少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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西島家にて

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 西島家の応接間で咲子と向かい合うのは丸一日以上ぶりになる。
 真一は氷入りのアイスコーヒーを飲みながら、骨董品や絵画を眺めるだけの心のゆとりがある。幽霊のような着物姿の女性を描いた一枚は相変わらず不気味だ。作風か、技術不足か、テーマを表現するために最善の方法を選んだ結果なのか。いずれにせよ、こんな陰気な面をしてまで現世に留まりつづけるなら、潔くくたばったほうがましだと思う。

「……いや、死にたくはないけど」
「どうされました?」

 咲子はグラスから唇を離して彼を見つめた。真一は苦笑の一歩手前といった表情で頭を振り、彼女と入れ替わりでグラスに口をつける。

『今日は沖野さんにいろいろな話を聞かせてほしいな。外の世界のこととか、お仕事のこととか。旅をして回っているのだから、いろいろな光景を見てきたんでしょう』

 二人分のグラスをトレイに載せて応接間に現れた咲子は、真一の向かいのソファに浅く腰を下ろすと、彼へと少し身を乗り出してそう切り出した。栗色の髪の毛は室内照明の白光を受け止めて、どこか艶めかしく輝いている。

『私、トップという立場上、みだりに地区の外に出られないんですよ。だから、外の世界のことに凄く興味があって。ほら、ここって電話もネットも使えないでしょう』

 朝に地区を案内されたさいに「夕方に家まで来てほしい」と告げられたときは、なにを要求されるのか、あるいは追及されるのかと、警戒する気持ちが強かった。しかしふたを開けてみれば、なんのことはない、退屈だから話し相手になってほしいらしい。

 旅先での人助けを中心にした善行。精神的な鍛練となるような体験とその教訓について。この二本を柱に据えて語る。
 善人アピールをしすぎているだろうか、という懸念も何度か頭を過ぎったが、咲子は特に気に留めていないらしい。外の世界についてであればなにを話してくれてもいいし、うれしいようだ。一回りほど年上ではあるが、若々しさを失っていない、魅力的な異性との会話をただただ楽しむ。そんな時間が流れていく。

「もうそろそろ帰らないと」
 壁の掛け時計が午後六時を回ったのを見て、真一は言った。咲子は彼の意思を尊重した。

 玄関でスニーカーに足を入れたところで、左手がぬくもりに包まれた。咲子が二つの手で真一の左手を軽く挟んだのだ。
 軽く息を呑んだ彼の視線の先で、咲子は頬をほのかに紅潮させている。ただそれだけの変化で、彼女は一段と若々しく見える。

「小毬には若い人が少なくて、いつも話し相手に困っているの。もしよかったら、明日もうちに来てくれない? 今日みたいにあらかじめ時間を指定するんじゃなくて、いつでも自由にドアをノックしてくれて構わないから」
「ご厚意に感謝します、咲子さん。明日も必ずお邪魔しますので、よろしくお願いします」
「ありがとう。楽しみにしてるね」

 軽く揉むような刺激を左手に加え、解放する。真一は一礼して西島家を辞した。
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