、どうですか調子は。体調に悪いところはないですか」
「みなさんにとてもよくしてもらっているので、快適に過ごせていますよ。恵まれすぎていて怖いくらいです」
「お坊さまは救世主なのだから、当然ですよ。朝食は済みましたか」
「もう二時間も前に済ませました。南那ちゃんはおかずをたくさん作ってくれるので、毎食満足させてもらっています。食卓に着いた瞬間、色とりどりの料理がのった皿が並んでいるのを見るだけで、ご馳走を堪能したあとのような幸せな気持ちになりますよ」
「あの子は早くに両親を亡くしたから、家事はできるんですよ。それに比べて、うちの女房は年々手を抜くことばかり覚えて――」
真一は最初こそ警戒していたが、やりとりをする中で、なんの邪念も持っていない、暇を持て余しているだけの老人だと判明し、調子を取り戻した。
老爺と言葉をやりとりする中で気がついたのは、キャラクターを偽って会話に臨むのは同じでも、咲子が相手の場合だとかなり気を抜いて話ができている、ということだ。分析するに、彼女が救世主としてというよりも一個人として真一と接していて、なおかつ、狭義の好意に近い感情を抱いているかららしい。
精神的な負担は少しでも減らすに越したことはない。今後、咲子相手にはもっと砕けた態度で接してもいいかもしれない。
いったんはそう結論したが、果たしてそうすることに意味はあるのだろうかと、すぐに疑問が生まれた。
なにせ今日は小毬地区滞在三日目で、明日は四日目。「虎退治のために必要なエネルギーを溜める」のに費やす時間は三日だと明言している。明日中に明日中に咲子を納得させる言いわけを思いつき、延命するか。力が嘘であることを明かし、小毬から追放されるか。現時点では後者の未来が訪れる可能性が極めて高く、そうなれば咲子との関係もそれきりになる。今さら関係を深めたところで、なにになるというのか。
小毬で客人として過ごす時間は、老爺にも語ったように、あまりにも恵まれすぎている。故郷の加古川にいられなくなり、縁もゆかりもない徳島の地をさ迷う羽目に陥っている真一が、これ以上はもちろん、これに近い生活を送れる日々を手中にする未来は、現時点では非現実的だ。
できれば現状にしがみつきたい。小毬から去りたくない。
さりとて、三日目の朝を迎えてもまだ妙案は閃かず、暇な老人の話し相手を務めて暇をつぶしている……。
一方で、気楽に過ごす現状に罪悪感を覚えてもいる。嘘と引き換えに手に入れた幸福だし、なにより、虎と交わした約束のことが頭から離れない。
「散歩に行ってくる。一時間くらいで帰ってくるから」
南那にそう告げて家を出た。照りつける日射しはまだ朝が早いにもかかわらず強い。淡い後悔の念が胸の底で疼いたが、抑えつけて道を歩き出す。
「ああ、沖野さん」
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「もう二時間も前に済ませました。南那ちゃんはおかずをたくさん作ってくれるので、毎食満足させてもらっています。食卓に着いた瞬間、色とりどりの料理がのった皿が並んでいるのを見るだけで、ご馳走を堪能したあとのような幸せな気持ちになりますよ」
「あの子は早くに両親を亡くしたから、家事はできるんですよ。それに比べて、うちの女房は年々手を抜くことばかり覚えて――」
真一は最初こそ警戒していたが、やりとりをする中で、なんの邪念も持っていない、暇を持て余しているだけの老人だと判明し、調子を取り戻した。
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